mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

開催終了(新生)活動案内;2013/04/14

詳細

2013年04月08日 02:57 更新

新生139回復興住宅訪問活動

忘れない、寄り添う、「息の長い支援」は神戸に聞こう!

日時:2013年4月14日(日)午後2時〜5時

集合場所、時間:そごう神戸店前サンファーレ広場に、午後1時半にお越し下さい。
(2階山側入口前、ペデストリアンデッキの時計があるところです。阪神三宮すぐ、歩道橋でJR三ノ宮等と接続)
集合後、電車または徒歩で移動、復興住宅(神戸市営筒井住宅:中央区)をお訪ねします。

阪神淡路大震災で被災された方を、神戸市内の復興住宅にお訪ねし、
震災のことや今お困りのことなどの「お話し伺い」をする傾聴ボランティアです。

ご参加の際は、メール、メッセージ(Facebook・Mixi及びTwitter - welove_kobeから)、にて、
予めご連絡下されば幸いです。  
 

神戸・週末ボランティアは、2013年、
サイト&コミュ管理人が主宰する新たな活動主体「神戸・週末ボランティア 新生」のもと、
不定期ながらも毎回ニーズや課題に即したテーマを設定する新たな活動形態で、
阪神淡路大震災の被災者に寄り添い、共に歩んでいきたいと思います。


3月は,阪神淡路大震災の被災地・被災者にとって「忘れ去られる月」といえるものでした。

そうしたときだからこそ寄り添おうという思いから,スケジュールを追加して,
パワープレイ〜ヘビー・ローテーションで,集中的な訪問活動を敢行,
7回で250件をお訪ねしました。

そうした積み重ねから,おかげさまで,
好意的にむかえてくださるところが増えました。

そこで今週もお訪ねさせていただくことにしました。

1回だけでも,初めてでも,お気軽に,ご一緒下さればうれしいです。

コメント(4)

  • [1] mixiユーザー

    2013年06月06日 22:51

    ・70代男性。中央区で半壊。民間マンションで特優賃を利用して住んでいたが,安かった家賃も年々上がり,蓄えも減っていった上に,病気になってからは階段を上がれなくなってしまった。市営住宅を早くから申し込んでいたが,8年目,16回目の申込みで,やっと昨年この復興住宅へ入居。もう慣れてきた。震災時は,消防団員だったので,早朝から消火活動にあたったのに始まり,避難所の設営・運営や物資の配給など,何日も不眠不休で,救援・支援活動にあたった。困った人や出来事にあって,人間の本性が現れていると感じたことも。消防車で火災現場に向かう一方,水を求めて長くホースを伸ばしていたら,その上を車が通って,ホースが破裂して使用不能になったり,ひとつ消してまた次へと,放水消火を繰り返して廻っているうちに,消防車がガス欠になってしまったことも。いったん消したり,火が出ていなかったところでも,電気の火花で発火したところもあるなど,鎮火させたのは,翌日未明の2時か3時頃だった。何も食べないまま丸1日以上出動したままで,詰所で少し休んだ後,2日目は食糧や水の配給に。310世帯分確保しなければならず大変だった。それなのに何人分ももらっていこうとする人や,飲料水をトイレを流すのにもらっていこうとする人がいた。妻が救急車で大学病院に行ったら,東京からボランティアに来た女子学生が,血も出ていないのに大げさに,転んで頭打ったと言って診てもらっていた。被災して負傷して待っている人がいるのに…。ずっと救助や支援に携わっていたらフラフラしてくるようになったので医師に診てもらったら,ずっと高血圧が続いていると言われたので,帰って休んだが,それ以来治らないままとなった。9年前に脳梗塞に。開業医にもらった薬では血圧が下がらなったため,息子に総合病院に連れて行ってもらったら,待っている間に倒れ,半身不随に。転院したが長期のリハビリは出来ず,帰宅してデイサービスを利用するようになった。外出には電動車イスを使用。フル充電に5時間かかる。ひっくり返りそうで,道路の傾斜が怖い。路肩駐車の車を避けるのに困る。ヘルパーに家事を頼むにしても時間が限られているので「いっぱいいっぱい」。食事の準備をなるべく簡単にしたり,ゴミの分別などを自分でするなど,何とか工夫してやっている。一人暮らしをしていると,自立しているとみなされ,必要な介護が受けられない。一方で自分より元気な人が介護を受けているのに…。昨日の地震では,グラグラ揺れて気持ち悪かった。ケガや損害はなかったが,エレベータが止まって困った。管理会社に電話してみたが,ひっきりなしにかかってきて対応が追いつかなかったのか,閉じこめられた人がいるところを優先したのか,昼までかかった。
    「(今お困りのこと,心配なことは?)墓参り,塵出し,衣服のほころび,手足の爪切り・逆剥け。同窓会の電車。行き帰りの乗り入れや乗り換えなど,出来たら行ける。参加したい! 病院の遠いところや,病院内の広いところで歩くのが無理。何せ年金生活なので,国民年金から介護保険,後期高齢者の健康保険を引かれるので,(介護サービスを利用するのに)なかなか自費負担では無理です。介護タクシー30分で3500円。これを過ぎると又3500円アップ。エレベーターが動かないときの介護。」<お部屋に上げて戴いてお話し伺い。自身でシート記入>
  • [2] mixiユーザー

