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開催終了中国大陸ではじめて第五福竜丸とゴジラについて掘り下げた会が開催

詳細

2013年05月15日 22:20 更新

第89回北京日本人学術交流会のお知らせ
みなさん
お世話になっています。
山口直樹@北京日本人学術交流会です。

第89回北京日本人学術交流会では、戦後日本の原子力導入の鍵となる出来事、すなわち日本のマグロ漁船、第五福竜丸のビキニ被曝という問題を掘り下げ、日中共同討論を行います。
中国大陸ではじめて第五福竜丸のことが本格的に掘り下げられる会が行われます。

第五福竜丸事件とは単なる過去の事件ではありません。「われわれ地球上に住む人類はみんな第五福竜丸の乗組員だ。」という言葉が示すように大きな矛盾を抱える原子力社会を生きる21世紀のわれわれの「いま」の問題だといえるでしょう。
1954年3月1日、アメリカは、南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を行っていました。

 この水爆実験で被曝することになるのが、日本のマグロ漁船、第五福竜丸でした。
このとき日本は、サンフランシスコ講和条約で主権を回復し、国際社会に復帰したばかりでした。当時は東西冷戦のただなかで吉田内閣の外務大臣だった岡崎勝男氏は、この第五福竜丸事件をうけて、「われわれはアメリカの水爆実験に協力する。」と発言し、多くの日本人を憤激させました。このような状況の中、日本のなかの反米世論が盛り上がり、杉並区の主婦を中心に署名運動がはじまりそれは、世界的な反核運動になっていきました。一方、中国では、第五福竜丸事件による日本の反米世論の盛り上がりという状況の中で周恩来氏は、「同じ東アジアの人民がアメリカ帝国主義によって被曝させられた。」とのべアメリカを批判し、『人民日報』も社説で「日本の人民と連帯せよ」と書いていました。

 しかし、現在の中国で第五福竜丸事件を知る中国人は、ほとんどいません。
「日本のヒバク」という言葉から想像するものはと中国人に問うとほとんどの場合「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」という言葉が返ってきます。
 日本の三度目のヒバク経験であり、戦後日本での原子力の導入の鍵となる第五福竜丸事件は、中国ではほぼ完全に忘却されているわけですが、これはなぜなのでしょうか。
こうした問題意識に基づき、北京日本人学術交流会では、新藤兼人監督が、撮影した『第五福竜丸』(1959)を上映し、その後、思想誌『現代思想』元編集長の池上善彦氏が、「50年代は核をどう描いたかーー絵とその背後にあるもの」という報告を北京日本人学術交流会代表の山口直樹氏が、「第五福竜丸のビキニ被曝と特撮怪獣映画―中国とのかかわりを中心に」という報告をします。
ゲストコメンテーターに中国人研究者の胡膨氏、趙新利氏,支菲娜氏,王衆一氏をお招きし、総合的な共同討論を行います。これらにより東アジアにおける第五福竜丸事件のもつ意味を考えます。
簡単には見ることのできない貴重な絵画や映像が見られると思いますので、関心のある方は、ご参加いただければ幸いです。

以下のような要領で行われます。
参加を希望される方は5月23日(木曜)深夜までに連絡係の吉田氏(pngk218523@gmail.com)まで参加希望のメールをお願いいたします。

◎第89回北京日本人学術交流会
◎日時;5月25日(土曜日)午前2時から午後7時ごろ(のち場所を移して懇親会)
◎主題:第12回「放射能と原子力を考える日中サイエンスカフェ」新藤兼人監督『第五福竜丸』(1959)上映後、それに関連する報告を二つ行い総合討論。
◎ゲストコメンテーター:胡膨氏(女性史研究、社会科学院日本研究所)趙新利氏(公共外交研究、中国メディア大学)支菲娜氏(映画史研究、東京大学外国人特別研究員)王衆一氏(『人民中国』編集長、映画研究)など。
最後に「北京から第五福竜丸元乗組員、大石又七さんへの手紙」が山口直樹氏によって読み上げられる予定。
◎場所;五道口カフェ2ndplace(申し込んでいただいた人に詳細をお知らせします)
◎参加費;50元(資料代、運営費、場所代、ドリンク代など)
◎言語;映像は主に日本語、討論は日本語(ときに中国語)
◎ タイムスケジュール
午後2時開始挨拶5分
2時5分から3時55分まで『第五福竜丸』(1959)(109分)
「核の恐怖伝えた第五福竜丸」の映像10分ほど
休憩はさんで午後4時10分ごろから池上氏と山口氏の報告、全部で約70分。
中国人研究者のコメント15分から20分
のこり時間をフロアふくめて総合討論する。午後7時ごろまで。


