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開催終了7月10日 障子堀を見に山中城に行こう

詳細

2022年05月05日 15:36 更新

お城の達人山本さんのガイドのもと、北条流築城技術である障子堀が見られる静岡県の山中城に見学に行きます
集合:三島駅南口5番バス乗場前 午前11時 
解散17時30分頃
持ち物:お弁当・飲み物・筆記用具・雨具など
コース:三島駅南口→笹原(バスにて移動)→一柳院(一柳直末墓所)→旧東海街道→岱崎出丸→山中城→宗閑寺→三島駅南口
静岡県三島市の山中城は武田信玄や豊臣秀吉らの西国から迫る脅威に対し箱根越えの要所を抑えた北条氏が築いた支城の一つです。
現在はほぼ全域が発掘・整備された全国有数の中世城郭として知られており、北条氏の築城技術の一つとして障子堀が見れる城としても有名です。
三代北条氏康の時代、武田氏の軍学書『甲陽軍鑑』に永禄12年(1569)に武田信玄が山中城を攻めた記録があり、この頃までには北条氏の支城として存在していたと考えられます。
天正18(1590)年3月29日、豊臣秀吉の小田原攻めの初戦として山中城は戦場となり、わずか半日で落城してしまいました。
今回の山中城見学は秀吉の山中城攻め当時中村一氏に仕えた渡邊勘兵衛了(わたなべかんべえさとる)が後世になって覚書として残した回想録『渡邊水庵覚書』を基に山中城攻めを体験します。
参加費 1000円
バス往復券 1000円(早めに集まって三島駅5番乗り場近くのバス会社窓口にて購入して下さい)
お弁当は事前購入して下さい
ガイド 城郭研究家 山本篤志氏

コメント(14)

  • [1] mixiユーザー

    2022年05月06日 07:31

    集合の三島駅は静岡県三島市です。東京駅から熱海までは直通列車があります。熱海で乗り換えて2駅。各駅停車だとトータルで片道2時間以上かかる人も居るでしょうね。新幹線も利用できます。早めに来て三島大社など観光をすることもできますよ
  • [2] mixiユーザー

    2022年05月07日 12:19

    遠いので人数が多くないとは思いますがバスの定員などありますので上限30名と人数を制限させていただきます。
  • [3] mixiユーザー

    2022年05月08日 15:23

    山本さんより
    三島市と連携し、参加費を災害により障子堀などが破壊された山中城復興支援として収益を全て充てました。
    500円からとし、5000円以上の寄付は令和2年のクラウドファンディングの返礼品対象となりました。
    クラウドファンディングは今年も実施しています。
    https://www.furusato-tax.jp/gcf/1451?fbclid=IwAR1pQLojN6pqPbVGqpWYX_xaDCe6uyYH2Wl6sIBGhTx4DgjjZPmQ_bljcwE
  • [4] mixiユーザー

    2022年05月22日 21:36

    参加を希望します。
  • [5] mixiユーザー

    2022年05月23日 07:42

    >>[4]
    参加申し込みありがとうございます。よろしくお願いします。
  • [6] mixiユーザー

    2022年06月08日 10:27

    障子堀を見に行こうと言われても、そもそも障子堀が何かということを書かねばなりませんね。
    戦国時代の関東の覇者北条氏が得意とした築城術で、堀の中に障子(隔てる障壁)をいくつも設けて複雑化させ防御力を高めたもの。城を攻略するために空堀に降りた兵士たちは高い障壁をいくつも越えなければなりません。関東ローム層の土は滑ります。なかなかよじ登れずにいるところを弓や矢や鉄砲を撃ちかけ敵を殲滅します。
    戦国時代の城は破却されたり開発で取り壊されたりしてなかなか残らないのですが、この障子堀が綺麗に残っているのが山中城なのです。この障子堀をお城の専門家山本さんの解説で見に行こうという企画になります。
  • [7] mixiユーザー

