mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

開催終了過労死裁判

詳細

2011年12月31日 02:27 更新

2001年(平成13年)12月16日 夫が自死。
広島県尾道市にて。県立高校教員の過労自殺。

事件後 4年目から やっとの思いで 労災を請求。

3年かけて基金に請求して 労災認定してもらえなかったため
労災基金にたいして認定を求める行政裁判。

現在 過労自殺 労災裁判闘争中。

第3回法廷は 5月18日 10時から 広島地方裁判所305号


応援して下さる方 『天ちゃんママ♪♪』のページに 是非メッセージを
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=36627564




下記はYAHOOブログより転載させて頂きました。

先日原告であるM和子さんから、裁判を傍聴したことに対するお礼のお手紙をいただいた。

その手紙には、当日法廷で和子さんが冒頭に述べられた意見陳述書のコピーが同封されていたので、

改めて和子さんのご了解を得てマイミクの皆さんにその陳述書を公表させて頂きます。


意 見 陳 述 書
2011年(平成23年)1月20日
広島地方裁判所 御中
原告 M 和子

私はMの妻 和子と申します。

平成13年12月16日、町はクリスマスムードでにぎわう中、突然夫が行方不明になり、

大変心配しながら一夜を明かし、早朝より因島高校の先生方による捜索隊が動いてくださいました。

午前11時半ごろ校長先生より電話をいただき「奥さん申し訳ありません。

自殺死体で発見されました」と報告を受けました。

夫は私と子供たちにとってかけがえのない大切な存在でした。

私は頭の中が真っ白になり、世界がひっくり返ったような強い衝撃を受けました。

残された3人の幼い子供は、その時、小学2年・幼稚園年中・5カ月の赤ちゃんでした。

お父さんが大好きな、子供たちと私を残して自ら命を絶つなんて信じられませんでした。

子供たちに夫の死をどう伝えていいかも分からず、悲しみでいっぱいでした。

夫は愛情たっぷりの人柄で人を育てる心を持ち、子煩悩で子供たちをとても可愛がっていました。

夫婦仲もよかったので、私はそのショックで体が半分なくなったような感覚になりました。

目に映る景色は、ぼんやりとした感じになり、色のない白黒の世界に変わりました。

葬儀のあいだじゅう、小学2年の長男が涙をボロボロ流していた様子は一生忘れることが出来ません。

私は産後で、授乳中のデリケートな時期であったので、夫の自殺のショックからひどいダメージを受けて、

PTSDの症状とうつ状態等長期にわたって精神を患う結果になりました。

夫のいちばん近くにいたのに助けられなかった「自責の念」毎日襲って来る「悲しみ」と「恐怖感」、

私は悲惨な体験をした後遺障害からうつ状態になり、以後9年間、精神科の薬を欠かせない状態になりました

身近な人が自殺したことで「死」を身近なものに感じ「生きるのが辛く」「死んだほうが楽」

「生きているだけで精一杯」という気持ちになりました。

うつ病が重症化した時「死にたくなる」「生きるのが辛い」病気であること、

亡くなった夫の辛さを身にしみて理解できました。

夫の死後、私は日々寝込むことが多く、家事・育児も思うようにならず、病院通いが続き、

子供にも寂しい思いをさせてきています。

その結果、精神科の診断書により精神障害者手帳の2級に認定されました。

このような状況のため、公務災害の認定審査の手続きも自分ですることが出来ませんでした。

子育てを手伝ってくれていた実家の父や、教職員組合の方々と相談した結果、

夫の死を時効で終わらせるべきではないと判断しました。

そして公務災害の申請書を提出することとし、その後の手続きも父が代行してくれています。

けれども、平成22年5月、あれだけ多くの証言や訴えにも関わらず、

年金基金から夫の死は公務災害とは認められないという判断が下されました。

公務災害が認められなかった後も、今日まで父は、事件当時の事情をもっと明らかにしようと、

何度も因島方面に行って、何人もの関係者の方々を訪ねて、話を聞いて回りました。

夫が因島高校で担任をした1年1組、2年1組の生徒だった方々の中にも、

父の調査に協力をし、事情をお話ししてくれる方々がいました。

その聞き取り調査の結果を父から聞きましたが、皆さん夫の死が今でも強く心に残っていて、

それぞれの立場から、夫が教師としての仕事で苦しみ、もがいていた事情をお話ししてくださっていることが

わかりました。

話すのが辛いようなことを打ち明けてくださった方もいました。

病気になる前の夫は趣味が広くて、よく体を動かし、明るくひょうきんでよく笑わせてくれて、

