『いのちの祭り』は、1988年に八ヶ岳に約1万人を集め、当時のマスコミから和製ウッドストックなどと呼ばれた野外フェスの元祖です。1969年の『ウッドストック音楽祭』は、1960年代の意識革命で目覚め、オルタナティブな生き方を探して都市を脱出し、全米各地や世界中に散った人々の同窓会でもありました。同様に、チェルノブイリ原発事故を受けて「No Nukes One Love」をテーマに掲げた『いのちの祭り1988』は、1960〜70年代、都市を離れてコミューンをつくり、ヒッピーやニューエイジと呼ばれ、オーガニックなライフスタイルを模索した日本のカウンターカルチャーの担い手たちが、一堂に会した「フェス=お祭り」でした。
そして、2000年からさらに12年後の今年、富士山の麓で『いのちの祭り2012』の開催されます。テーマは再び、「No Nukes One Love」。日本が、そして世界がアフター・フクシマの時代に突入した今、24年前から引き継ぐこのテーマが、ますます重みと輝きを増し始めています。『いのちの祭り』で会いましょう!
SYSTEM 7 DJ SET、DJ TSUYOSHI、ARTMAN、uvAntam aka Ubar Tmar、及川禅、Guusun、DJ Ken爺、GOCOO、SORMA、Dr.Tommy、NaosisoaN、ノゲランド(野毛乱)
DJ MIKU、ラビラビ/RaBiRaBi、YAMA a.k.a SAHIB、&&&more&&&
1986年4月のチェルノブイリ原発事故後、日本でも原発の危険性が叫ばれはじめ、大きなうねりの中で、脱原発社会の実現に向けて、「no nukes one love いのちの祭り88」が、1988年の8月、長野県富士見町の、八ヶ岳を眺めるパノラマスキー場で開かれた。広瀬隆さんの講演や富士見町出身の樋口健二さんの原発労働者の被曝実体の写真展など原発の危険性を訴える企画のみならず、原発を容認してきたわたしたちの暮らし、生き方そのものを変えてゆこうと、脱原発を進めてゆくための風力発電や太陽光発電のモデルが紹介されたり、大地と共に歩みつづけるネイティブ・アメリカンのホピ(平和という意味を持つ)族の人々を招いての講話などと共に、会場には自然食のレストランなどが並び、また川口由一さんを招いてはじめての自然農の講座が開かれたりした。
そして2000年に長野県大町市で「いのちの祭り2000」が開かれた。
だが昨年3月、ついにこの日本で、原発事故が起こってしまった。
今日のわたしたちの二元論的、物質主義的、科学合理主義的、競争原理的な思考に基づく文明が、必然的に核(核兵器や原発)を要請しているからには、生命の根源的な一体性に基づいた新たな文明への、神話(大いなる物語)の転換なしには、脱核、脱原発はありえないだろう——平和が、武力によってではなく、わたしたちが平和であることによってしか成し遂げられないように。