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開催終了中原中也

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2010年04月27日 14:00 更新

「汚れちまった悲しみに」

汚れちまった悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れちまった悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れちまった悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れちまった悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

        《山羊の歌 より》


「骨」

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ
ヌツクと出た、骨の尖。

それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。

生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑しい。

ホラホラ、これが僕の骨−
見てゐるのは僕?可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?

故郷の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて
見てゐるのは、−僕?
ちやうど立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがってゐる。



中原中也ダダイズム、生い立ちより

中原中也という詩人が、その文学的な出発点に於いて持っていた自己内部に対する倫理的な認識の本質は「原罪」的な意識と呼んでも差し支えないものであった。ただ、中原の場合は、彼自身にとって生まれながらにして「善」であり、純粋な存在であった自己が、社会・外界側に起因する多くの作用(家族や学校などを含む)によって、否応無く「悪」を内部に植え付けられ不純な存在へと転化せざるを得なかった、と解釈することによって自己の正当性を根拠付け、更には外部に向かって発揮される独特な被害者意識も、彼の内部では正当なものとして位置付けられるようになった、という点に留意しなければならない。

彼の短い30年ばかりの生涯を通して真の信仰が成立していたのかどうかは、詩文の解釈の仕方によって意見の分かれるところだが、悪の自覚によって生じた「魂の解放」への間断なき欲求が、中原の中で常に燃え続け、彼を背後から押し続けていたことは事実だ。

中原が一方で愛についてくどいほどまで語りながら、他方では凡人の半ば無意識的な生き方をあざ笑う、という一見矛盾した行為も、彼自身の内部に「悪」を否応無く持ち込んだ外界に対する抵抗の現れであり、また、悪に無関心な一般人(自分以外の存在)に対する警鐘の意味が込められていた。彼は市井に暮らす人々の中に、自己と同質の悪の部分が存在することを見て苛立っていたのであり、中原は創作活動を通じて正確に自分自身を批難し続けていたのである。

彼の二つの眼に映るあらゆる人物の像は、常に自己像の一部と重なり合い、また微妙に食い違って見えていた。「悪」に対する飽くなき告発と分析の作業は、中原にとって、既に血肉の一部分が悪によって汚染されてしまった自己の純粋性の回復と、魂の完全な復活を自らの手で獲得するために、どうしても行わなければならない日課であった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8E%9F%E4%B8%AD%E4%B9%9F



中学時代、思春期の反抗精神真っ只中の自分にとって、中也のシニカルな詩は、自分を代弁してくれているようで妙に心地よかったのを憶えている。
自分とは?親とは?友人とは?先生とは?など色んな人間関係の中で必死に自我の独立を願いながらも、でも親離れできずに口だけ生意気に反抗していた、未成熟な私を思い出した。

ご参考まで。

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