一緒にいるとよくリラックスでき、その場を和ませる最高の人柄でした。

登山、スキー、演劇等、広い趣味の世界を一緒に体験できたことは、今でも私の宝物です。

又、教師としての夫は本当に生徒たちのことを大切にしていました。

いい加減な接し方ではなく、体を張って、生徒の将来を考えて行動していました。

これは一貫した姿勢なのだと本人も話していましたが、夫の長い付き合いのある先生方や

因島高校の同僚、生徒、保護者の方も口をそろえて証言をされており、私はこのことに誇りに思っています。

そんな夫は、異常な状況にあった因島高校でも、教師としてのまっすぐな姿勢を貫こうとしていました。

今迄の学校に比べて仕事が大変そうで、疲れた様子を見せることが多く、

「休みを取ったらどうですか」と夫に休むことを勧めましたが、責任感の強い夫は休もうとはせず、

膨大な量の仕事を抱え込んでいて、そばで見ていてとても心配でした。

とても身近な同僚のMO先生が仕事に悩まれ自殺されたとき、

私は3人目の子供が妊娠8カ月の身体でしたが、身近な先生の自殺のショックを強く受けている

夫の様子を見て私も不安で一杯になりました。

この事件を境に夫は明らかに状態が悪くなりました。妊娠中の私をいつも気遣ってくれていたのに、

理由もなく大声を出したり、急に怒り出したりの変化にびっくりしました。

私は職場の事情を深くは知りませんでしたが仕事量も多く、生徒さんが荒れていて大変なこと

同僚の先生の人間関係が悪い等大変なストレスを受けていることは夫から聞いており、

あまりにも表情が暗くしんどそうなので、私は、3年間まで許されていた長期休暇を勧めていました。

半年間の休職の後、職場へ復帰した夫は、わずか半月で自殺してしまいました。

一番残念なのは、復職後に職場で仕事の環境への配慮がなかったことです。

夫は登校し始めてすぐに「時間がないんだ、忙しいんだ、やることが山ほどある」と言って

思うように通院も出来ず、授業の準備、係の仕事、成績をつけること、パソコン入力、

学期末のあわただしさ等に苦しんでいたようでした。

特に悩んでいたのは、前と変わらない荒れた教室の状態、

休職中にパソコンシステムのデータ入力方法が変わっていて、操作を教えてくださる先生が

いらっしゃらなかったことでした。

仲間意識の薄い職場に加えて、病休で迷惑をかけたとの気持ち、更に、皆さんが忙しい時期で

自分の仕事だけで精一杯の状態なので、教えてほしいと頼むことが出来ないと夫がこぼしていました。

1年生の担任の時から積りに積っていたストレスに、MO先生の自殺が引き金になり、

顔の表情や体調が悪化していきました。

そんな疲れ切った状態のときに起こったのが、5月11日に発生した教室での出来事です。

「お前なんか死んでしまえ!」「担任でなければよかったのに!」等の生徒からの暴言は,

生徒と心の繋がりを大切にしていた夫にとって、大きな衝撃だったと思います。

夫の当日の手帳メモには「このことは、耐え切れなくなって、体を支え切れなくなったことへつながった

最後のさいごの出来事といえるだろう」と記されていました。

職場でのストレスが原因で発症していたうつ病なので、配置転換など環境への配慮があって

当然だったのではないでしょうか。

うつ病になるほどに追い込まれたのは、因島高校の2つの高校が統合される中での異常な職場環境、

荒れた教室での授業、教師間の感情の対立、大きな問題・課題のある生徒を抱えた悩み、

クラブ活動等々の積り積ったストレスが積み重なったためだと思います。

うつ病の大変さ、苦しさは、私も同じうつ病になって初めて分かりましたが、

この病気は、周りの人から見ると、本当に理解されにくい病気だと思います。

学校の管理職の方も、うつ病に対する理解はほとんどほとんどなかったのではないでしょうか。

主治医の先生と連絡を取る等、対策を取ってくだされば、少なくとも夫を死に追いやることだけは

防げたように思います。

職場で孤立化し、悩み、苦しみ、自殺に追いやられた夫が、日々学校でどんなことが起こっていたのか、

何に苦しんでいたのか、そうした中で,何を頑張っていたのかを明らかにして頂くために、

今回の裁判の原告となることを決意しました。

裁判官の皆様、また、今回の裁判に関わって頂いている皆様には、

なにとぞ、夫が自殺に追い込まれた原因を明らかにしていただきますようお願いいたします。

仕事に対する挫折感、うつ状態は経験してみないと分かりにくい病気ですが、

是非とも弱者の立場に立った判定をお願い申し上げます。
  

以上が原告であるM和子さんが当日法廷で冒頭に述べられた意見陳述書です。

Mさん一家にとって、皆さんの一言のサポートがどんなに心強いものか、