報告要旨
報告者 池上善彦氏(『現代思想』元編集長、著書に『「現代思想の二十年」(青土社2012)など
タイトル「50年代は核をどう描いたかーー絵とその背後にあるもの」
広島・長崎の原爆投下から七年間の間、原子爆弾の情報についてはGHQによってその流布を禁じられていた。したがって、原爆のことが文章になり、芸術のテーマとなったのは一九五二年以降のことである。その時を境にして、多く人びとが原爆をテーマにし創作を始めた。そしてそれと重なるようにして、アメリカによるビキニの水爆実験によって多くの漁民達が被爆することになり、第五福竜丸を象徴とする被爆の実態もまた多くの芸術のテーマとなった。
今日、それらの作品はごく少数を除いてほとんど忘れられている。現存するそのような作品をできるだけスライドでお見せできるようにしたい。さらに踏み込んで、そのような作品が数多く生産されたのは、決して核が特別な存在であったという理由だけではなく、様々な社会的関心を何とか自ら表現しようとする市民、労働者による広範な、全国的規模の文化運動が存在していたことを示してみたい。それはサークル運動と呼ばれていて、杉並の反核運動もそこから生まれたものである。50年代のそうした作品の数々とその背後にある人びとの努力を感じ取っていただければと思う。

報告者 山口直樹氏(北京日本人学術交流会代表)
タイトル「第五福竜丸の被曝と特撮怪獣映画―中国とのかかわりを中心に」

「日本やアメリカの諸都市には、この数週来、放射能雨が降っている。
日本の住民は恐怖の念を抱きながら、いつもかれらの主要食料を運んできていた漁船を見つめている。なぜなら、何千年もの間、所有主のなかった海や大気が、いまや主人を見出したからだ。その主人たちは我がもの顔にかれらの上にその権利をつまりかれらを汚染させるという権利を行使している。人類の健康は何百年先まで脅かされているのだ。
それにもかかわらず、この実験者たちの取材にあたった出版放送関係者たちはすべてをおしかくし、かくすことのできないことはつまらないことだとして、ごまかしてしまっている。」
これはドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトが、「1954年ベルリンにおける世界平和評議会臨時会議にあたっての提案」(1954年5月28日)において書いた言葉である。
ブレヒトは、1930年代からアメリカで戯曲『ガリレイの生涯』を準備していたが、アメリカによるヒロシマへの原爆投下という出来事によってその原稿を大きく改稿していた。1945年の原子爆弾の「実用化」という出来事は、政治権力によるガリレイの屈服が、その後の近代科学の歴史を権力の隷属の歴史にさせたことをブレヒトにさらに意識させるようになっていた。そのブレヒトは、世界的な注目をあつめた第五福竜丸のビキニ被曝を見逃すはずもなかった。ブレヒトのいう「いつもかれらの主要食料を運んできていた漁船」とは、第五福竜丸をはじめとするマグロ漁船のことであった。
日本にとってヒロシマ、ナガサキにつぐ第三の被曝は、多くの日本人のみならず世界の人々に大きな衝撃を与えたが、日本の映画人たちの反応は素早かった。ドキュメンタリーでは新藤兼人が、『第五福竜丸』(1959)
を撮影した。この作品では、千田是也氏が木下博士として出演しているが、日本にブレヒトを紹介した第一人者こそ、この千田是也氏であった。
千田是也氏の弟子は、中国で多くの人に知られることになる栗原小巻氏であったが、千田氏は、特撮怪獣映画の大ファンでもあったという。
 日本の特撮怪獣映画の原点は、千田氏が出演した『第五福竜丸』(1959)の中で描かれた第五福竜丸の被曝という出来事であった。
『ゴジラ』(1954)をはじまりとする日本の特撮怪獣映画の伝統は、第五福竜丸の被曝という出来事からはじまっているのである。第五福竜丸は、読売新聞の社主だった正力松太郎氏によって「原子力の平和利用」の象徴として新宿のデパートの伊勢丹に展示に出されたこともあるが、その後の特撮映画には、『モスラ』(1961)『ゴジラ』(1984)海外では『GODZILLA』(1998)『大海獣ビヒモス』など第五福竜丸を思わせる表象が数多く登場してくる。
まず、これらの映画のなかで第五福竜丸がどのように描かれているかを実際の映像を使って報告する。
そして原点にある『ゴジラ』(1954)という作品に注目する。
この作品は、従来、日米関係のなかで論じられることが多かったが、視点を転換させ日中関係という視点からとらえなおす試みを行う。
『ゴジラ』(1954)に主演した宝田明氏は、父親が満鉄の技師だったため少年時代をハルピンですごし、苦労して日本に引き揚げてきていた。また監督の本多猪四郎氏は「満州」に兵士として送られ、敗戦を中国大陸で迎えていた。
『ゴジラ』(1954)にかかわったスタッフと中国とのかかわりについて報告する。
また報告者は、『ゴジラ』(1954)の映像を北京の大学で大学生たちに紹介し、数多くの対話を行ってきた。彼らの反応はどのようなものであったかについても報告を行いたい。
最後に現在の第五福竜丸の元乗組員たちがどうなっているのかを簡単に紹介した後、アメリカの水爆実験の実験場となっていたマーシャル諸島と日本のかかわり、そして現在の中国とのかかわりを報告する。
この報告が、第五福竜丸や原子力について考える貴重な機会になれば幸いである。

(以上)

北京日本人学術交流会代表:山口直樹(ngodzilla2185@gmail.com)
http://j.people.com.cn/96507/97399/6683166.html
これまでの北京日本人学術交流会の記録
http://www.nihonjinkai.org.cn/html/doukoukai/beijingribenrenxue-jiaoliuhui/201105/19-1072.html
エスペラント版
http://www.espero.com.cn/se/txt/2013-01/29/content_515338.htm



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