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開催終了豊橋市中央図書館第21回SPレコードコンサート

詳細

2011年10月08日 10:28 更新

第21回SPレコードコンサート開催のご案内

豊橋市中央図書館では、名誉市民・故神野太郎氏より寄贈されたSPレコード、1,070枚を所蔵しています。毎年この所蔵のレコードでレコードコンサートを開催し、広く一般市民のみなさんに、懐かしいSPレコードの音色を楽しんでいただいております。
今回は「賢治の愛した音楽、賢治の愛したレコードその2」と題して宮沢賢治の作品(エピソード)と音楽を紹介しながら賢治の聞いたレコード、蓄音機の音を聞いていただきます。



と き   平成23年10月22日(土)    午後2時〜4時
ところ   豊橋市中央図書館 3階 集会室   定 員150名(先着順)入場料無料
      〒441-8025愛知県豊橋市羽根井町48 ? 0532-31-3131
使用機器  ヴィクトローラ クレデンザ      主 催   豊橋市中央図書館
http://www.library.toyohashi.aichi.jp
レコードコンサートのページは
http://www.library.toyohashi.aichi.jp/oshirase/sonota/23sprecord/toyohashi1110-1.htm

当日は大変込み合うと思われます。会場は補助席を出して200名ほどが座れるようになっておりますが、どうぞお早めにお越しください。


曲目と賢治の作品とエピソード

1.ドヴォルザーク「交響曲第9番ホ短調(新世界より)」第1楽章
ストコフスキー(指揮)
フィラデルフィア管弦楽団
「銀河鉄道の夜」の中に次のような場面が出てきます。


さうさうこゝはコロラドの高原ぢゃなかったらうか、ジョバンニは思はずさう思いました。カムパネルラはまださびしさうにひとり口笛を吹き、女の子はまるで絹で包んだ苹果(りんご)のやうな顔いろをしてジョバンニの見る方を見てゐるのでした。突然たうもろこしがなくなって巨きな黒い野原がいっぱいにひらけました。新世界交響楽はいよいよはっきり地平線のはてから湧きそのまっ黒な野原のなかを一人のインデアンが白い鳥の羽根を頭につけたくさんの石を腕と胸にかざり小さな弓に矢を番(つが)へて一目散に汽車を追って来るのでした。
「あら、インデアンですよ。インデアンですよ。ごらんなさい。」
黒服の青年も眼をさましました。ジョバンニもカムパネルラも立ちあがりました。
「走って来るわ、あら、走って来るわ。追ひかけてゐるんでせう。」
「いゝえ、汽車を追ってるんぢゃないんですよ。猟をするか踊るかしてるんですよ。」青年はいまどこに居るか忘れたといふ風にポケットに手を入れて立ちながら云ひました。
 まったくインデアンは半分は踊ってゐるやうでした。第一かけるにしても足のふみやうがもっと経済もとれ本気にもなれさうでした。にはかにくっきり白いその羽根は前の方へ倒れるやうになりインデアンはぴたっと立ちどまってすばやく弓を空にひきました。そこから一羽の鶴がふらふらと落ちて来てまた走り出したインデアンの大きくひろげた両手に落ちこみました。インデアンはうれしさうに立ってわらひました。そしてその鶴をもってこっちを見てゐる影ももうどんどん小さく遠くなり電しんばしらの碍子がきらっきらっと続いて二つばかり光ってまたたうもろこしの林になってしまひました。こっち側の窓を見ますと汽車はほんたうに高い高い崖の上を走ってゐてその谷の底には川がやっぱり幅ひろく明るく流れてゐたのです。

「セロ弾きのゴーシュ」の中に出てくる音楽から、 シューマンの「トロイメライ」です。

 賢治もこのレコードを持っていたようであり、何度も繰り返し聞いたのでしょう。
 作品の中で出てくるのは、以下の箇所です。



2.シューマン    「トロイメライ」
カザルス(Vc)

