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開催終了(新生)活動案内;2015/01/18

詳細

2015年01月04日 00:14 更新

神戸・週末ボランティア 新生 復興住宅訪問活動のご案内

「1.17」を忘れない!「希望の灯り」とともに 2015

日時:2015年1月18日(日) 午後2時〜5時

JR・山陽垂水、いかなごのモニュメント前に、午後1時20分にお越し下さい。
(各線垂水駅東口(大阪・神戸方面寄り)山側すぐ、レバンテ垂水前の広場です。)
バスで移動、2時〜5時、復興住宅(ベルデ名谷:垂水区)をお訪ねします。 

1月の訪問活動では、東遊園地の一角にともる「希望の灯り」の分灯をもって、阪神淡路大震災で被災された方を、神戸市内の復興住宅にお訪ねし、慰霊のひとときをともにしながら、震災のことや今お困りのことなどの「お話し伺い」(傾聴ボランティア)をします。

なお、「希望の灯り」の分灯は、訪問に先立ち、1月10日午後2時、主宰者が東遊園地に戴きに参ります。もしご都合が宜しければ、こちらにもお越し戴ければ幸いです。

1月11日・18日(日)は、同一場所・時間帯での活動を計画しています。

ご参加の際は、メール、メッセージ(Facebook・Mixi及びTwitter - welove_kobeから)、にて、予めご連絡下されば幸いです。


2015年、年間テーマ:「震災ボランティア、二十歳の原点。」

 阪神淡路大震災20年を控え、支援活動の世代交代や経験の継承が課題とされています。神戸・週末ボランティア新生では、震災の年からの活動を継承しつつ、若い世代が集まっている中、決して現状に甘んじることなく、常にフレッシュな視点と感性をもって臨もうと、年間テーマを掲げることにしました。


 神戸・週末ボランティア新生では、新たな活動主体のもとでリフレッシュ・スタートして以来、毎年1月には、三宮・東遊園地の一角にある「希望の灯り」の分灯をもって、神戸市内の復興住宅に、被災された方をお訪ねし、「お話し伺い」をすることとあわせて、犠牲になられた方を偲び、これまでの被災地に根ざし、これまでの被災者に寄り添う姿勢をさらなるものとし、「「息の長い支援」は神戸から」に、取り組んできました。

 年月を経る中で、諸般の事情で追悼行事の縮小・中止が相次ぐ中、それなら「出前」しようと始めたものですが、阪神淡路大震災20年となる今2015年には、分灯採火式に参列した後、神戸市内や阪神間で行われている行事・イベントにもおじゃまし、交流をつくり出しながら、復興住宅訪問に、あわせて、取り組んでいこうと思います。

 1回だけでも、初めてでも、お気軽に、ご一緒くだされば幸いです。

コメント(3)

  • [1] mixiユーザー

    2015年04月15日 21:53

    ・80代男性。兵庫区で半壊。水屋が倒れてきて,すき間が出来たので,上の方から外へ出た。近くでは,新しい家が真っ先につぶれていたが,自分が住んでいたアパートは,古かったものの,コンクリートの瓦で,屋根が軽かったので,全壊せずにすんで,助かった。土台とかずれていたので,もう一度何かあれば大変だったろう。被災後も何とか雨露をしのげたので,自分で何とかやっていくしかないと,そのまま15年住み続けた。ケガはなかったが,年取ってどこか悪くなっていく。この復興住宅に入居して5年。光陰矢の如しで,ここへ来て20〜30年経ったような気がする。その間とくに困ったことはない。地震のときに無事だった友だちもだんだん亡くなっていった。親しかった友人も15〜16人亡くなったし,この復興住宅に来てからも5〜6人亡くなった。去年も一人亡くなった。酒飲み多いし…。気が向いたときに墓参りに行く。家事などはヘルパーを頼まず,自分で。役所の人に笑われそうなので。今迄ほとんど医者にかかったことはない,頭がふらふらするときはアスピリンを飲んで済ませ,それでもダメなら医者に行くが。今は医者もかわった。血液検査してコンピュータでガチャガチャしてやっている。昔は木綿針みたいに太かった注射針も細くなった。今は特に困っていることはない。電球が切れたらLSAに頼んだり,よく相談に行ったりする。訪問前日の1月17日,住宅内の集会所で行われた最後の震災追悼行事は,寒いので行かなかった。これまでも追悼行事には行ったことがない。集会所に行くのは選挙の投票のときだけ。他の催し物があるときは行かない。人見知りするので,なじめないので,しゃあない…。80過ぎて,今から友だち作っても…。朝起きても退屈。ここは病院にしても何にしても遠いので大変。前,住宅内に路上販売が来ていたが,来なくなった。近くのお好み焼き店もつぶれた。足が丈夫なのでどこでも行ける。よく出かける。健康のために,エレベーターを使わず階段を上ることも。(一部自己負担になった,ICカードになった敬老パスを見せていただきながら)市バスの無料券があるのでそれを活用している。この近所はあいさつ程度のつきあいしかない。このあたりは何もないのでつまらない。ファストフードなども行かない。店員の若い女の子が,早口でハッキリしゃべってくれず,よく聞き取れないから。廻りも誰も注意しないので,注したことがあった。趣味は将棋で,60年前からやっている。時間つぶすのに兵庫まで行く。そうすれば誰か相手になってくれる人がいる。住宅から少し離れた敬老施設に行けば誰か居るが,この住宅の中ではそういうわけにはいかない。集会所があっても,いつでも誰でも自由に入っていける雰囲気ではないし…。山の向こうに行けば昔の友だちが居る。今もしょっちゅう以前住んでいたあたりに将棋をさしに行っている。若いときはパチンコに凝っていて,親に怒られてやめた。その頃近くのお年寄りが将棋をしているのを見て始め,60年来の趣味になった。昔は,他の遊びがあまりなかったからか,将棋を指しているとよく見に来たが,今の子どもは,のぞきに来ない。そうして覚えていくものだが,今では50〜60歳の人も見に来ない。自分の子どもの頃は,1〜6年制が同じグループになって遊んだが,今の子どもたちは同い年同士でしか遊ばない。
  • [2] mixiユーザー

