Hi-STANDARDのデビューから16年、TYUNKそしてULTRA BRAiNのプロジェクトを経て今年3月遂に発表した初のソロアルバム【THE WORLD iS YOURS!】を引っさげて難波章浩が大阪に帰って来る! 2008年6月28日、アメリカ村の雨空にまるで奇跡が起こったかの様に鳴り響いたモッシュアンダーザレインボーから2年。
1991年、Hi-STANDARD結成。アルバムとしては、ミニアルバム『LAST OF SUNNY DAY』(1994)、1stアルバム『GROWING
UP』(1995)、2ndアルバム『ANGRY FIST』(1997)、3rdアルバム『MAKING THE
ROAD』をリリース。早くからスナッフ、グリーン・デイ、オフスプリング、NOFX、ブリンク182等の海外バンドとの共演で注目を集め、海外でもNOFXのファット・マイク率いるFATレコーズよりアルバムがリリースされ、アメリカ、ヨーロッパをツアーで回るなど、その活動は日本国内にとどまらないワールドワイドなものだった。また、早くからライブハウスだけでなく、スケーターやスノーボーダー等にも大きく支持され、日本のストリート・カルチャーの重要なキャラとしての人気も誇った。1999年には独立して自らのインディ・レーベル
PIZZA OF DEATH RECORDSを設立し、『MAKING THE
ROAD』はインディーズとしては異例の100万枚のセールスを記録。また自ら野外フェス「AIR
JAM」を企画し(1997、1998、2000年の3回)、日本のバンド・シーンを大きくリードした。フェスで言うと、1999年のFUJI ROCK
FESTIVAL GREEN
STAGEでの海外勢にひけをとらないライヴも伝説となっている。Hi-STANDARDは、2000年8月に千葉マリンスタジアムで行われたAIR JAM
2000を最後に活動休止。 その後、沖縄に移住し、DIYでスタジオを建築、打ち込みの音楽制作を追求。2005年、呉我音響を設立し、V2
RECORDSと契約。「TYUNK」、「なんばあきひろ&宇宙船地球号」と2つの名義でシングルを同時リリース。2006年にはULTRA
BRAiN名義でシングル「GHOST BUSTERZ」、DJ KENTARO、ARRON JEROME等が参加したリミックスEP「ULTRA
MiX」、アルバム『NEO PUNK』をリリース。国内のみならずイギリスのV2からも海外リリースを果たしている。 2007年以降AKIHIRO
NAMBA名義で積極的にクラブ・シーンでのDJプレイ、ライヴ活動を展開。AIR、WOMB、UNIT、大阪名村造船所跡などで行われた、DJリーサル、MSTRKRFT、2
many
djs、TIGA、SOULWAX等の海外のクラブ・ミュージックの大物との共演では、会場を完全にロックした。2008年からのライヴではドラムで恒岡章がたびたび参加している。一方、コラボレーションも積極的に行い、2007年には、THE
MAD CAPSULE MARKETSのヴォーカル KYONOのソロプロジェクト WAGDUG FUTURISTIC UNITYの1stシングル「ILL
MACHINE」に参加。映画『EX MACHINA(APPLESEED
SAGA)』の挿入歌となり、1stアルバム『HAKAI』にも参加。また、同年11月には大沢伸一とのコラボで、「our
song」の歌詞とヴォーカルを手がけ、SHINICHI OSAWA名義のアルバム『THE
ONE』に収録され、クラブ・アンセムとして人気曲となった。同11月にはNEWDEALのアルバム『GRIMY』の収録曲「Hardcore You
Know」で歌詞、ヴォーカル、ベースで参加。2008年9月には、チベットとダライ・ラマを支援するアーティストが集結したコンピレーション・アルバム『SONGS
FOR
TIBET』に難波章浩として参加。2009年3月には、日本人アーティストによるチベット支援コンピレーション『ソングス・フォー・チベット・フロム・ジャパン』の制作を企画。他にもコンピレーションでは、クリエイティヴ集団PUBLIC/IMAGE.が主宰する『PUBLIC/IMAGE.SOUNDS』、雑誌LOUDが主宰するコンピレーション『ELECTRO
EXPRESS』にそれぞれ難波章浩として参加している。そして、2010年3月3日「難波章浩-AKIHIRO
NAMBA-」名義で初のソロ・アルバム「THE WORLD iS YOURS!」をリリース。