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開催終了週刊中町かな13歳2012年年末年始特大号1号

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2012年01月10日 09:20 更新


ケンケン2012年01月10日 03:11
なんか、荒れてんなぁ(笑)
これでは、繊細すぎる日記主がコメントできない、と思われます。
ネット上では、よくあることなんですが。

僕は、日本人としての誇りに重点を移しました。わざと論点をずらした。
「ネット右翼」と他称される人びとに、自称民族主義者としては、僕の日本人としての誇りを示したかったから。そして、かつては左翼の一部が「健全なナショナリズムの確立」とか「真の愛国主義」を主張した歴史が、この国にはあるから。

今、ナショナリズムという概念そのものが、左翼の狭い世界のなかでは、批判対象になっています。狭くてもいろいろいるから、面倒なんですが(笑) かつての「健全なナショナリズム」という用語法自体が、時代的制約の下にあった、と言わねばならない。

それでも、僕は民族主義者を自称し続けます。漢語の民族という言葉のあいまいさは、民族の概念をネイションに限定しないことの利点がある。そして、この自称には、民族主義の概念は、他民族の誇りも尊重する、という含意を、僕は個人的に含めています。
かつて、国粋主義とは、孫文を支援することだったわけです。
当時は過激派扱いの、その前の自由民権派も、朝鮮の民主化・近代化のためのクーデターを、朝鮮の改革派官僚と連携してやろうとして、日本政府に摘発されています(大阪事件)

李氏朝鮮の末期は、決してほめられたものではありません。その王政への批判と改革への期待と、日本の干渉とが入り組んで展開されるのが、朝鮮の植民地化の歴史です。
「併合」の過程では、韓国皇帝は陰に陽に、日本への抵抗をしました。
それでも、日本の敗戦後の「光復」にあたって、李朝の王室を担ぐことなど、右派の独立運動家たちも考えなかった。彼らが「民国」を選択したのは自然でした。日本の華族に迎えられた李朝王家への反発も、そこにはあった。
戦後の韓国は、軍による権威主義体制の時期が長かったのですが、それでも形式上は民主共和制の建前をとりました。その意味では、南北朝鮮はやはり似ている。同じ民族なのだから、当たり前といえば当たり前。

僕は、本当は、朝鮮・韓国人として、在日の人びとと、半島居住者を、同一視して議論できないことを、知識としては知っています。
それでも、在日の人びとが「朝鮮籍」とか韓国籍とかを、自ら選んでいることの事情を、知識としては薄く知っています。
当事者には、何も知らないと言われても仕方のないくらいの水準で。

僕は、自称民族主義者として、日本人の誇りを主張することの延長線上で、韓民族の誇りに思いをいたし、朝鮮総連に首をかしげながらも、朝鮮総連が「北」の政権と密着する現実を、理解したいと思っています。

「朝鮮人」というのが、それだけで悪罵として使用されるのは、アホらしい、とも思います。
かつて、日系移民への差別として、米国には「犬と日本人は入るべからず」と掲示したところが多数ありました。今の在日米軍基地にもその手の掲示ははびこっています。
そして、かつて日本が占領したところでは、「犬と朝鮮人は入るべからず」「犬と中国人は入るべからず」と、日本人は掲示して平気だった。

「自分の欲せざるところは、他人に施すことなかれ」は、中国でも朝鮮・韓国でも日本でも、通用する孔子の言葉。
まだ、中国の経済成長が端緒的だったころ、アジアNIESの経済成長を、故・森嶋通夫は「儒教資本主義」と特徴づけました。ヴェーバー通でもあった森嶋は、西欧の産業革命の発祥をプロテスタンティズムのエートスに求めたヴェーバーになぞらえて、日本を含めた漢字文化圏の国ぐにの経済成長を、儒教のエートスに求めた。その後の中国にもあてはまる、面白い議論だと思います。
日本人のなかにある、嫌韓・嫌中の感情は、近親憎悪だという認識に、なるほど、と思うところがあります。米国には憧れてやまない日本人のなかに、なぜ中韓を嫌う人びとがいるのか、ということの説明としては、よくできている。

まあ、ネット世論は、世間の世論とはまったく違うんですけどね。
中町かな 13歳2012年01月10日 03:47
ケンケンさん、ありがとうございます。
貴重なご意見だと思いますので、どんどん広報しながらやっていきたいと思います。
(転載しながら広報をしていきたいと思いますが、お許しください)

私は、民族主義と言う逆説は、とらない立場です。

しかし、言葉は、定義によってもどうにでもなるものです。
ゴットファザーのコッポラやSF作家、ハインラインなどが好きな私ですが、
アメリカのタカ派の代表に思われたりしています。
ハインラインの描く革命とは、アメリカ独立革命であったり、限界を持っています。
それでも、読む価値を持つ作品であると考えています。

三島由紀夫さんもその逆説として、理解に届くものがあります。

全共闘時代は、歌舞伎や伝統芸能クラブの方が、核心的で、過激であったとも聴きます。

しかし、好きなものは、好きです。
そのスタンスで、いきたいと考えています。

やはり、SF作家なら、ブレドランナーのディックです。
毛沢東の死に涙した彼の純粋さなどについて、追求し、研究したいと言う正直な立場の展開を考えています。

右翼も左翼も、アカデミズムも実は、大衆の嫌われ者、言わば「特権的階級」なのです。

大衆性、庶民性とは何か?
学問と言葉の整理から、逆説の逆説のような、混沌ではなく、
実践性と行動性を基調としたいと思っています。

まだまだ、試運転中です。
これからも、ご教授お願いいたします。

頑張りましょう
中町かな 13歳2012年01月10日 04:19
つまり、誰に、語りかけ、同意、説得の力点におきたいかと言うことなのですが、ダメ左翼と言う総崩れ状況と大衆、庶民の知恵熱、正義、公正とは何か?
真の正論と論理とはなにかを、体系的に再構築したいと言う立場です。


右派への説得は、ケンケンさんにお任せして、
ポストモダンその他、学問、文学、哲学の不全が続いている
閉塞が、長く続いています。
左翼の危機は、真性アカデミィズムの危機でもあるという認識です。

池上彰さんのように、わかりやすく語る必要もありますが、
いつまでもも戸口でとどまっているわけには、いけません。


その閉塞に対して、言及するのが、
第一主題と言うわけです。


私は、民族主義とは力点をおけない。
むしろ、宮沢賢治の世界市民として、
正論を正していきたいと思いますが、ケンケンさんへの期待は、大きいというわけです。

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