    2015年04月15日 21:54

    ・70代男性。兵庫区で全壊。新築のアパートに入居したばかりのところで震災に遭った。階下の住人が亡くなった。長くトンネルやダムの工事に携わり,震災では十五年来の同僚も亡くなった。一緒に働いてきた仲間も,心配してきてくれたりして助けられた。消息がわからなくなったりした。2〜3ヶ月公園に張ったテントで暮らしたことも。阪神高速道路の復旧作業員向けのハウスに入り,昼夜ぶっ通しで働いていた。西区の仮設住宅で3〜4年暮らした。この復興住宅に入居して16年。身の回りのことは,2〜3年前,ヘルパーに頼んでみたら,冷蔵庫にまだ残っているのと同じものばかり買ってきたりして,気が利かず,余り役に立たなかった。自分で時折スーパーまで行く。それ以外は外出せずじっとしている。昨年秋大学病院に入院し手術,今月下旬に検査がある。半端な時間ダシ遠いので行くのが大変。別の病院にもかかっている。ここへは運動がてら歩いて行く。坂道はたいへん。病院は待ち時間が大変。仮設住宅のときは友人もいて,心配してくれたりもしたが,この復興住宅に来てから友だちは出来ていない。亡くなった友人や同僚の墓参りに行く。1月17日に行われる東遊園地の追悼行事には,毎年行こうと思って来たが,今年はとくに体調が悪く行けなかった。ほんとうにごめんなさい,忘れませんから,と思いながら…。この住宅の集会所で,訪問前日に行われた最後の追悼行事にも,寒いから行けなかった。震災のことを,若い人にももっと伝えたいと思う。<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>
    「住居,●●町に入って2週間位で…。2階の人は無事でしたが,1階の人が2名なくなりました。当時は仕事で…工事中でしたが,震災時間早く無事でした。家具及び現金も見つからず,作業着のまま公園へ行きました。2週間ぐらいで,(建設業者の)ハウスで生活していましたそれから3ヶ月位で西神●●の仮設に入居して,(平成)11年5月当住宅に当りました。まず一番つらかった事は,友人・仕事仲間10人以上なくなりました。いまでも忘れることは出来ません。一番うれしかった事は全国からボランティアの方々が,高速道路工事等で,感謝の気持でいっぱいです。ありがとうございました。」<前の週の訪問予定に合わせて自身でシート記入>

    ・70代男性。夫婦2人暮らし。奥さんがもともと神戸の人だったので,北区の市営住宅に転入してきたが,老朽化したため,2〜3年して移転することになり,この復興住宅に入居して4年。ここも不便だが,前に住んでいた市営住宅はすごかった。よくこんなところに住んでいたなあと思うほどだった。それを思えばまだマシ。近所づきあいはない。奥さんと一緒に近所に買い物に行く。訪問前日の1月17日,住宅内の集会所で行われた最後の震災追悼行事は,早朝のため寝ていて行かなかった。震災に遭った人は,思いもそれぞれで,色々話すことがある人もいれば,そっとゆっくり過ごしたい人もいるのでは。ボランティアが訪問時に持参した「希望の灯り」の分灯を見て「これ何?」とお尋ねになったので説明した。<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

    ・70代女性。須磨区で全壊。避難所には行かず,身内がいた病院で避難生活を送った。仮設住宅には長く居させてもらった。その間,(先日亡くなった)黒田裕子さんにもよくお世話になった。この復興住宅に入居して9〜10年。息子がいるので,今のところ困っていることはない。この住宅の坂道も大変だが,少しづつゆっくりでも上がれればいいか。運動になるかも。今日は風邪で寝ていた。先週も風邪を引いたが,インフルエンザではなく,薬を飲んで,ちゃんと食べている。特に困っていることはない。震災のとき生後1ヶ月だった孫娘も今では大学3回生。高校生のときにも東北に行ったり,1月17日に東遊園地の追悼行事に使う竹灯籠をもっていったりしている。<玄関でお話し伺い。前週に訪問できずこの日改めて訪問>
  • [3] mixiユーザー

