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開催終了(新生)活動案内;2015/01/31

詳細

2015年01月26日 17:40 更新

神戸・週末ボランティア 新生 復興住宅訪問活動のご案内

「1.17」を忘れない!「希望の灯り」とともに 2015

日時:2015年1月31日(土) 午後2時〜5時

集合場所・時間:長田神社前商店街入口 午後1時20分にお越し下さい。
地下鉄長田・高速長田すぐ,長田神社南交差点,赤い鳥居があるところです。
集合後,復興住宅をお訪ねします。

1月の訪問活動では、東遊園地の一角にともる「希望の灯り」の分灯をもって、阪神淡路大震災で被災された方を、神戸市内の復興住宅にお訪ねし、慰霊のひとときをともにしながら、震災のことや今お困りのことなどの「お話し伺い」(傾聴ボランティア)をします。

ご参加の際は、050-6863-1039[電話]、kobevolunteer@aol.jp[メール]、メッセージにて、予めご連絡下されば幸いです。


2015年、年間テーマ:「震災ボランティア、二十歳の原点。」

 阪神淡路大震災20年を控え、支援活動の世代交代や経験の継承が課題とされています。神戸・週末ボランティア新生では、震災の年からの活動を継承しつつ、若い世代が集まっている中、決して現状に甘んじることなく、常にフレッシュな視点と感性をもって臨もうと、年間テーマを掲げることにしました。


 神戸・週末ボランティア新生では、新たな活動主体のもとでリフレッシュ・スタートして以来、毎年1月には、三宮・東遊園地の一角にある「希望の灯り」の分灯をもって、神戸市内の復興住宅に、被災された方をお訪ねし、「お話し伺い」をすることとあわせて、犠牲になられた方を偲び、これまでの被災地に根ざし、これまでの被災者に寄り添う姿勢をさらなるものとし、「「息の長い支援」は神戸から」に、取り組んできました。

 年月を経る中で、諸般の事情で追悼行事の縮小・中止が相次ぐ中、それなら「出前」しようと始めたものですが、阪神淡路大震災20年となる今2015年には、分灯採火式に参列した後、神戸市内や阪神間で行われている行事・イベントにもおじゃまし、交流をつくり出しながら、復興住宅訪問に、あわせて、取り組んでいこうと思います。

 1回だけでも、初めてでも、お気軽に、ご一緒くだされば幸いです。

コメント(2)

  • [1] mixiユーザー

    2015年05月03日 03:33

    ・60代男性。一人暮らし。長田区で全焼。家屋が密集しているところだったので,焼けてしまった。震災直後に焼けたのではなく,風が吹いて延焼してきたわけでもなかったが,電気が通るようになってから,その製で発火したものだった。近所でたくさん亡くなった。焼けた人を次々見つけるところもあれば,シャッターが頑丈で開けられず救助できなかったりしていた。生き残る人は生き残る,つきのない人は死んでいった…。避難所になっている,学校の体育館に行ってみたら,近くの人が場所を占拠していたり,小便臭かったりした。子どもがところ構わず用を足していたようだ。カップ麺ぐらいの食事で帰ってきた。ボランティアは,自分は正義の味方で,何をしてもいいと思っているようなのがいた。NPOは,近くの人にきちんと分配していなかったり,苦労した物資の行方が気がかりで,あまり信用できない,いい加減だと思って来た。仮設住宅は,3月ぐらいから申し込んだりして,10月ぐらいにに入れた。須磨区内だが,被災場所やこの復興住宅からも遠くない場所だった。この復興住宅に入居して16年。同じ住宅に高齢男女の尊敬している友人がいて,それぞれ住居問題や,冠婚葬祭について,頼りにしている。職人には定年がないが,労基署や社会保険庁によく行った。被災後の生活再建支援について,神戸市長に上申書を送ったこともある。長くマジメに生きてきた。震災後人が変わったと言われる。震災で人生の目標が変わった。震災は悪いことではないと考えるようになった。何でも自分でするようになった。勉強になった。ウォーキング,腕立て,腹筋などをしていて,体調管理はばっちり。最期はコロッと死にたい。人間は追い詰められないと決心がつかない。仕事と寝るところがあれば立ち直れる。人は人,自分を持つと,自律することが大切。頭がぼけたら施設行きになるのはイヤだ。被災者が造る形で復興してほしい。この住宅は,旧公団(UR)から神戸市が20年期限で借り上げたもので,20年経てば出て行かなければならない。今のところまだ4年あるし,退去要請は特にないが,後2年ぐらいしたらいろいろ言われるだろう。身体が悪い人や高齢の人がこのまま。しがみついても仕方がない。また(新しいところへ)行ってもええことあるかも。支援物資で貰った古着のジャージを着て出てこられた。<玄関前でお話し伺い>