    2013年06月06日 22:52

    ・80代女性。中央区で全壊。古い家なので倒壊してしまい,下敷きになって,気が付いたら警察のベッドに寝かされていた。西区の仮設住宅へ。お話し伺いのボランティアが廻ってきたような記憶はない。阪神大震災関係の本にコメントしたいるのがあり,もらってそのまま大事においている。この復興住宅に入居して10年くらい。ここに当たってから,ありがたい事に,困った事はほとんど何もない。数年前に隣接地から異臭が発生した時は,長期入院していたので判らない。昨日早朝の地震の時は,犬の散歩に外出していて,犬が地震でビックリしていた。エレベーターが止まって,車イスではあがれず,家に戻るのに11時までかかった。足が冷えたりしたが,それは大丈夫。だが,めったに引かない風邪を引いてしまった。
    「昨日の事,犬の散歩をしに逝った時,住宅内ですが,地震が起きてエレベーターが止まってしまって…家まで帰れなくて(車イスで移動している)ので,近所の人々がいろいろ手だすけして下さって,本当に助かりました。この住宅の人は親切な人が多くて本当にありがたい事が多い所で,本当に助かりますよ。この日も…我が家まで階段を上って行くしかないと思い,足が悪い私ですが,ボツボツ上ろうとした時も…後から助けて下さって,本当に助かりました。私は,足が悪くて車イスで移動していますので,不べんな事もお多いですが,よくこの住宅内では助けられます。」<予定時間より大幅に遅れて訪問。お部屋に上げて戴いてお話し伺い。自身でシート記入>

    ・40代男性。中央区で半壊。ケガなどはなかった。被災後は家の前に寝泊まりしていた。近くの市営住宅の支援物資をもらいに行ったりした。2〜3日すると高熱が出たが,医者に診てもらえず,医療ボランティアから風邪薬をもらっただけだった。それでも他の人よりマシ。ガスが出ない間は練炭を家の前で燃やしていた。6時間ぐらいはもった。5日ほどで仕事行くようになり,そこでも入浴できたが,北区の職場に行くのが大変だった。水には困った。配管が壊れ,1〜2週間,水道が使えなかったので,井戸水をわかして飲んだり,入浴に使ったりした。水道が使えるようになってからは,石油ボイラーを使って,入浴できるように。一度にたくさんは入れなかったが,一般の人にも入浴してもらった。この復興住宅に入居して2年だが,元もとこの地域に長く住んでいる。近所づきあいはあいさつ程度だが,同じフロアの人は知っている。被災時に住んでいた家はまだ残っている。昨日の地震は怖かった。揺れが長く,気持ち悪い感じだった。阪神淡路大震災を思い出した。気付いて起きたのは両親だけで,子どもは寝ていた。震災の時は,交代制の仕事に入る直前だったので起きていたが,眼鏡を近くにおいていたが,落ちてきたものが散らかってきたものに埋もれた中で探すのに手間取ったのを教訓にして,すぐ手が届くところにおくようにしており,それが今回活かされた。
  • [3] mixiユーザー