    2015年04月15日 21:55

    ・90代男性。兵庫区で全壊。震災のときは入院していて,自宅に居なかったが,妻と娘を亡くした。西区の仮設住宅を経てこの復興住宅に入居して15年。ここではあまりつきあいはない。(ボランティア訪問の予告ビラについて)眼も悪いし,脳梗塞の後遺症で書いたりするのもたいへん。耳も遠く,話し声がガーガー行っているように聞こえ,いいたいこともうまく言えず,さみしい。買い物もたいへん。それでも去年おととしまでは,1000円で行ってくれるタクシーを利用して,自分で行っていた。2〜3年前までは,このへんでよく運動していたが,今はもうしない。今の外出は,近くの病院や薬局に行ったりするぐらい。

    ・80代女性。兵庫区で被災。山の上の方だったので,ケガなどはなく,被害はちょっとお皿が割れた程度だった。近く小学校に1泊避難した。人がいっぱいで,トイレに行くのも大変だった。何で校庭に仮設住宅を建てないのかと思った。この復興住宅には普通の市営住宅として一般入居。この復興住宅に入居してまだ3ヶ月。戦争のときの空襲の方が大変だった。1年前に夫を亡くしてさみしい。地震のことはあまり話すことはないし,話したくもない。借り上げ復興住宅に住んでいる人はもっと大変だろう。年寄りをもっと大事にする世の中になってほしい。<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

    ・60代女性。垂水区で被災。「震災時就寝中でした。あのすごい揺れでも親子3人無事でした。一軒家に住んでいましたが,今,現在●●にいます。外壁塗装をしたばかりで,室内は壁は崩れていましたが,何の援助も受けず,今迄過ぎ,何とか現在過ごしています。近くのガソリンスタンドに,水を頂きに行ったのをよく覚えており,大変助かりました。お風呂も近く,天理教,友人,実家と,色お色お世話になりました。」<自身でシート記入>

    ・60代女性。長田区で全壊。子どもが小さかったので,避難所や仮設住宅には行かなかった。まだ大丈夫だったから…。馬国移転先を見つけた後,この復興住宅に入居して15年。この10年ぐらい体調はよくない。訪問前日に住宅内の集会所で行われた最後の追悼行事には行かなかった。これまでも行かなかった。時間も早いし,あまり震災を思い出したくないので。<インターホン越しに応答>

    ・50代男性。長田区で全焼。この復興住宅に入居して16年。「(震災のときは?)自宅は全焼。(震災後ご苦労されたことは?)避難所生活,仮設生活。(今お困りのこと,心配なことは?)将来のことが心配。(民間のボランティアなどについて)避難所,仮設の時,ボランティアの方によくしていただきました。ありがとうございました。」<前の週の訪問予定に合わせて自身でシート記入>

    ・80代女性。西宮市で被災。この復興住宅に入居して10年。「水:50日出ませんでした。瓦斯:57日出ませんでした。大変困りました。今日はお世話様です。脳梗塞にて手が震えて字が思うように書けません。あしからずお許し下さい。ご免なさい。」<前の週の訪問予定に合わせて自身でシート記入>

    ・少年。訪問の趣旨を説明すると「今,お母さんいないけど…。」学校で地震のことについて習ったり,避難訓練をしたりしている。「しあわせ運べるように」をうたった。<インターホン越しに応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

    ・80代女性。「今日は寒いですねぇ。」,(お出かけですか?)「ダイエーまで。」,「行ってきます。」(行ってらっしゃい)。<住宅内の坂道でお会いしたところにお声がけ。すぐ側には,前日,最後の追悼行事が行われた集会所が>

    ・70〜80代女性。この復興住宅に入居して7年。「ごめんね。うちは震災関係ないので。困ったことはない。忙しいのでごめんね。」<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

    ・60〜70代女性。この復興住宅に入居して2年。市営住宅の一般入居できた。今,手が離せないので…。身体悪いところはない。困っていることはない。<インターホン越しに応答>

    ・30代?女性。この復興住宅に入居して3年。地震のときは神戸にいなかった。申し訳ありません。すみません。<インターホン越しに応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

    ・60〜70代男性。「困っていることはない。身体は大丈夫です。いいです。ありがとう。」<インターホン越しに応答>

    ・70〜80代女性。「風邪引いて寝てますので…。」<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

    ・50〜60代女性。「うちはいいですよ。」<インターホン越しに応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

    ・70代。この復興住宅に入居して1年。「震災時は「神戸」にいませんでした。」<自身でシート記入>
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  • 2015年01月18日 (日) 午後2時〜[1時20分ご集合]
  • 兵庫県 神戸市垂水区
  • 2015年01月18日 (日) 締切
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1人