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開催終了ダモ鈴木、ドロロニカ、FU-MU!!

詳細

2011年08月14日 16:57 更新

今日です!!
ドイツのバンド、CANの元ボーカリストダモ鈴木氏来日公演!!

2011/08/14(日)
Zion Presents
「Damo Suzuki's Network "Never Ending Tour Japan 2011"」

@上前津CLUB Zion


OPEN / START - 18:00 / 18:30
ADV / DAY - 2000yen / 2500yen ※共に別途ドリンク代500円必要

[ACT]
Damo Suzuki with aztec
EL BASTA(岐阜)
FU-MU
ドロロニカ


Damo Suzukiとは、、、(以下wikipediaより)

ダモ鈴木は、おもに元・カン(CAN)のボーカリストとして世界的に有名だが、1990年代以降は一貫してセッション・スタイルで世界各国をツアーしながら、現地のさまざまなジャンルのミュージシャンやバンドと積極的な活動を行っており、インスタント・コンポージングと呼ばれる独自の即興的歌唱法で、楽譜もリハーサルもなしに行うライブ・パフォーマンスのスタイルを確立している。

カン(CAN)自体は、一般に日本ではサイケデリック・ロックやクラウト・ロックに分類されるものの、ダモの活動や音楽は、一定のジャンルにおさまりきらないものであり、ロック、パンク、ジャズ、ノイズ・ミュージック、エレクトロニカ、テクノなど、さまざまなジャンルのアーティストたちからリスペクトを受けている。 近年ではマーズ・ヴォルタのギタリストのオマー・ロドリゲスと競演し、コラボレート作"Please Heat This Eventually"を作成するなど近年のアーティストとも積極的に活動している。また、イギリスのロックバンド、レディオヘッドもCANの"The Thief"をカヴァーするなど現代のアーティストに多大な影響を与えていると言える。

一方1960年代から1970年代にかけての国際派日本人ヒッピー世代を象徴する人物として、その自由奔放でアナーキーな行動をはじめとする、数々の伝説を持つカリスマ的存在でもある。


ダモ鈴木の出発点は、音楽家やアーティストと言うよりも、自由の境地を求めるボヘミアン、ヒッピーとしての生き方とリンクしたものであった。1960年代後半には新宿でヒッピー(フーテン)生活を経験、当時14歳で、「最年少フーテン」とも呼ばれていた。また、当時のダモは、ジャズ、ジェームス・ブラウン、キンクスなどのファンだった。

高校中退後の1960年代後半、好きなアーティストのライヴを見るため、日本を飛び出し、単身アメリカへ密航。以後、ヒッピーとして世界各地を単独放浪。アメリカ25州を経て東南アジア諸国を回り、ヨーロッパへと渡り、ギターの弾き語りをしながら放浪の旅を続けた。

その際、金の無かった彼は、ヨーロッパの新聞に「パトロン募集」の広告を出し、物好きな金持ちが暫く彼の世話をすることとなる。その生活にも飽き、ヨーロッパではダモ鈴木は、路上でギターの弾き語りをしていたが、当時はギターのコードも三つほどしか知らず、曲もすべて即興で演奏していた。そして、人目を惹くため、長髪に火を点けたり、裸になったりといった、奇行の数々を繰り返し,ヨーロッパ各地を放浪していた。ダモ鈴木の名前は、森田拳次の漫画、「丸出だめ夫」に由来する。何をやってもうまく行かない漫画の主人公に自分を重ね合わせ、当初は、「だめ夫鈴木」と名乗っていたのだが、ヨーロッパの人々には、「だめ夫」は発音しづらく、いつの間にか訛って「ダモ」になったと言う。

当時のカン(CAN)のライブスタイルは、地方であろうが24時間以上連続で演奏を続け、演奏中に交代制で仮眠と食事を行い、また演奏に戻るというものだった。(例えば、「ユー・ドゥー・ライト」はアルバムでも20分超だが、ライブだと即興演奏により数時間に及んだという。)1970年4月、ライブ最中のカフェでの雑談で、カン (CAN)を脱退したマルコム・ムーニーの次のボーカルをどうするか?という相談を、ライブ中ながら小休止中のホルガー・チューカイとヤキ・リーベツァイトが行っていた。既に何度もオーディションを行っていたが、なかなか理想的な人材が見つけられなかった(それも「歌が上手すぎる」という理由による)。

そんなある日、ミュンヘンでのライブの小休止中に、路上でギターを弾きながら奇声をあげていたダモ鈴木を、チューカイとリーベツァイトが発見。ダモ鈴木は即日採用され、ライブに登場させられた。この時、当時のドイツ情勢を背景とした観客同士の乱闘騒ぎが発生し、数十人が警察に連行されるという騒ぎになる。しかし、バンドとして、この結果は大満足であり、これ以降ダモは正式なメンバーとして迎えられる事になる。しかし、ダモ自身はカン (CAN)の音楽に興味も持っておらず、偶発的な出会いによって参加したにすぎなかった。

ダモは以後、1973年まで在籍し、カンの全盛期を支える大きな力となった。とくに、即興的で型にとらわれないダモの歌唱法は、カンのサイケデリックな音楽によく合致し、他のボーカリストには見られない、類い希なフリークでアナーキーなフィーリングを生み出した。また日本語による歌詞を配置した楽曲も少なくない。

1973年にバンドを脱退したが、リハーサル中に突然奇声を上げて飛び出していったと伝えられている。これを後年に質されたとき、「そのとおり」と語っている。

一時ダモはエホバの証人に入信し、その教えにより、音楽の世界から身を引き、現地でサラリーマンを勤めた。

ガン治療に於いても輸血を拒否した事で体重が激減し、ガン再発によって更に激減。その時の体重は30kg代とも言われている。

1983年、音楽活動を再開し、ドンクルツィッファーやヤキ・リーベツァイトのファントムバンドに参加。1990年代以降、現在に至るまで、世界各国のさまざまなジャンルのミュージシャンやバンドとセッションをするダモ鈴木ネットワークで活動している。来日時には、YMOの細野晴臣とラジオの生放送で大喧嘩を行った。

近年ではマーズ・ヴォルタのギタリストのオマー・ロドリゲスのOmar Quintet のライブにも参加し、2007年にはオマーとのコラボレートEP "Please Heat This Eventually"を発表している。


CLUB Zion(クラブ ザイオン)
〒460-0013
愛知県名古屋市中区上前津2-1-10 GIONビル1F
(地下鉄「上前津」駅4番出口出てスグ)

TEL 052-339-2331
MAIL zion@gionsound.jp

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