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2006年02月01日 09:30 更新

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+1
下記の短歌では、同じ言葉の繰り返しが
どのような詩的効果を与えているか考えなさい。

+2
繰り返す言葉を効果的に用いて
自分の短歌を一首つくりなさい。




ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまわり

              永井陽子(『モーツァルトの電話帳』より)

コメント(16)

  • [1] mixiユーザー

    2006年01月24日 16:30

    島です。

    +1 について

    ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまわり

    この歌の言葉の繰り返し方は
    一首のなかにメビウスの輪的状況をつくっている。

    遠くのものに憧れ止まない
    係恋に終わりがない
    引き寄せては遠ざかり遠ざかってはひきよせる。
    そういった心理を、構造のうえでも示しているように思える。

    粗末な解答…(^^;;;

    +2は後報
  • [2] mixiユーザー

    2006年01月30日 20:19

    好きだったロックンロール ラジオから ロックンロール好きだったきみ
  • [3] mixiユーザー

    2006年01月30日 22:22

    +1

    ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまわり

    ひまはり → アンダルシア → とほけれど とおけれど → アンダルシア → ひまはり

    作者のいる位置から、アンダルシアへ思いをはせ、そしてまた作者のいる位置へ意識が戻ってくる。

    そのアンダルシアの場所と自分の位置をひまわりとアンダルシアの繰り返しによって示す仕掛けにしているのではないでしょうか。

  • [4] mixiユーザー

    2006年02月07日 16:25

    新井蜜さん、しんくわさんこんにちは。

    書込み、どうもありがとうです。
    おそるおそるコメントアップいたします。

    ○新井さん

    +2について

    解釈としては
    今、ラジオから昔好きだったロックンロールが流れてきて、この歌を発話している人(≒新井さん?)は、昔、ロックンロールが好きだった恋人かあこがれの人を懐かしく思い出している、ということでよろしいでしょうか。
    結句の「好きだったきみ」という言葉は、自分自身のきみへの好意を重ねているように自然に感じられました。
    言葉の繰り返しによって、意識が時間軸を行き来する、よい作品だと思います。

    >しんくわさん

    +1について

    わかりやすいです。さすがー。
    自身がいる地理的な位置、アンダルシアひまわり畑という地理的な位置、その間をゆききする心理的な位置、が繰り返す言葉によって、示されているということですね。

  • [5] mixiユーザー

    2006年02月07日 18:03

    +1
    いまここにいる自分の意識が、おもいを馳せる場所へ行き、また戻ってくるというブーメラン的な構造をしている。

    自分から乖離した意識が、自分から抜け出して、かつて行ったことがある場所アンダルシアへ行き、より具体的に表現されたアンダルシアのひまはりの花を楽しんでいる風景を示している。これを示すことによって、反対に、おもいを馳せている自分を表現しているということでしょうか。

    +2
    オリオンと漂える月見上げれば見上げれば漂える月とオリオン

    ん、意識があちこち行く歌ではないですが。
  • [6] mixiユーザー

    2006年02月08日 03:42

    しまさん、
    実はこの歌、作ったあとで自分でも気がつき知人にも指摘されたのですが、枡野浩一さんの次の歌に似ているんです。

    ◎好きだった雨、雨だったあのころの日々、あのころの日々だった君 (枡野浩一)

    最初の「好きだった」と最後の「だった君」が同じで、内容は違いますが、枡野さんの歌も繰り返しが使われています。この歌は以前読んだことがあるので無意識に真似てしまったように思います。
  • [7] mixiユーザー

    2006年02月08日 09:08

    >たかみさん

    +1について

    >これを示すことによって、反対に、おもいを馳せている自分を表現しているということでしょうか。

    確かにそうだなー、とうなづきました。

    +2

    うーん。
    構造的にはブーメラン的な言葉の繰り返しといえなくもないですが…。
    立ち位置と風景はよく分かるんだけど、作者(作中主体=たかみさん?)の感情みたいなものがいまひとつ伝わってこないかな。
    何を表現したかったか教えてくれたら、一緒に考えることができるかもしれないです。

  • [8] mixiユーザー

    2006年02月08日 09:36

    >新井さん

    ああ、そうか!

    ◎好きだった雨、雨だったあのころの日々、あのころの日々だった君 (枡野浩一)

    枡野さんのこの短歌、見たことあります。
    いいですよね。

    枡野さんのこの歌の反復手法は、前に出てくる言葉を繰り返して使っているので、前辞反復といいます。

    さらに、
    好き<雨<あのころの日々<君
    と、言葉をシフトしながら、少しずつ感情が高まっていくレトリックは漸層法(climax)といいます。
    (英語の方が耳慣れていますよね)
    読み手としては、覚えやすいし、気持ちをのせていきやすいですよね。