    2022年06月17日 12:53

    今回は、めったにない障子破りできそうな感じですので
    参加したいです。荒天で順延の際はキャンセルします。
  • [8] mixiユーザー

    2022年06月18日 07:22

    >>[7]
    参加申し込みありがとうございます。よろしくお願いします。
  • [9] mixiユーザー

    2022年07月07日 07:43

    参加者の皆様は個々に三島駅東海バスの窓口において「みしまるきっぷ」1000円を購入して下さい。フリー切符ですが山中城への往復にお得です。また早めに着いて観光する場合にも利用できます。私は鎌倉殿の13人ゆかりの三島大社や柿田川湧水群などに行って来ようかと思ってます
  • [10] mixiユーザー

    2022年07月07日 08:37

    ただ今、参加者に当日のメッセージを送りました。ご確認ください。メッセージには集合場所など詳細が記載されています。必ず読んでください。
    また、当日、遅刻などする場合はタイムラインにコメント書くのではなくてメッセージに記載されている連絡先に連絡して下さい。
  • [11] mixiユーザー

    2022年07月09日 10:06

    三島駅までの行き方ですが東京駅からの場合、新幹線だと9:57 こだま715号で三島駅に10:50に到着します。ちょっと遅いですね。その前は9:27のこだま713号で10:17着

    在来線だと9:00の特急踊り子3号修善寺行きで10:38着

    各駅停車は8:36の熱海行きで、熱海で島田行きに乗り換え三島着が10:45。その前は東京駅8:15熱海行きで熱海で静岡行きに乗り換え三島着が10:28です

    運賃は東京都区内から2310円

    特急踊り子号の場合は指定特急券 1580円 自由席1060円
    新幹線の場合は指定特急券2290円 自由席1760円
    熱海まで普通列車グリーン車に乗った場合 800円(事前にグリーン券購入した場合。車内で購入は1060円)
  • [12] mixiユーザー

    2022年07月09日 10:15

    山中城参加表明は本日中にお願いします。明日は山中城攻めに参加した渡邊勘兵衛了(わたなべかんべえさとる)の回想録を山本さんが読み説いてくれます。お楽しみに
  • [13] mixiユーザー

    2022年07月17日 13:21

    山中城参加の皆様お疲れ様でございました。夏季休暇旅行のプランニングや予約などを急ぎでしていたら書くのが遅くなってしまいました。楽しみにしていた山中城にやっと行くことが出来ました。今までは車やバイクや自転車で何度も通りながら素通りしてきましたが念願叶いました。始発で出て一足先に三島観光を致しましたあちこちに湧水あって気持ちの良い水の町でした。まだまだ見足りないので別な機会にゆっくり回ろうと思いました。旧東海道を巡りながら山中城に近づいて行くのもなかなか趣きがありますね

    山本さん語りで先鋒として山中城に一番乗りをした渡辺勘兵衛了の視点で城攻めを再現していきました。臨場感を感じられましたね。私は関わった人物のその後を調べてみました。ちょっと長くなります。まず初っ端に一柳直末の胴塚があります。山中城攻略軍の総大将は秀吉の後継者と目されていた豊臣秀次。先鋒は秀吉子飼いの武将で秀次の宿老となっていた一柳直末と中村一氏。功を焦ったのか序盤で一柳直末は討死してしまいます。秀吉は箸を取り落とし直末の死を悲しんだと言います。ちなみに一柳氏は弟の一柳直盛が継ぎ、あろうことか関ケ原では東軍に属し、直盛の3子は伊予西条藩、播磨小野藩、伊予小松藩を興しました。子の子孫たちが一柳直末を顕彰したので墓や胴塚等が残っています。はたまた余談ですが日本で西洋建築を多く手がけたヴォーリズの妻は子爵一柳家の一柳滿喜子でヴォーリズは一柳米来留と名乗ったそうです。

    中村一氏隊の渡辺勘兵衛了が先陣を切って山中城を落とすわけですが、北条流の技術が満載のお城でも約7万対3千ですから衆寡敵せずと言うところでしょうか。小田原本城を守るための捨て石のようなものでしょうね。城兵も少なければ、城将も寄せ集め感があります。城主北条氏勝は北条家随一の猛将と言われた北条綱成の孫です。祖父は地黄八幡と恐れられ3千の兵で8万の大軍に囲まれた河越城を守り抜き、河越の夜戦で逆転勝利を収めました。孫の氏勝はそうならずに自害しかけたところを説得され脱出。玉縄城に戻り籠城するが徳川家康に説得され降伏し、下総岩富1万石の小大名として名を残しました