想像に難くありません。よろしくお願い致します。

言うまでもなく、私は特定の宗教・思想・組織に関与している者ではありません。

最初に述べたように、私は去年広島で行われた朗読劇「少年口伝隊1945」で

原告の長男であるM君と共演したキャストの一人です。

そういったご縁でこの裁判を傍聴して、一人でも多くの人にこの事件の実態を知ってもらいたいと思って、

この日記を通じてお願いしている次第です。

何卒よろしくお願い申し上げます。

コメント(8)

  • [1] mixiユーザー

    2011年05月09日 19:57

    傍聴します。
  • [3] mixiユーザー

    2011年05月19日 07:14

    昨日、裁判傍聴してきました。

    平日に関わらず多数こられてましたね。

    次回は8月とのこと。働く者の判決がでることを祈ってます。

    久しぶりに門田さんにお会いしました。
    東日本大震災へボランティアに行かれるそうです。
    私にも声をかけてくれて嬉しかった。

    弁護士は反貧困ネットワーク広島代表の山田先生なんですね。
    行って知りました。

  • [4] mixiユーザー

    2011年12月10日 01:04

    ☆第6回公判☆

    『因島高校教諭自死公務災害認定訴訟』

    12月14日(水曜日)、午前10時から

    広島地方裁判所(広島市中区上八丁堀2番43号)

    305号法廷

    一人でも多くの人に傍聴してもらいたいです。

    閉廷後、裁判所に隣接する弁護士会館において

    弁護団による状況説明があるとのこと。

    全部で約1時間〜1時間半ほどの予定だそうです。
  • [5] mixiユーザー

    2013年02月02日 09:05

    天ちゃんママ♪♪さん、裁判勝利おめでとうございます。
    信念をとおすことの大切さをあらためて実感しています。


    下記は時事通信より

    2001年にうつ病で自殺した広島県立因島高校(尾道市)の男性教諭=当時(41)=の妻が、公務災害の認定を求めた訴訟の判決で、広島地裁の森崎英二裁判長は30日、「生徒からの『死ね』などの暴言で精神的ストレスが悪化した」として自殺との因果関係を認め、地方公務員災害補償基金(東京都)の不認定処分を取り消した。
     森崎裁判長は、担当したクラスで生徒らの授業妨害や、教諭への「死ね」「学校に来るな」などの暴言、胸ぐらをつかむといった行為が頻繁に行われていたと認定。「平均的な高校教諭が経験するクラス状況とは考えられず、公務による精神的ストレスが原因でうつ病を発症した」と判断した。
     判決によると、教諭は1999年4月に同校に赴任し、01年5月ごろうつ病を発症。同年12月16日に市内の山林で自殺した。同基金広島県支部は07年、自殺は公務外災害とした。(2013/01/30-18:50)
  • [6] mixiユーザー

    2013年02月02日 09:06

    読売新聞より

    教諭の「重い精神的ストレス」指摘…地裁判決
    広島県立高校の男性教諭(当時41歳)のうつ病による自殺と、公務の因果関係を認めた30日の地裁判決は、「学級崩壊」に直面した男性教諭が、精神的ストレスを抱えながら周囲の支援を受けられなかった職場環境の実態も指摘した。

     判決によると、男性教諭は1984年に教員採用され、県内の2高校で計15年の勤務経験を経て、99年に赴任した。

     この高校は、学力などが大きく異なる2高校が統合した直後で、旧高校の教職員グループ間で教育理念や指導方針を巡って激しい対立が存在したという。

     森崎英二裁判長は、生徒による暴言、暴行に苦しんでいた男性教諭は、「客観的にも重い精神的ストレスを抱えていた」と認定した。

     その一方で、学校については、「教員集団としてのまとまりが欠け、個々の教員の問題を学校全体で支援する雰囲気にはなく」「教諭は、職場環境自体が精神的ストレスになっていた」と指摘した。

     2001年12月に自殺した男性教諭が生前、手帳などに書き残していたメモにはこんな言葉が残っていた。

     〈二つの学校の対立〉〈教員の対立〉〈信頼できる人ができない〉

     男性教諭は、同僚から「真面目」「責任感が強い」などの評価を受けており、問題行動を起こす生徒を見て見ぬふりをせず、注意を続けていたという。

     阪根健二・鳴門教育大大学院教授(学校教育学)は「教職員の仕事には生徒指導以外にも様々な業務があり、ストレスも多い。真面目な人ほど悩みを一人で抱え込みがちで、周囲がいち早く察知できる仕組み作りが必要だ」と話す。