    2013年06月06日 22:53

    ・80代女性。中央区で全壊。水屋(食器棚)が倒れてきて足から出血,近くの病院へ。2階建ての1階がつぶれて落ちた状態になったので,窓から出入りした。避難所には入れず,近くの公園でテント生活をした。近くの会社で入浴させてもらった。被災当時60代で,避難所や仮設住宅の入居で優先されなかったが,色々してもらえた。西区の息子さん宅へ連れて帰ってもらった。ポートアイランドの仮設住宅d1年以上過ごした。ネズミが糞をするなど汚かった上,すきま風も大変だった。どうにかしてそこから仕事に行っていた。この復興住宅に入居して15年。なかなか当たらず,市会議員に言ったりもした。ここでの生活には慣れた。足が痛いので,家では寝ていることが多いが,寝たきりではない。週3回デイサービスでちゃんと入浴できて,足をちゃんとしてくれる。昨日の地震のときは「ごっつう揺れた」。ベッドにいたが大丈夫だった。近くに住む長女が電話をくれた。孫もよく泊まりに来る。週末は息子が泊まりに来てくれ,ごはんも作ってくれる。誰かが来てくれるからありがたい。心配なことはない。<息子さんが来てくれている中,ベッドの側でお話し伺い>

    ・70代女性。灘区で被災。住んでいたマンションが道沿いで大変だった中,管理人夫婦の夫が亡くなった。夫は仕事に出ていたので,自分一人で避難所へ行ったが,寝られなかったので家に帰ってきた。身内宅に身を寄せた後,東灘区の仮設住宅で3年過ごした。この復興住宅に入居して14〜15年。ここは眺めも良く,買い物にも便利。最近は病気であまりで歩かず,人にも会わない足が痛く,長時間立っているのがつらいが,少し運動するにはいい。夫も身体をこわしているが,お互い助け合っている。娘も世話してくれる。数年前に隣接地で異臭が発生したとき,異状はなかったが,その後マンションが建ってから風が強くなり,ベランダや廊下にプランラーを置けないほどに。昨日の地震は,ケガや被害はなく大丈夫だった。<御主人が丹精しているプランターが置かれている玄関前でお話し伺い>

    ・80代男性。中央区で被災。それまで住んでいた市営住宅の建て替えで,この復興住宅に入居して5年。震災の頃は,スーパーの警備の仕事をしていた。よく働いて金もあった。震災後は,オーナーの一言で,遠方からバスで従業員を集めたりして,24時間体制で臨み,若い店長も,地元のためにと必死でやっていた。トラックに満載した品物もすぐに売り切れた。震災の時の記憶といえば,トイレの水に困って,生田川まで汲みに行ったこと。妻が震災後しばらくして病気がちになり,歩けなくなりものも言えなくなる中,介護を続けて,2年前に最期を看取り,今は一人暮らし。足は達者で身体は丈夫だが,耳が遠い。血圧も高く,薬を飲まないと手が震える。昨日の地震では,別にどうということはなかった。ベッドの上で起きていて,すぐにNHKのニュースを見た。

    ・70代女性。長田区で全焼。被災後は,近くの学校の避難所ではなく,知人の会社へ避難。西区の仮設住宅で3年過ごした後,大阪でさらに避難生活を続けた。仮設住宅では,訪問ボランティアが来て,助けてくれたことも。壁の隙間から人が通るのが見えるようになって,とくに2年間ほどは大変だった。この復興住宅に入居して15年。自分たちは被災したとき,おとなしい人ばかりだった…。仮設住宅や復興住宅が建つのがもっと遅くなるだろうから,東日本大震災を思ったらまだよかった。阪神淡路大震災の頃はまだ若かったが,今はもう…。この頃は出かける元気がない。数年前隣接地で異臭が発生したとき,臭いは気にならず,異状もなかった。2年前同じ住宅で火災が発生したとき,気付かなかった。前日の地震ではとくに損害なし。
  • [4] mixiユーザー

    2013年06月06日 22:53

    ・60代女性。長田区で全壊。周りは焼けた。一度は出ることになった壊れた家に,解体するまで住んでいてもいいと言われて戻った。不便なところしか当たらないので,仮設住宅には行かず,住宅を探してあちこち廻った。3回目の抽選で当たり,この復興住宅に入居して15年。被災当時7人家族で暮らしていた。震災時4人の娘は皆中高生。学校が長く機能停止になったため,一時自宅待機になり,先生が尋ねてきてくれた。交通が不便で,通学が大変だったときも。イジメなどなく,健やかにすくすく育ってくれた。今は独立しているが皆近くにいる。数年前隣接地で異臭が発生したとき,家の中はほとんど臭わなかった。外は少し臭ったが…。皆異状なかった。昨日の地震では,下の階でも揺れたので,上の階はもっと大変だったろう。