「セロ弾きのゴーシュ」の中に出てくる音楽から、 シューマンの「トロイメライ」です。

 賢治もこのレコードを持っていたようであり、何度も繰り返し聞いたのでしょう。
 作品の中で出てくるのは、以下の箇所です。


「ああくたびれた。なかなか運搬はひどいやな。」
「何だと」ゴーシュがききました。
「これおみやです。たべてください。」三毛猫が云ひました。
ゴーシュはひるからのむしゃくしゃを一ぺんにどなりつけまた。
「誰がきさまにトマトなど持ってこいと云った。第一おれがきさまらのもってきたものなど食ふか。それからそのトマトだっておれの畑のやつだ。何だ。赤くもならないやつをむしって。いままでもトマトの茎をかじったりけちらしたりしたのはおまへだらう。行ってしまへ。ねこめ。」
すると猫は肩をまるくして眼をすぼめてはゐましたが口のあたりでにやにやわらって云ひました。
「先生、さうお怒りになっちゃ、おからだにさはります。それよりシューマンのトロメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから。」
「生意気なことを云ふな。ねこのくせに。」
 セロ弾きはしゃくにさはってこのねこのやつどうしてくれようとしばらく考へました。
「いやご遠慮はありません。どうぞ。わたしはどうも先生の音楽をきかないとねむられないんです。」
「生意気だ。生意気だ。生意気だ。」
 ゴーシュはすっがりまっ赤になってひるま楽長のしたやうに足ぶみしてどなりましたがにはかに気を変へて云ひました。
「では弾くよ。」
 ゴーシュは何と思ったか扉にかぎをかって窓もみんなしめてしまひ、それからセロをとりだしてあかしを消しました。すると外から二十日過ぎの月のひかりが室のなかへ半分ほどはひってきました。
「何をひけと。」
「トロメライ、ロマチックシューマン作曲。」猫は口を拭いて済まして云ひました。
「さうか。トロメライといふのはかういふのか。」




3.ドビュッシー   「練習曲 第1番」
ジャクリーヌ・ブランカール(Pf)

実際に賢治がこの曲を聴いたかどうか分かりませんが、セロ弾きゴーシュの中に出てくる場面がよく合うと思い曲を選びました。その場面は次のような場面です。

 ゴーシュが叫びますといきなり天井の穴からぼろんと音がして一疋の灰いろの鳥が降りて来ました。床へとまったのを見るとそれはくゎくこうでした。
「鳥まで来るなんて。何の用だ。」ゴーシュが云ひました。
「音楽を教はりたいのです。」
くゎくこう鳥はすまして云ひました。
ゴーシュは笑って
「音楽だと。おまへの歌はかくこう、かくこうといふだけぢゃあないか。」
するとくゎくこうが大へんまじめに
「えゝ、それなんです。けれどもむづかしいですからねえ。」と云ひました。
「むづかしいもんか。おまへたちのはたくさん啼くのがひどいだけで、なきやうは何でもないぢゃないか。」
「ところがそれがひどいんです。たとへばかっこうとかうなくのとかっこうとかうなくのとでは聞いてゐてもよほどちがふでせう。」
「ちがはないね。」
「ではあなたにはわからないんです。わたしらのなかまならかっかうと一万云へば一万みんなちがふんです。」
.「勝手だよ。そんなにわかってるなら何もおれの処へ来なくてもいゝではないか。」
「ところが私はドレミファを正確にやりたいんです。」
「ドレミファもくそもあるか。」
「えゝ、外国へ行く前にぜひ一度いるんです。」
「外国もくそもあるか。」
「先生どうかドレミファを教へてください。わたしはついてうたひますから。」
「うるさいなあ。そら三べんだけ弾いてやるからすんだらさっさと帰るんだぞ。」
ゴーシュはセロを取り上げてボロンボロンと糸を合せてドレミファソラシドとひきました。
するとくゎくこうはあわてて羽をばたばたしました。
「ちがひます、ちがひます。そんなんでないんです。」
「うるさいなあ。ではおまへやってごらん。」
「かうですよ。」くわくこうはからだをまへに曲げてしばらく構へてから
「かくこう」と一つなきました。
「何だい。それがドレ・・、ファかい。おまへたちには、それではドレミファも第六交響楽も同じなんだな。」
「それはちがひます。」
「どうちがふんだ。」
「むづかしいのはこれをたくさん続けたのがあるんです。」
「つまりかうだらう。」セロ弾きはまたセロをとって、かっこうかっこうかっこうかっこうかっこうとつづけてひきました。
するとくゎくこうはたいへんよろこんで途中からかっこうかっこうかっこうかっこうとついて叫びました。それももう一生けん命からだをまげていつまでも叫ぶのです。



4.サンサーンス     「白鳥」
カザルス(Vc)

