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開催終了福田直樹ピアノコンサート 11/13 と 15日

詳細

2009年11月12日 09:39 更新

沖縄県学校訪問コンサート100回記念

「福田直樹 ピアノコンサート」のご紹介です。


福田さんは全国を飛び回る方ですが、沖縄にもよく来られて、学校訪問コンサートを続けています。

今回は、その「沖縄県学校訪問コンサート100回記念 福田直樹 ピアノコンサート」のご紹介です。

開演1時間前より、演奏者によるレクチャーと講演があります!!
しかも破格で!!


■2009年11月13日(金) 19:00開演 18:00開場 那覇市県立博物(おむろまち)講堂 
     
     申込み  アトリエ虹色の指080−6680−0088(片岡)
                  nijiiroyubi@yahoo.co.jp
        (こちらのチケット代は芸術治療教育施設への寄付となります)

■2009年11月15日(日) 15:00開演 14:00開演 宜野座村がらまんホール
     申込み  がらまんホール 098−983−2613



■入場料1500円 学生(小中高生)500円

  ※ベートーベンCD(定価2500円)がプラス1500円で購入できます



福田直樹ピアノコンサートのプログラム冊子を入手しました。

「感謝を込めて
                     ピアニスト 福田直樹
 本日はお忙しい中をおいでいただき、ありがとうございます。思い出せば
いろいろな事がありました。船やフェリーで行った島。アップライトしかな
い今枝の音楽室でのコンサートもたくさんありました。窓から響く音に引か
れて観光客が大勢来た学校もありました。そして、どこの学校も、、沖縄らし
いあたたかいもてなしと、素敵な子供だちとの出会いがありました。
 沖縄…とても大好きです。土地が、ではなく、ここに住む人たちが好き
です。そして、素朴で人懐こい子供たちが好きです。日本のどのような物よ
りも世界に自慢できるあたたかい心を持っていると思います。
 音楽は言葉を越えます。心の世界、と言うのでしょうか。この先も、その
言葉を超えたお付き合いを、どうかお願いいたします。」


宗教改革と音楽 … ルターとバッハ

〔ルターの音楽面での功績)
 ヨーロッパの音楽、いわゆる「クラシック」と呼ばれる音楽ですが、現在では、全・世界共通の藝術として認識されています。ヨーロッパの民族的な音楽が、発達していく原点として浮かび上がるのが、マルティン・ルター(1483-1546)です。彼はドイツ民族主義的な宗教改革者として広く認識されていますが、実は、音楽の世界においても大きな功績を持つ人なのです。
 ルターはカトリックの大学で神学の教授職に就任していますが、1520年にカトリックから破門されています。当時、大学、宗教等は一部の階級の人にしか門が問かれていませんでした。そこではラテン語のみが使用されるので、教会でのミサも、ごく一部の人たちしか神の言葉を理解することができなかったのです。ルターが求めた神学的構想は「聖書主義」と言われ、聖書をキリスト教の唯一の源泉にしよう、という呼びかけです。そのためにはまず、すべての民衆が自分の話す言葉で読める聖者が必要だったのです。徹底した母国語重視を目指した聖歌と、ドイツ民謡を用いて改作したプロテスタント・コラールが、やがてバッハやベートーヴェンなどの唇借家を生み出す基礎となるのです。

〔ルターの思想を受け継いだバッハ〕
 聖書、人文、歌詞、それぞれに見事なドイツ語訳を成し遂げたルターですが、彼が本来求めたものば、ドイツ語に限った民族主義ではなく、世界のすぺての人が、それぞれの母国語で聖書を読み、母国語で聖歌を歌うことだったのです。
 ルターの精神を根底にする教会の音楽を、代々受け継いできたのがバッハー族です。すぺての民衆に分かりやすい音楽。聖書のみに真実を求めること。大バッハ(J.S.BACH)の作品の中で、主要となるものが「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」である理由は、聖書の世界を忠実に音楽で表現しようとした現われなのです。
 バッハの作曲技法において、和声(コラール)と対位法(フーガ等)は特に重要です。これは、教会における音楽の要素と密接なつながりがあります。民衆の歌う「声」を最大限に美しく響かせる中で、ルターの思想が音楽藝術の頂点を極めた姿と言えるでしょう。