    一方、新井さんの作品は

    ☆好きだったロックンロール ラジオから ロックンロール好きだったきみ

    というように「好きだった」と「ロックンロール」の位置が
    上句と下句で入れ替わっているので、倒置反復、という言い方ができると思います。


    今回、新井さんは枡野さんの作品を無意識に模倣されているので
    これを本歌取りと言ってはいけないのだけれど…、
    たとえば、藤原定家は
    本歌取りの作法として、「本歌とは季節を変えること」「引用する句は2句から3句が限度」
    などを条件にしているようです。
    枡野さんの歌は、雨だった日々 というところから雨期の歌かなー(梅雨ともいう)と思うわけで
    つまり、新井さんのこの歌に、本歌とは違う季節感を意識して織り交ぜてゆけば
    新しい「枡野作品を本歌取りした歌」として、生まれ変わることができるのではないでしょうか。

  • [10] mixiユーザー

    2006年02月13日 09:43

    >つかぴー様

    おそるおそるの返信です。

    過去を悔やむ気持ちと未来への不安がないまぜになっているよう。くりかえす、という言葉をくりかえすことによって
    その行為の継続のイメージと、嘆きの深さを感じたのは私だけでしょうか。


    余談ですが「万葉集」の坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の歌に

    来むといふも来ぬ時あるを来じといふを来むとは待たじ来じといふものを

    というものがあるのを思い出しました。
    来るんだか来ないんだか分からない恋人を嘆きながらも、別れられずに関係を継続している、そんな様子がうかがわれます。
  • [11] mixiユーザー

    2006年02月14日 00:23

    初書き込みです。おそるおそる。(←みなさまのを真似してみた)

    +1
    ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまわり

    これは上の句と下の句で主体が違う歌だと思うのです。
    上の句は擬人化された「ひまわり」が故郷(正確に言うと違うが)に思いを馳せていて、
    下の句は「私」が遠いアンダルシアのひまわり畑を恋うているのでは。
    つまり上と下で同じ言葉を使い、一見単純なリフレインを装いながら、
    詩でいえば2行分の効果があるのでは。
    これはかなり難度の高い技なのでは?と思ったのですが、いかがでしょうか。

    +2

    夕焼けの色がちがうとこんなにもこんなにも色がちがう夕焼け

  • [12] mixiユーザー

    2006年02月15日 13:44

    >みのりん、いらっさーい

    +1

    ふむふむ
    ひまわりのアンダルシア
    言い換えれば、
    仏教徒にとっての天竺ってかんじ?
    (違うか〜?

    アンダルシアを望郷するようにひまわりが咲いている、そのアンダルシアに咲くひまわりを私は(も)恋うている

    という解釈ですね。

    「一見単純なリフレインを装いながら」
    確かに。うーむ、深いです。


    +2

    夕焼けの色がちがうとこんなにもこんなにも色がちがう夕焼け

    夕焼けの色が違う、季節が変わったか場所が変わったか?
    よくわからないけど
    こんなにもこんなにも、の繰り返しと
    四句の8音が、切実な感じを訴えてくるように感じる。
    ただ四句の「色が」という語彙の選択は多少ゆらぎがあるようにも。

    どなたか、へるぷぷりーず。
  • [14] mixiユーザー

    2006年02月15日 22:14

    >しまさん

    +2
    >立ち位置と風景はよく分かるんだけど、作者(作中主体=たかみさん?)の感情みたいなものがいまひとつ伝わってこないかな。

    そうですよね。感情がつたわっていないとおもいました。ちょっと改作してみました。

    オリオンと漂える月見上ぐきみきみ見上ぐ漂える月とオリオン
  • [15] mixiユーザー

    2006年02月18日 11:17

    >きいろさん

    おそるおそるおそるお…(←もう、いいって? 笑)

    >二度目の「とほけれど」は「遠いからこそ」というニュアンスが
    >含まれてはいないかしらん。
    >ひまわりの本然のようなものを通して何かを見ている。

    はっ、としました。

    ひまわりという花の名前とか
    日向性とか、
    までが、この歌の「とほけれど」によって切なくなるような。


    >たかみさん

    すごい! すぐ改作ができるのですね。

    あ、でも少し分からなくなってしまった。
    前半は、オリオンと月を見上げているのは「きみ」ですよね。
    後半は、、、? きみを「月とオリオン」が見上げているの?

    どういうシーンの歌でどういう感慨のある歌か
    たかみさんの言葉で説明してみてもらえますか?

    詩のレトリックは技巧を優先させすぎると
    迷路にはいってしまいがちなので
    歌のメッセージを見失わないように気をつけてくださいね(^^)
  • [16] mixiユーザー

    2006年02月20日 15:43

    >しまさん

    あ、意味不明^^;になってしまいました・・・。

    前半:オリオンと漂える月を見上ぐきみ
    →オリオンと月を見上げている「きみ」に注目
    後半:きみ見上ぐ漂える月とオリオン
    →きみが見上げている先にある「月とオリオン」

    という意図だったのですが・・・。誤解を招いてしまう歌になてしまいましたね。

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