 野鼠の場面にでてくる音楽はイメージとしてはサンサーンスの「白鳥」がよいと思い選びました。チェロの中に入って体が癒されていく、そんなイメージにぴったりでないかと思います。

 「セロ弾きのゴーシュ」の場面に出てくるのは次のような場面です。

「何だと、ぼくがセロを弾けばみみづくや兎の病気がなほると。どういふわけだ。それは。」
野ねずみは眼を片手でこすりこすり云ひました。
「はい、こゝらのものは病気になるとみんな先生のおうちの床下にはひって療(なお)すのでございます。」
「すると療るのか。」
「はい。からだ中とても血のまはりがよくなって大へんいゝ気持ちですぐに療る方もあればうちへ帰ってから療る方もあります。」
「あゝさうか。おれのセロの音がごうごうひ,くと、それがあんまの代りになっておまへたちの病気がなほるといふのか。よし。わかったよ。やってやらう。」ゴーシュはちょっとギウギウと糸を合せてそれからいきなりのねずみのこどもをつまんでセロの孔から中へ入れてしまひました。
「わたしもいっしょについて行きます。どこの病院でもさうですから。」おっかさんの野ねずみはきちがひのやうになってセロに飛びつきました。
「おまへさんもはひるかね。」セロ弾きはおっかさんの野ねずみをセロの孔からくぐしてやらうとしましたが顔が半分しかはひりませんでした。
野ねずみはばたばたしながら中のこどもに叫びました。
「おまへそこはいゝかい。落ちるときいつも教へるやうに足をそろへてうまく落ちたかい。」
「いゝうまく落ちた。」こどものねずみはまるで蚊のやうな小さな声でセロの底で返事しました。
「大丈夫さ。だから泣き声出すなといふんだ。」ゴーシュはおっかさんのねずみを下におろしてそれから弓をとって何とかラプソディとかいふものをごうごうがあがあ弾きました。すうとおっかさんのねずみはいかにも心配さうにその音の工合をきいてゐましたがたうとうこらへ切れなくなったふうで
「もう沢山です。どうか出してやってください。」と云ひました。
「なあんだ、これでいゝのか。」ゴーシュはセロをまげて孔のところに手をあてて待ってゐましたら間もなくこどものねずみが出てきました。ゴーシュは、だまってそれをおろしてやりました。見るとすっかり目をつぶってぶるぶるぶるぶるふるへてゐました。
「どうだったの。いゝかい。気分は。」
こどものねずみはすこしもへんじもしないでまだしばらく眼をつぶったまゝぶるぶるぶるぶるふるへてゐましたがにはかに起きあがって走りだした。
「ああよくなったんだありがたうございます。ありがたうございます。」おっかさんのねず
みもいっしょに走ってゐましたが、まもなくゴーシュの前に来てしきりにおじぎをしながら「ありがたうございますありがたうございます」と十ばかり云ひました。


5.ベートーヴェン 「交響曲 第6番 へ長調(田園)」第1楽章
トスカニーニ(指揮)
                          B.B.C.交響楽団

「セロ引きのゴーシュ」が最後に金星音楽団で合奏し大成功をした交響曲 第6番 です。賢治は随分ベートーヴェンが好きであったようで、特に交響曲 第5、第6、第9 が好きであったようです。特に第6番は最後まで手元に持っていた1枚であり、第2楽章はそのメロディーに「弓のごとく」と言う歌詞を載せて歌曲として書いてもいるのです。

 「セロ弾きゴーシュ」の場面は次のような場面です。

 それから六日目の晩でした。金星音楽団の人たちは町の公会堂のホールの裏にある控室へみんなぱっと顔をほてらしてめいめい楽器をもって、ぞろぞろホールの舞台から引きあげて来ました。首尾よく第六交響曲を仕上げたのです。ホールでは拍手の音がまだ嵐のやうに鳴って居ります。楽長はポケットヘ手をつっ込んで拍手なんかどうでもいゝといふやうにのそのそみんなの間を歩きまはってゐましたが、じつはどうして嬉しさでいっぱいなのでした。みんなはたばこをくはへてマッチをすったり楽器をケースヘ入れたりしました。
ホールではまだぱちぱち手が鳴ってゐます。それどころではなくいよいよそれが高くなって何だかこはいやうな手がつけられないやうな音になりました。大きな白いリボンを胸につけた司会者がはひって来ました。
「アンコールをやってゐますが、何かみじかいものでもきかせてやってくださいませんか。」
すると楽長がきっとなって答へました。
「いけませんな。かういふ大物のあとへ何を出したってこっちの気の済むやうには行くもんでないんです。」
「では楽長さん出て一寸挨拶して下さい。」