チェンバロからピアノの時代へ … ピアノ生誕300年

   〔ピアノの誕生〕
 イタリア、フィレンツエに住むチェンパロ製作家クリストフオリが、強弱の付けられる楽器という意味の「ピアノフォルテ」を考案したのが1709年です。これ以前にも似たような発想の楽器はいくつか考えられていますが、クリストフォリのものは構追的に現在のピアノの原型とされるのに十分な機能を持っていました。
 当時、ホールや建造物の巨大化、そして集会などの規模が大きくなり、楽器の音量が求められるようになりました。チェンバロの大型化も進みましたが「弦を叩く」方式がやがて主流となっていきます。1773年にエスケープメント改良型が考え出されたころから実用的なものとして多くの作曲家や演奏家が使うようになりました。その後、プレルメハーニクと呼ばれるタイプのものが作られ、ウイーン式ピアノと呼ばれます。ハイドン、モーツァルト、ベートーベンなどウィーンの音楽が愛用したものです。
 1821年、フランス、エラールによって、ダブルアクションのピアノが考案され、現在のピアノまで受継がれています。



  〔ベートーヴェンと近代ピアノ奏法)

 ハイドンやモーツァルトなどがウィーンで活躍した時代は、ピアノが主流となりはじめた時代です、しかしその頃はまだ、世の中からチェンバロが消えてしまうことを想像する作曲家はいなかったと思います。モーツァルトも、鍵盤楽器用の作品すべてにおいて、チェンバロで演奏が可能なことを前提として作曲しています。
 ところが、ベートーヴェン(14歳年下)は完全にピアノ以外の使用は考えに入れずに作曲をしています。この間に、楽器製作や演奏家の活動方法、演奏会場などの状況が大きく変化したのです。
 ベートーヴェンは、広く使われるようになった改良型ピアノの特徴を完全に把握しまた演奏効果の面でも様々なアイデアを生み続lナました。彼の作品の登場により、ピアノは器楽作品の主流としての地位を得るのです。そしてこれらのことから「世の中のピアニストのルーツはベートーヴェン」とする考え方が定着しています。


誠実な人生、誠実な響き … ハイドン没後200年


   〔現代人への試金石〕

 その音楽に、凝った味付けはされていません。ドラマチックな演出も、人を振り返らせる刺激物もありません。もしも、人工的な調味料に慣らされてしまった人には、実に物足りなく感じる音楽であることでしょう。古より、自然に親しみ、素材を大切にした文化を築き上げてきた日本人でありながら、いつの頃からか求める価値が秒単位の刺激となっているように感じます。
 ハイドンのピュアな響きの本質を理解し、その飾らない音空間を楽しむ。そうした自分と向き合うことができるのか? 経済も生活も、根本的な変化を求められている時代に、試金石として与えられる音楽。ハイドンの作品は、現代を生きる私たちに投げかける課題のように受け取れます。

   〔音楽に生涯を捧ボる〕

 まずしい暮らしの中に音楽の才能を見出され、育てられた幼年時化美しいボーイソプラノを持ち、首席の座についた聖歌隊時代。声変わりとともに無一文で町に放り出された青年時代,音楽の勉強を自力で一からやり直します。その辛い生活を支えた人々への感謝を、彼は片時も忘れなかったのです。
 運よく、エステルハージ家の楽団の職を得て、30年にも及び忠実に勤めます。その誠実さから、領主だけではなく、他の楽団員からも信頼を集めたのは言うまでもありません。ハイドンの生き方、人々に対する姿勢、それらがそのまま、彼の作品のすべてに通じる音の響きでもあります。ハイドンは「背伸びをせず、自分の丈を知り、勤勉な努力を続けた作曲家」なのです。


   〔モーツァルトとハイドン〕

 同じ時代を生きた、ウィーン古典派を代表する二人です。年齢は24歳も離れていますが、それぞれの代表的な作品の作られた時期は完全に重なります。音楽的な生活環境の違いが、そのまま音楽内容の違いです。わかり易く例えると、モーツァルトとハイドンの関係は、モーツァルトと父親モーツァルトとの関係です。モーツァルト自身も、そのような気持ちでハイドンと親交を持ったのではないでしょうか。
 モーツァルトは曲芸的な演奏技術を売りに、国際的な大スターとして世界を駆け巡りました。その音楽は「よそいき」豪華な仕立て服、または大事なお客様馬おもてなし料理のようなものです。対照的なハイドンは、貴族の館に住む、日々の生活を豊かに愉しむための“暮らしの中の”音楽家。普段着の音楽。家庭科理の味です。」


音楽に浸る時間を満喫ください。

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  • 2009年11月15日 (日) 1
  • 沖縄県 県立博物館、宜野座がらまんホール
  • 2009年11月15日 (日) 締切
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