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開催終了「石野田奈津代いちごライブ」

詳細

2011年03月04日 11:43 更新

3時の“おやつ”に石野田奈津代が摘んだ苺のオリジナルデザートを♪
チケット完売「カレーライブ」に続く“お食事ライブ”第2弾!
[ライブ]
石野田奈津代
[日時]
2011年3月12日(土)
[時間]
Open_15:00 Start_15:30
[料金]
チケット完売致しました
[会場]
城下公会堂
チケット完売致しました

【Profile】
石野田奈津代(いしのだなつよ)
シンガーソングライター 東京都・神津島出身 1980年4月28日生まれ
1980年、東京都にある人口2000人ほどの島・神津島に生まれる。小・中学校時代、いじめにあい、いじめっ子を見返すため、歌手になろうと決意する。高校入学と同時に、島を離れ、東京本土に上京。高校生になり、ギターを始める。人生最大のショックを受けたという「浮気=失恋」により、抑えきれない想いをぶつけるために、自ら本格的に作詞作曲を始める。その後、メジャーデビューすることを夢見て、制服姿で路上ライブを始める。口コミで観客が増え、現役女子高生ストリートシンガーソングライターとして注目を集める。同時期に、インディーズ映画「だれも知らない夏の空」の主演に抜擢。1999年、石野田奈津代が高校卒業目前の18歳の時、[いしのだなつよ/アルバム「ひまわり」]でメジャーデビューを果たす。ニッポン放送「オールナイトニッポンR」のパーソナリティに起用される。しかし、メジャーデビューが夢だった石野田は、夢を無くしてしまう。1枚のアルバムと4枚のシングルをリリース。数々のテレビ番組のテーマソング、多数のラジオ局のパワープレイに選ばれるが、セールスは思うように伸びず、約2年間の活動を経て、石野田が20歳の時にレコード会社・所属事務所との契約は打ち切られた。その後、郷ひろみ、長山洋子の作詞を手がけるなどの活動を経て、中村一義のバンド『100s』のメンバー、町田昌弘(ギター)、玉田豊夢(ドラム)、山口寛雄(ベース)とバンド[kicca]を結成。インディーズデビューするもバンドの音楽性に悩む日々が始まる。ついには「なにを歌っていいかわからない」と作詞作曲が出来なくなり、バンドは自然消滅。2005年、『自分の歌いたい歌をうたおう!』ともう一度、一人で音楽を始めるため再始動。メジャー時代の[いしのだなつよ]から漢字の[石野田奈津代]に名前を改める。その頃、出逢った一人のスタッフとともに、自身の自主レーベル《SONGLiFE》を設立。CD制作、ライブブッキング、ラジオなどのプロモーション、HP運営、通販業務、デザイン、活動すべてに関わる作業を、手探りながら自らで行うようになる。「反響がない=売れない」場合は、音楽を辞める決意をし、なけなしの全財産をつぎ込み、2007年、8年ぶりのソロアルバム「わたしのうた」をインディーズでリリース。一人でも多くの人に歌を届けるため、8年ぶりとなる路上ライブを再開。精力的に全国を回りラジオプロモーションなども行った。そして地道な活動を続けた石野田の音楽は、徐々に人の「心」に響き始めていく。2009年、デビューから10年、シングル「春空 -ハルソラ-」で、メジャー再デビュー。インディーズ時代にもリリースしていたこの曲は、日本テレビ「誰も知らない泣ける歌」で笑福亭鶴瓶氏の泣ける歌として紹介された他、フジテレビ「めざましテレビ」/TBS「ひるおび!」/MBS「ちちんぷいぷい」など、様々なメディアで『泣かせるシンガーソングライター』として取り上げられ、「あきらめないことの大切さを知った」「生きる勇気をもらった」など多くの反響を呼んだ。そして2010年、制約の多いメジャーを自ら離れ、新たな道へ・・・最新シングル「はななり」は、オリコン インディーズチャート4位にランクイン。

【Website】
石野田奈津代
http://www.ishinoda.com/

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  • 2011年03月12日 (土)
  • 岡山県 岡山市
  • 2011年03月12日 (土) 締切
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参加者
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