〜 休 憩 〜


6.ベートーヴェン「ヴァイオリンソナタ第9番 イ長調 Op47第一楽章」
シモン・ゴールドベルク(Vn)
リリー・クラウス(Pf)

宮沢賢治は花巻脳学校時代たびたびレコードコンサートをしているのですが、その中でも農学校教師最後の日、すなわち大正15年3月24日(卒業式の日)に「ベートーヴェン100年記念コンサート」と銘うってレコッドコンサートを開いています。
 最初にレコードがかけられたのがヴァイオリンソナタ第9番(クロイツェルソナタ)でした。




7.ベートーヴェン「交響曲 第5番 へ長調(運命)第1楽章」
フルトヴェングラー(指)
               ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

「ベートーヴェン100年記念コンサート」の最初にかけられた曲がクロイツェルソナタですが、2曲目からはベートーヴェンの交響曲の4番から8番までをかけたようです。ただ時間からしてそれぞれ全楽章をかけたとは考えられないので、賢治の好みの楽章のみをかけたのではないかと思われます。
 特に交響曲5番(運命)は賢治の好きな曲だったようで運命の初録音のニッキッシュ盤を聞いたときには「運命が扉をたたく音だよ」と感激して言ったと言う事でした。また、しばらくして他のレコードも入手したようで(それは、たぶんフルトヴェングラー盤と思われますが)それを聞いて「繰り返し繰り返し我らを訪れる運命の表現の素晴らしさ、おれも是非共こういうものを書かねばならない。」と言っていたということです。この音楽から受けた感動から詩集「春と修羅」が出来上がっていったようです。



8.ベートーヴェン  歌曲「アデライーデ」
シュルスヌス(Br)
フランツ・ルプ(Pf)

 「ベートーヴェン100年記念コンサート」はクロイツェルソナタと交響曲第4番から第8番までの5曲で終わっているのですが、実はこのレコード演奏会には独唱も計画されていたらしいのです。もちろんその曲が何であったかは分からないのですけれども、今回このコンサートでかける「アライデ」は有名な曲であるのでこの曲を独唱させようとしていたのかもしれません。独唱者は花巻小学校の女性教員に頼んでいたらしいのですが、当日その教員が現れず、独唱はキャンセルされたという事です。因みにその女性教員に賢治は思いを寄せていたようです。

 その歌詞は

ひとりぼっちで君の友は春の庭をさまよう
愛らしい魔法の光にやさしく包まれて
光は揺れ動く花でいっぱいの枝の間より漏れてくる
アデライーデ!

光を映すせせらぎに、アルプスの雪の中に
夕暮れに金色に映える雲の中に
星の世界に 君の姿が輝いている
アデライーデ!

夕べの風は若葉の中でささやく
五月の小さなスズランは草むらの中で鳴っている
波はざわめきナイチンゲールは歌う
アデライーデ!

いつの日か、おお奇跡よ!ぼくの墓の上に咲き出るのだ
ぼくの心臓の灰より生まれた一本の花が
その紫の葉の一枚一枚にくっきりと映し出されるのは
アデライーデ!




9.モーツァルト 「レクイエム」より レクイエム キリエ ラクリモーサ

 ヴィクトル・デ・サバタ指揮
ローマ交響楽団&合唱団
ピア・タッシナーリ(S)
エベ・スティニャーニ(Ms)
フェルッチョ・タリアヴィーニ(T)
イタロ・ターヨ(Bs)

モーツァルト「レクイエム」は彼の最後の作品で、たぶん本人も死期をさっとって作曲しているような作品です。また、宮沢賢治の最後のノートにあまりにも有名な「雨ニモマケズ」があります。この詩は続きがあって、「南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華教 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩」という御題目が続きます。たぶん死を覚悟した賢治がこの詩を書いているのだと思います。そう言う意味でモーツァルト「レクイエム」も賢治の「雨ニモマケズ」死に向き合ったものが慰めをもってかかれたものではないかと思います。




使用機器について
 使用する機械は ヴィクトローラ クレデンザです。1925年にアメリカで製造され、箱の中に木性ラッパが折りたたまれて入った蓄音器です。家具のように丁重な作りと、その豊かな再生音で音楽愛好家に愛用されております。



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