ただま、「どういう音楽(北川さんの言葉で言えばシステム)の侵入によって形成された身体が、どういう学問的方法論を使ってるか」という差異は、なかなかメタ言説の水準で理論しがたいわけで。「建設的ではないが愉快」な発表時間に起きた出来事とは、その水準差を「見なかったことにする」音楽学者の(まれな)美学的言明です。実際、彼女くらいしかああいったout of PCな(笑)ことを言ってくれる人はいないわけです(言語化できない実践者か、言語化しようとしない臆病な音楽学者か、どちらかしかいない。稀に言語化しつつそれを批判するカテゴリを意識的に選択する人はいて、例えば森さんとか、さらに敷衍すると渡辺裕師匠などになる)