    ・80代女性。長田区で全焼。近所の9軒が全焼した。震災ではたいへんな思いしてるから…。運動場で一晩過ごした。その後,兄弟の家に身を寄せた。風邪をこじらせ,肺炎になって入院したことも。この住宅に入居して10年以上。震災後,腰痛が悪化し,今では,普通の痛み止めでは効かない。デイサービスに2ヶ月ほど行ったが,行くのは難しいと,医者にも言われている。同じ年寄りに痛いとは言えない。長い道は歩けない。外出はあまりしない。行くのは病院ぐらい。ヘルパーは頼んでいない。買い物は押し車の歩行器で。楽しみはテレビを見たり,友達と電話したりすること。震災の頃は息子も元気で,運動場を一晩中巡回したりしていた。巡回したあと知人と横になっていたが,その人も後に亡くなった。息子もこの住宅に来た年の12月に亡くなった。みんな先に逝く。近くにいる娘が来てくれる。病院のついでに食事も買ってきてくれる。具合が悪いと,娘の家に行くとちゃんとしてくれるが気を遣う。やっぱり自分の家がいい。自由にできるし。この住宅は,旧公団(UR)から神戸市が20年期限で借り上げたもので,20年経てば返還期限になるが,自分の場合は,年齢条件から,出て行かなくていいようだ。若い人はたいへん。

    ・80代女性。長田区で一部損壊。「今日は体調悪く、休んでいますので…文書にて。○震災の時、当時病院勤務(介護職)していたので、搬送されてくる患者さんも多く、受入側の看護婦、介護は少なく…ずっと泊り込みで介護職として働きました。○家の方は、娘(1人)が、彼女の友達の助けで、片付けて、なんとか生活を取り戻しました。○この住宅は、災害復興住宅として、市がURから借り受け,市営住宅として、震災後20年契約で入居したものです。契約期間が過ぎた住宅で、転居問題(西宮市の方)が色々起きているニュースを見ると、とても不安です。○又、一昨年,交通事故に遭い、7ヶ月余り●●へ入院、又皮膚病で●●へ40日間入院と、色々ありました。○このマンションは管理人さんも無く、助けて欲しい時は、今迄友達に連絡を取って、助けてもらっていました。ボランティアの人に至急連絡をとり、急な時助けて貰うことは出来ないでしょうか、(勝手なことを云って済みません。」<自身でシート記入>
  • [2] mixiユーザー

    2015年05月03日 03:34

    ・70代女性。兵庫区で被災。とくに被害はなかった。民間賃貸住宅からこの住宅に入居して2年。もうここには慣れた。UR賃貸住宅として普通に入居した。市営住宅に入りたかったが,なかなか当たらない。地方に居る母を引き取りたいと思って申し込んでいたのだが。身体は大丈夫。困っていることと云えば,仕事が無くなったぐらい。年金生活になると,ここの家賃がたいへん。<ドアを開けて応答>

    ・70〜80代男性。一人暮らし。被災後,すぐ当たったという北区の仮設住宅で5年目まで過ごした。この住宅に入居して17年。ここの生活には慣れた。身体はがたがた。ヘルパーは頼んでいない。(ここには借り上げ復興住宅として入居しているが)市からはまだ何も言われていない。他に行くところはない。<インターホン越しに応答>

    ・30代?女性。この住宅に入居して5年。UR賃貸住宅として入居。地震の時は特に困ったことはなかった。いそがしいので…。<インターホン越しに応答>

    ・30代男性。この住宅に入居して3年。愛知出身で,就職して神戸にきた。<インターホン越しに応答>

    ・70代?男性。「忙しいので…。日を改めてほしい。」<インターホン越しに応答>

    ・40代女性。「けっこうです」<インターホン越しに応答>

    ・少年。「うちの人いない。解らない。」
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  • 2015年01月31日 (土) 午後2時〜[1時20分ご集合]
  • 兵庫県 神戸市長田区
  • 2015年01月31日 (土) 締切
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参加者
1人