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開催終了夏目漱石『こころ』 どうしていつまでも読まれ続けているのか

詳細

2010年09月20日 19:50 更新

こんにちは。
熊本の橙書店という小さな本屋を借りて、プライベート文学講座『橙大学』をしています。

10月は「夏目漱石『こころ』 どうしていつまでも読まれ続けているのか」というタイトルで、話をすることにしました。


「国語の授業で習いました」という声をよく聞きますが、
長年、定番教材として学校でも扱われてきた『こころ』が発表されたのは大正時代。
どうやら『こころ』の読まれ方にはその時代時代の状況が反映され、今日まで読まれ続けているようです。
というのも、『こころ』にはそのような多様な読み方を許容する隙間がたくさんある。
時代を超えて読み続けられるヒミツ、隙間とは?
一緒に考えていきましょう。


10月 23日(土)
開場 18:30 開始 19:00
場所 橙書店 熊本県熊本市新市街6-22 
定員 15名 (予約できます)
講座1回 1,500円(1ドリンク付!!)    

予約・お問い合わせ等は、以下のアドレスにメールをお送りください。
kumamotoband@gmail.com

みなさまのご参加をお待ちしています。



−橙大学とは―

「大好きな文学の話をしたいけれど、そういう場がない。時間がない。仲間がいない」
という欲求不満に悶えている方。

あるいは、
「TVでたびたび取り上げられる文学の話題に興味アリ。もっと詳しく知りたいんだけど…」
と、文学に足を踏み入れようとしている方。 

そんな方々のための、「Beerを片手に」がキャッチフレーズの文学講座。

2010年度は、年6回開催。

話をするのは熊本某大学の先生と教え子の2人。
ユニークなコンビが 気楽なムードで 文学の知識をお届けします。
もちろん中身は大学の講義と同じ質の高さ。

2ヵ月に1度、こんな週末の夜をすごしてみませんか。


http://d.hatena.ne.jp/kumamotoband/

コメント(6)

  • [1] mixiユーザー

    2010年10月09日 21:56

    「漱石は、われわれの所有する数少ない国民的作家の一人である。いや、その文業の奥行きを考えれば、彼こそ近代日本の持ち得た唯一の国民的作家の感があるといってもよい。しかし、なぜ漱石のみが他の作家をしのいで、かくも多くの読者を獲得し、現代に生きつづけ得ているのか。この問いに答えることは、おそらく漱石の文学の本質を語ることになるものと思われる。」

    江藤淳「漱石の文学」(夏目漱石『こころ』2010・6〈170刷〉、新潮社)



    …江藤淳さんも我々と同じことを考えていらっしゃったわけです。

    これはもう、やりがいがあるどころではありません。



    橙大学 第4回 10月23日(土) 夏目漱石「こころ」 どうしていつまでも読まれ続けているのか @橙書店


  • [2] mixiユーザー

    2010年10月15日 23:07

    助手による受講生のための予習メモ(10月) その2

    --「下」を読んできた私たち--


    「夏目漱石の『こころ』って、どんな話でしたっけ?」
    と尋ねると、
    「先生が友人K(このイニシャルは覚えている人が多い!)の好きな女の子を奪って、そしたらKが自殺しちゃった話」
    と答える方がほとんど。

    ん?それって、「下」の内容ですよね?
    なぜこういう答えになってしまうのかというと…

    きっと多くの方が高校の国語の授業で「こころ」を読んだはず。
    その教科書に載っているのは「下」の抜粋ではありませんでしたか?
    よって、「こころ」=「こころ 下」と思い込んでしまうのです。

    「上」と「中」は「こころ」ではないのか?
    必要ではないのか?
    橙大学がお答えします。

    その前に、「上」と「中」を重点的に読み直してみませんか。
  • [3] mixiユーザー

    2010年10月16日 19:46

    助手による受講生のための予習メモ(10月) その3

    --「私」を読む--


    「こころ」の話題になると、「先生が」「Kが」「御嬢さんが」とつい話してしまいがちですが、みなさん忘れてはいけません。
    語り手は「私」ですよ。

    「こころ」は、「私」という語り手による一人称小説なんです。

    前回は「上」と「中」を重点的に読み直してみませんか、と提案しましたが、今回は「私」に注目して読んでみましょう。
    ちょっと違った読み方ができるかもしれません。
    え? そんな何回も読み直す時間がない?

    わかりました。
    そんなあなたには…例えばここを読んでみてください。
    「こころ」の冒頭、もちろん「上」。


    私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此所でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私に取って自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」と云いたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。余所々々しい頭文字などはとても使う気にならない。
    (今年新潮社から「限定SPECIALカバー」として発行された文庫本より引用)


    ここから先は橙大学で答え合わせ。
  • [4] mixiユーザー

    2010年10月18日 21:15

    助手による受講生のための予習メモ(10月) その4

    --「奥さん」を読む--

    今回はなんと、「奥さん」に注目して読んでみましょう。
    「御嬢さん」ではなく、「奥さん」です。
    そう。「上」を読むんですよ。


    「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いて云った。私は「そうですな」と答えた。然し私の心には何の同情も起らなかった。子供を持った事のないその時の私は、子供をただ蒼蠅いものの様に考えていた。
    「一人貰って遣ろうか」と先生が云った。
    「貰ッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんは又私の方を向いた。
    「子供は何時まで経ったって出来っこないよ」と先生が云った。
    奥さんは黙っていた。「何故です」と私が代わりに聞いた時先生は「天罰だからさ」と云って高く笑った。(上−八)
    (今年新潮社から「限定SPECIALカバー」として発行された文庫本より引用)


    ある人はこれを「黙劇」と呼んでいます。
    どういうこと!?
  • [5] mixiユーザー

    2010年10月19日 23:48

    助手による受講生のための予習メモ(10月) その5

    --「先生」を読む--

    最後は再び「先生」に戻ります。
    とは言っても、やはり読むのは「上」なんです。

    「恋は罪悪ですか」と私がその時突然聞いた。
    「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。
    「何故ですか」
    「何故だか今に解ります。今にじゃない、もう解っている筈です。あなたの心はとっくの昔から既に恋で動いているじゃありませんか」
    私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれども其所は案外に空虚であった。思い中るようなものは何もなかった。
    「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはいない積りです」
    「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」
    「今それ程動いちゃいません」
    「あなたは物足りない結果私の所に動いてきたじゃありませんか」
    「それはそうかも知れません。然しそれは恋とは違います」
    「恋に上る階段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」
    「私には二つのものが全く性質を異にしているように思われます」
    「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、猶更あなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際御気の毒に思っています。あなたが私から余所へ動いて行くのは仕方がない。私は寧ろそれを希望しているのです。然し……」
    私は変に悲しくなった。
    「私が先生から離れて行くように御思いになれば仕方がありませんが、私にそんな気の起った事はまだありません」(上−十三)
    (今年新潮社から「限定SPECIALカバー」として発行された文庫本より引用)

  • [6] mixiユーザー

    2010年10月21日 22:46

    助手による受講生のための予習メモ(10月) その6

    --ここで引用に使用していた文庫本にも--

    「親友を裏切って恋人を得たが、親友が自殺したために罪悪感に苦しみ、自らも死を選ぶ孤独な明治の知識人の内面を描いた作品」
    と紹介してあったのでした…

    あらためて、みなさんは「こころ」をどう読みますか?
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