mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

開催終了(新生)活動案内;2013/07/28

詳細

2013年07月14日 03:52 更新

新生141回復興住宅訪問活動

今、改めて「都市型災害」を神戸に聞こう!

日時:2013年7月28日(日)午後2時〜5時

集合場所、時間:そごう神戸店前サンファーレ広場に、午後1時半にお越し下さい。
(2階山側入口前、ペデストリアンデッキの時計があるところです。阪神三宮すぐ、歩道橋でJR三ノ宮等と接続)
集合後、電車または徒歩で移動、復興住宅(神戸市営筒井住宅:中央区)をお訪ねします。

阪神淡路大震災で被災された方を、神戸市内の復興住宅にお訪ねし、震災のことや今お困りのことなどの「お話し伺い」をする傾聴ボランティアです。

ご参加の際は、メール、メッセージ(Facebook・Mixi及びTwitter - welove_kobeから)、にて、
予めご連絡下されば幸いです。  
 
若者にも被災者支援の輪 神戸市民グループ「週末ボランティア」神戸・週末ボランティアは、2013年、
サイト&コミュ管理人が主宰する「神戸・週末ボランティア 新生」のもと、
不定期ながらも毎回ニーズや課題に即したテーマを設定する新たな活動形態で、
阪神淡路大震災の被災者に寄り添い、共に歩んでいきたいと思います。


1月、3月、4月、今だからこそ寄り添おうと、パワープレイ〜ヘビー・ローテーションで、集中的に訪問活動を敢行、おかげさまで、多くの皆さまに好意的にむかえていただきました。

この間14回で、旧グループの1年分に相当する460軒余をお訪ねしました。4月13日には、通算600回目の支援活動となりました。

そこで、猛暑の折ではありますが、今季もお訪ねさせていただくことにしました。

1回だけでも、初めてでも、お気軽に、ご一緒下さればうれしいです。


 阪神淡路大震災から18年の今2013年は、関東大震災から90年でもあります。現代と近代の日本が経験した代表的な「都市型災害」と位置づけることで、被災直後から長きにわたる支援や復興のあり方、その間の社会情勢など、多くを問い直す観点となるでしょう。

 東日本大震災以来「息の長い支援」の必要性とあり方が問われる中、時間的規定に即しての理解と行動が重要であるとともに、空間的規定に則してのそれ、即ち、災害という面からみた都市問題・都市論もまた然りでしょう。

 近代・現代に限っても神戸は、大小さまざまな災害に遭ってきました。その多くは水害で、長く防災政策において重視されてきました。今なお経験者がいるうちで古いところでは、阪神大水害(1938年7月3〜5日)でしょう。戦後の高度成長期においても2度の大きな水害(1961年6月24〜27日、1967年7月9日)に遭っているほか、記憶に新しいところでは、「ゲリラ豪雨」という言葉を広めた都賀川豪雨(2008年7月28日)がありました。長く神戸の地に在る方は、これらを乗り越えてきたのです。

 また、自然災害と同じに扱うことは適切とはいえませんが、戦争も市民に災禍をもたらしました。神戸及び阪神間では、神戸大空襲(1945年6月5日)のほかにも、大小幾たびもの空襲に遭い、今なお生々しい記憶をもつ方が少なくありません。戦争を経験した世代が高齢化する中で、被害者としての側面に収斂され、加害の一端を担った世代の声が小さくなっている状況を看過することはできません。こうしたバイアスが強まる今日、貴重な声に、いっそう耳を傾けなければならないでしょう。

 そうしたことを、心の片隅において、有意義なお話し伺いを実現したいと思います。

コメント(2)

  • [1] mixiユーザー

    2013年09月20日 00:14

    ・70代男性。夫婦2人暮らし。長田区で全焼。1階で寝ていたが,2階の屋根に穴が開いて雲が見えたので,脱出できた。家財も全部焼け,パジャマ1枚で2人で逃げ回った。ケガひとつなかったのが幸いと思わないと…。いったん避難した後,戻ってみたところ,近隣では,倒壊した家の下敷きになった奥さんを,近所の人が5〜6人集まって助け出そうとしたが,火の回りが早く,迫ってきたので,救出できないまま逃げなければならなかったことが心残り。近くの小学校に避難したが,同じ長田区でも被害を免れた娘宅へ。身を寄せることが出来た。水が出るところまで下りていくのが大変だったが,学生?のボランティアが,水汲みを手伝ってくれたので助かった。仮設住宅は六甲アイランドだったので,不便だった。この復興住宅へ入居して15年。格差社会の中,どないして生きていったらいいものか。年金は減らされ,老人は早よ死ねといわれているみたい。震災後すぐ病気になった。何とか人に迷惑かけないように生きている。シンプルにしている。住宅に隣接している工場からの音がうるさい。騒音が真っ正面から入ってくる。工場のエアコンが部屋のすぐ側にあり,早くからつけられている上,土日も工事の音がする。我慢するしかない。他の復興住宅ならそのようなことはなかっただろうが,文句言っても…。数年前,住宅隣接地から異臭が発生したとき,何か言われたらそうかなと言うぐらいで,そんなに臭わなかった。その後のマンション建設工事の騒音がうるさく,体調も悪かったので,そちらの方がこたえた。4月13日の淡路島を震源とした地震の時は「よう揺れた」というくらい。被害やケガなどはなかったは,3ヶ月半過ぎた今も,壊れた家がそのままになっているのが痛ましい。半壊判定などでは,修理に補助が少なくて大変だろう。心配なのは地震で,それを思えば雨・風・水害などは心配ないが,津波は…。戦争中は田舎に疎開していたので,神戸空襲は経験していないが,遠くから見た姫路の空襲が花火のようだった。戦後,焼け野原の神戸に帰ってきて,えらいことになってると思った。ここにいたらどう逃げていいものかと。歩くのが好きで,よく山に行った。六甲山も5〜6回縦断した。今も1時間〜1時間半ほど歩くようにしているが,今日は身体を休めている。自転車も毎朝の散歩に利用。長く長田で生活していたので,便利で静かなところをよく知っている。<室内に上げていただいてお話し伺い>