    ・80代女性。中央区で被災。ポートアイランドの仮設住宅を経て,この復興住宅へは最初の頃に入居。当初は周囲に誰もおらず,入ってきてからもしばらくは淋しかった。デイサービスの人が色々してくれる。この復興住宅では,皆親切で良くしてくれている。中には,ありがたみを忘れている人がいるのが気がかり。膝が悪く,風呂に行って治す。さすっていて気持ちいい。もともと体操が好きで,よくしていた。医師にはボチボチ歩くように言われている。脚以外に悪いところはない。歩けなくなったときのことが心配。<予定時間より大幅に遅れて訪問。ドアを開けて応答>

    ・80代男性。中央区で被災。近くの小学校に避難,寝るところや物資はあった。住んでいた市営住宅の建て替えのため,この復興住宅へ入居して5〜6年。2年近く前まで仕事をしていた。1年ほど前から腰や足を痛め,足が前に出なくなり,今は全然歩けなくなってしまった。それまでは自分で歩けたのに…。加齢による自然なものだという。寒くなくても布団に入っている。病院から薬をもらい,ヘルパーに来てもらっている。昨日の地震は大丈夫だった。心配ごとは特にない。ここにはまあまあ,十分満足。<お部屋に上げて戴いてお話し伺い>

    ・60〜70代女性。中央区で全壊。近くの学校に避難,北区の仮設住宅では,冬は寒かったが,夏は涼しかった。この復興住宅へ入居して15年。娘や孫が近くにいるので助かっている。昨日の地震は怖かった。ここへ来て初めての地震なので。数年前隣接地で異臭が発生した時は,仕事に行っていて在宅時間が短かったため,身体に異状はなかった。<予定時間より大幅に遅れて訪問。玄関前でお話し伺い>

    ・60代女性。兵庫区で全壊。この復興住宅に入居して15年。被災当時はまだ若く,優先されなかったため,仮設住宅は遠いところしかなく,大学生と中学生だった子どもたちの学校や,交通費などが心配だったので,夫の勤め先があった尼崎に。玄関先でお話しを伺っていたところ,御主人が後から出てこられ,ボランティアの活動趣旨などを聞かれた。

    ・60代女性。中央区で全壊。家族とも誰もケガはなかった。近くの小学校に避難,仮設住宅で3年ほど過ごし,近くの公団住宅に何年か入ったが,数年前にこの復興住宅に。隣接地で異臭が発生したときのことは,あまり覚えがなく,判らなかった。ここは臭わなかった。昨日の地震ではとくに何もなかった。このままここに居れるのか心配。

    ・60代男性。中央区で全壊。この復興住宅に入居して15年。「何事につけても「さわぎすぎ」。早く忘れてしまいたい事ばかり。天災は人間ではどうしようもない事。人災ですら何も出来ないのに!! 異臭の件は別に気にかける事もなかったですよ。」<自身でシート記入>

    ・80代女性。中央区で被災。この復興住宅に入居して7年。「今はデイサービスで毎日楽しい生活してます。見守り推進員,ヘルパー2人も来てくれて幸せです。隣の方とも,こまった時は電話します。皆様のおかげで有難う。」<自身でシート記入>

    ・20〜30代女性。(心配なことやお困りごとはと尋ねたら)「あ〜,ないです。」<予定時間より大幅に遅れて訪問。ドアを開けて応答>

    ・70代?女性。昨日の地震では,電気が止まったり電灯の笠が落ちたりしたが,直したので大丈夫。<ドアを開けて応答>

    ・60〜70代女性。「すみません。断ります。」<予定時間より大幅に遅れて訪問。インターホン越しに応答>

    ・80代?女性。「具合悪くして寝てます。またの機会に。」<ドアを開けて応答>

    ・30〜40代女性。「今忙しいので…。」<インターホン越しに応答>

    ・空室。表札はあり。1月に立入検査の上鍵交換をした旨の張り紙。
mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!
  • 2013年04月14日 (日) 午後2時〜[1時半ご集合]
  • 兵庫県 神戸市中央区
  • 2013年04月14日 (日) 締切
  • イベントに参加する
  • 気になる!
参加者
1人