     県教委は2004年に校長らが教職員の健康状態を把握するためのマニュアルを、12年にはうつ病になった教職員からの聞き取りでまとめた事例集などを製作している。

     県教委は「教職員同士が互いにチェックし、早期発見、早期対応ができる状況を作りたい」とする。

    義父、安堵の表情
     判決後の会見で、教諭の義父(75)は「家に帰ったら仏前に報告してやりたい」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

     提訴後、「自殺の理由を知りたい」と当時の生徒や教職員など計約150人に対しアンケートを行った。約50人から届いた回答には、〈先生に申し訳ないことをした〉〈これまでで最高の先生でした〉と書かれたものもあり、裁判の証拠として提出した。義父は「(教諭の)思いは生徒に確実に届いていたと思った」と話した。

     原告側の山田延広弁護士は「判決が、職場で大きなストレスを抱える教師の実情に目を向け、(公務災害の)適正な認定方法に見直すきっかけになれば」と語った。

    (2013年1月31日 読売新聞)
  • [7] mixiユーザー

    2013年02月02日 09:07

    産経新聞より
    教諭自殺 公務外認定取り消し 遺族「認められほっとした」 広島

    2013.1.31 02:10
     県立高校の男性教諭=当時(41)=の自殺をめぐり広島地裁が公務と自殺との因果関係を認める判決を言い渡した30日、公務災害を主張してきた遺族は「教師としての姿勢が認められた」と安堵(あんど)の表情を見せた。

     教諭は平成11年4月にこの高校へ赴任。近隣高校との統合直後で、生徒間や教師間の対立で荒れた環境の中で体調を崩し、13年5月に鬱病と診断された。同年11月には校長の求めで復帰したが、再び生徒から暴言を受けたことなどから、12月に自殺した。

     遺族は地方公務員災害補償基金県支部に公務災害認定を求めたが、同基金県支部は19年、公務外と認定。同基金審査会に行った審査請求も棄却されたため、22年11月に認定処分の取り消しを求めて提訴した。

     裁判で遺族は当時の同僚や在校生にアンケートを実施し、結果を証拠として提出した。これらの回答で校内の状況が浮かび上がり、教諭に暴言を吐いたことを告白し、謝罪する内容のものも含まれていた。

     会見した教諭の義父(75)は「(教諭が)指導の中で注いだ情熱は通じていたことに気づいた」という。教諭の自殺から今年で13年。教諭の妻は、ショックからいまだに立ち直れずにいるという。義父は「仏前に喜んで報告できる」と話した。
  • [8] mixiユーザー

    2013年02月02日 09:10

    日本経済新聞より
    「生徒の授業妨害でうつ病」 広島の教諭自殺、公務災害と認定

    広島県尾道市の県立高校に勤めていた男性教諭(当時41)の自殺をめぐり、妻が「勤務中のストレスが原因」として公務災害の認定を求めた訴訟の判決で、広島地裁は30日、公務外と認定した地方公務員災害補償基金広島県支部の処分を取り消した。

     森崎英二裁判長は判決理由で「生徒による授業妨害行為や暴言を受けるなど過重な公務による精神的ストレスが積み重なり、うつ病を発症した。職場復帰によって病状が悪化し、自殺に至った」と指摘し、公務と自殺との因果関係を認めた。

     判決によると、教諭は1999年4月、この高校に赴任。担任する生徒から「死ね」「学校来るな」などの暴言を受け、生徒から胸ぐらをつかまれたり、小突かれたりした。この間、指導方針をめぐる教員間の対立や、高校の方針に反対した同僚の自殺などでストレスが一層増大。2001年5月にうつ病と診断され、同年12月に自殺した。

     その後、妻が公務災害の認定を求めたが、同基金広島県支部は07年12月、教諭の自殺を「学校での勤務と因果関係はなかった」として公務外と認定した。

     教諭の義父(75)は判決後の記者会見で「教育現場で先生が生徒を育てることに集中できなくなりつつある。判決が(その改善に)少しでもいい影響を与えられればいい」と話した。〔共同〕
mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!
  • 2012年02月15日 (水) 水曜日、午後1時10分
  • 広島県 広島地裁305号
  • 2012年02月15日 (水) 締切
  • イベントに参加する
  • 気になる!
参加者
2人