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開催終了きくみるはなす縁坐村塾その弍ご案内

詳細

2012年05月23日 02:29 更新

きくみるはなす縁坐村塾「その弍」は
6月18日月曜日夜7時より開講いたします。

奇しくも金環日食の日に始まりました
   「きくみるはなす縁坐村塾その壱」
〜橋本久仁彦におけるプレイバックシアターから縁坐舞台への変遷〜

は、熱心な塾生の方々に思いがけず沢山ご参加いただいて、
部屋の温度もどんどん上昇する熱い空気の中、
講義と実習を行うことができました。

プレイバックシアターというアメリカの方法と縁坐舞台という日本の方法、
というより「日本人であること」という態度的方法について、
荒削りではありましたが意味のつながった大ぶろしきを
広げることが出来たと思います。

我々が夢の中でもそのシステムから逃れることのできない母国語
としての日本語。同じく英語を母国語として生涯を生きる民族との
存在感覚の根本的な違い。

絶対的唯一神とセットになって成立している西欧個人主義と
周りのモノは全て尊い(山川草木悉有仏性)と感じ、
他人との間柄によって、あり方を敏感に変えていく日本人の
関係主義的な在り方。

例えば絵において、
描かれた対象(テーマ)を見せようとする西欧芸術に対して、
描いた対象はその周りの何もない空間を引き立てるためで、
「余白は心で埋めよ」などという言葉になぜか納得してしまう日本人。

その「日本」という表現コードと
「日本人」というモード(文化・様式)については、

太平洋戦争後、アメリカが現行憲法(原文は英語)と教育制度
(6・3・3制はアメリカの枠組み)を日本人に与えた理由や
明治維新後西洋文化を丸呑みしなければならなかった事情、

忠臣蔵の物語りをアメリカ人が忌避したわけ、我々が太平記や万葉集、
古事記などに記録されている先祖日本人の生命エネルギーに
触れられなくなっていること、
そのための日本語が組織的に失われつつあること。

さかのぼって隣の大国中国から漢字が流入したときに、
いかに先輩たちが母国語である日本語の様式を守ったか、

さらには日本人の心的原型である聖徳太子が個人のやりたいこと=
自己実現ではなく、「和をもって尊しとなす」という言葉を十七条憲法の最初に刻んだ時代から脈々と継承されている日本人にとっての対人関係の意味とその普遍的な様式である円坐。

もっといえば倭国(わのくに)と呼ばれていた「日本」成立以前から
「輪になって坐る」という様式・構造が我々の根本的な身体表現であり、
日本列島の習俗・文化の発生源であったこと、などなど。。

大ぶろしきを広げながら、
集団の中で個人が自発的に自由に(個人主義的に)動けること、
その目標を実現するために、コンダクターやアクターの役割に
高い技術的・倫理的専門性を持たせ、社会の諸問題の解決に
有効であるとして、庶民には遠い学習目標とプログラムを
設定する現在のプレイバックシアターの在り方と、

見えない関係存在(縁)への敬意を基盤として、
つながりのある全てとの調和を今ここで祝う祭り(祀り)としての
縁坐舞台との舞台構造の違い、
その場に生み出す景色(エネルギー)の違いについて描写を試みました。

参加してくださった方々とのやり取りから、
僕はこの10数年、プレイバックシアターに真剣に取り組んできたつもりでしたが、実は僕のやってきたことはプレイバックシアターではなく、舞台の形をした非構成的傾聴円坐であったということが見えてきました。が〜ん・・・


来月のきくみるはなす縁坐村塾「その弍」では、
螺旋状に上記問題意識を深めながら、「日本」というコードと
「日本人である」というモードについて、
和魂洋才のダンスであるケアコンタクトや縁坐稽古などを絡めながら、
さらに探って行きたいと思います。

縁坐村塾は毎月一回月曜日、連塾として継続して参ります。
僕にとってはかねてより念願の民衆大学への思いが、
はからずも思わぬ形で実現し、幸せに思っております。

この度のご参集まことにありがとうございました。


         きくみるはなす縁坐村塾 塾頭 橋本久仁彦


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