バイトで食いつなぐいわゆる無銭旅行のはしりである。帰国後、大学を卒業するものの、就職せず、ベトナム戦争という時代背景のもと、反戦集会などで自作のメッセージソングを歌い始める。
ひょんなことがきっかけで、初シングル「ジャン/青い面影」を ’69にリリース。’71年に初アルバム「回帰線」を発表。話題作となったが、同年芸能界に見切りをつけ、都会を離れ、山の中での実験的コミューン志向の生活を始める。
が、それも長くは続かず、火事を境に再び東京にもどる。(1973年)“旅をしろ”という天からの声を聞き、北海道から九州までの全国ツアーを始める。
以後、年間100本は超えるライブを30年つづけている。1988年、8日間にわたり、参加者が8,000人を越す『いのちの祭り in 八ヶ岳・NO NUKES ONE LOVE』において、それまでの体験を生かし、音楽総監督及び、トラブル処理係として獅子奮迅の働きをやってのける。