    ・80代女性。長田区で全壊。2階で夫と寝ていて,床が抜けたが,下にいた息子は押しつぶされずに助かった。近くの小学校に避難,小学校なので,ラジオ体操もしていた。2階の,最も広い,図書室にみんないた。支援物資は行き渡り,寝るところも確保できた。弁当の支給のほか,炊き出しもあった。慰問に来ていた俳優が,当時小さかったが,後にNHKの朝ドラに出ていたのを覚えている。兵庫区まで風呂をもらいに行ったことも。加古川市の仮設住宅に2〜3年過ごした。この頃は,体操や踊りなどをしていた。ラジオ体操をしている人もいた。この復興住宅に入居して16年。同じ仮設住宅からこの復興住宅や,近くの他の復興住宅に来た人が何人かいるが,そうした仲間内で亡くなった人も。被災時病気だった夫は亡くなり,娘も嫁いだため,今は一人暮らし。数年前に隣接地から異臭が発生したとき,大丈夫だった。4月の淡路島を震源とする地震の時も大丈夫だった。腰を悪くし,神経を痛め,長田にいた頃からのかかりつけの所に長年通院している。長年体操などをしてきたが,あまりよくならなかった。外出時は杖ではなく,押し車を使用。住宅から国道を渡ったスーパーに,安くて広いから,よく幾。眼も悪い。歯医者は,交通費がたいへんだが,仮設住宅にいた頃からのかかりつけの所に通っている。小さい頃に遭遇した阪神大水害では家を流された。神戸空襲では,近くに焼夷弾が落ちて焼けた。<玄関前で押し車に座りながらお話し伺い>

    ・80代女性。中央区で半壊。近くの学校に1〜2日避難したところ,みんなよくしてくれた。被災時に住んでいた市営住宅に,修繕してもらって住み続けたが,老朽化による建て替えのため,すぐに当たったところに移転したら,民間からの借り上げ復興住宅だったので,再度の移転を余儀なくされ,この復興住宅へ入居して2年近く。ここは地元だが,ちょっと寂しい。引っ越し代の補助はあったが,もらえたのは何ヶ月か経ってから。足が痛くならない程度に歩き回る。杖はもっているが,使わないようにしている。戦争の時は,大阪の工場に勤労動員された。淡路島を震源とする地震があったときは,何も気付かず寝ていた。ものも落ちてこなかった。息子がちょくちょく来てくれ,何かあったらすぐ電話できるので,何も困ったことはない。
  • [2] mixiユーザー

    2013年09月20日 00:14

    ・80代男性。中央区で全壊。地震の時は三田へ仕事に行っていたので無事だった。被災後3年ぐらいで,この復興住宅に入居。いつもこの時間帯は昼寝している。今日は風があるので涼しいが,普段はもっと暑い。急にインターホンが鳴ったので出ようとしたら足がもつれて…。しんどいので寝るわ。<ドアポストに残っていた予告ビラを示しながら訪問の趣旨を説明。時間をかけて玄関までおいで下さってのお話し伺いだったが,早めに切り上げ>

    ・70代女性。夫婦2人暮らし。中央区で全壊。近くの学校に避難した後,中央区内の仮設住宅へ。仮設住宅では,周囲の人が出ていったあと,後片付けをして,最後に出た。この復興住宅へ入居して14〜15年。「何でもみなお困りさ」。買い物は自分で行く。被災後の生活環境の厳しさや疲労,ストレスから,体調が悪くなり,とくに目が悪くなった。大阪の病院まで通っているが,この近くでも,電車の乗り降りが怖い。数年前,隣接地で異臭が発生したとき,ちょっと頭が痛くなったが大丈夫だった。

    ・80代女性。中央区で被災。神戸で生まれ,長くこの近くで暮らしてきた。戦時中は疎開してちょっと遠いところにいたことも。不便なことや困ったことは別にない。「夫が呼んでくれるまで(1人で頑張って生きていく)。」

    ・70〜80代女性。「現在はデイサービスを受けていて,ヘルパーにも来てもらっています。」<インターホン越しに,玄関ドアを開け,アルミ製よろい戸の向こうから応答>

    ・30〜40代女性。「今のところ困ってないので(ボランティアは)必要ないです。」<インターホン越しに,玄関ドアを開け,アルミ製よろい戸の向こうから応答>

    ・60〜70代女性。「(ボランティアは)必要ないですけど…。」<インターホン越しに,玄関ドアを開け,アルミ製よろい戸の向こうから応答>

    ・70代男性。「今忙しいので…。とくに困っていることや,話したいことはない。」<インターホン越しに応答>

    ・70〜70代女性。「今のところ大丈夫です。」<一部開放されたドア奥から応答>

    ・70代男性。「妻の状態がよくないので…。」<玄関ドアを開けて応答>

    ・70代男性。「具合悪い。今救急車を呼ぼうかと思ったところ…。」

    ・70代女性。「せっかくですけど,うちの方はいいです。」

    ・70〜80代女性。「結構です。」<ドアを開けて応答>

    ・60代女性。「結構ですわ。」
mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!
  • 2013年07月28日 (日) 午後2時〜[1時半ご集合]
  • 兵庫県 神戸市中央区
  • 2013年07月28日 (日) 締切
  • イベントに参加する
  • 気になる!
参加者
1人