    城を守った松田康長はどちらかというと文官でしょうか討死し子孫は徳川家の旗本になっています。弟の松田康郷は武勇に優れ落城時は脱出し後に家康の子、結城秀康に仕えました。間宮 康俊は水軍の将ですが山中城で討死。子孫は幕府旗本で本牧代官。娘は家康の側室となりお久の方。家康四女松姫を出産するが早世。家康が亡くなった翌年に駿府で亡くなる。蔭山氏広は伊豆河津城主といい落城時は脱出し河津城に戻り蟄居したという。本姓は上総正木氏、家康の側室で紀州徳川家の藩祖徳川頼宣、および水戸徳川家の藩祖徳川頼房の母となったお万の方の養父。子孫は旗本となった。多米(多目)長定は北条氏歴代の重臣で上野箕輪城主だったといいます。山中城で討死したと言いますが、上野国での戦いで討死したという説もあり不明です。子や家臣は本城である青木城(横浜市)に戻り自刃したとも言われます。

    一番乗りを果たした渡辺勘兵衛了ですが、秀吉に絶賛されるも褒賞が今までの所領の倍の6000石では不服と中村家を去り増田長盛に4000石で仕えます。関ケ原の合戦後は藤堂高虎に2万石で招かれ上野城代となり大名並みに出世します。ところが自分の腕に自信を持ち過ぎていたのでしょうね。大坂冬の陣では戦い方を巡って主君藤堂高虎と口論の末大敗。夏の陣では名誉挽回と戦果を挙げるが主君への命令無視と甚大な損害が出たので藤堂家に居られなくなり出奔、浪人。藤堂家が奉公構(他家に仕えることを禁ずる)を出したため、終生、仕官はかなわず浪人のまま亡くなりました。しかし、渡辺勘兵衛了の長男渡辺守は藤堂高虎の妹と妻としていたので4000石を領し藤堂家に残ります。守が若くして亡くなると孫となる守胤は幼少のため家禄を一時的に召し上げられます。そのことがあってか藤堂家を去り祖父渡辺勘兵衛了を頼り、島原の乱に与して籠城したりで祖父に勘当されたりと迷走しますが、渡辺勘兵衛了の死後、藤堂家に呼び戻されて、藤堂一族として、藤堂姓を名乗るように命じられ、1500石を与えられ、藤堂長兵衛家として重臣として幕末まで続きます。渡辺勘兵衛了の次男三郎兵衛は本多忠義に仕え1500石、三男甚は堀田正信に仕えて2000石を与えられました。渡辺勘兵衛了の主君であった中村一氏はこの合戦の褒賞として駿河府中14万石を与えられ、関東に移封した徳川家康の抑えとされ豊臣家の三中老の一人となる。関ケ原では東軍に属して伯耆一国米子城17万5,000石を与えられるが、幕府により嗣子が居ないために改易された

  • [14] mixiユーザー

    2022年07月17日 13:23

    悲喜こもごものその後でした。とても整備された綺麗なお城で曲輪の配置や位置関係、設備などがとても見やすくわかりやすい。勉強になるお城でした。山本さんありがとうございました。私が着ていた空調服(ファンジャケット)ですが、皆さん効果を訝しんだり、奇異の眼で見られたことでしょうけど、建設業界では熱中症対策として10年前ぐらいから導入されていて、もう当たり前の必需品のようになっています。近年は釣りやゴルフなどのレジャーでも着られるものも増えています。ファンの音がうるさかったり、まだまだ物珍しく見られてしまうので着ないでいましたが、今後はまちあるきの時にでも着ようかと思っています。冷風ではありませんが風が循環するので汗だくになりません。いつもなら帰りに着替える私も着替えずに済みました。

    それと、皆さんが購入したみしまるきっぷですが早朝は窓口が閉まっていて買えず、車内でも買えず(防犯のために販売しないと言ってるが意味不明)でしたがデジタルチケットで買えるようです。もっと宣伝したり、車内や窓口にも書いておけばいいのに。参加された皆様お疲れ様でございました。次回は多摩の続編になります
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