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開催終了 ハイデッガー『存在と時間』を読む会“本を手に街へ出よう!”

詳細

2016年12月10日 15:14 更新

 

「君と僕とが現象学」 とまでフッサールに言わせ、哲学史を独自に観なおした未完の大作が絶大に評価され、ナチスとも関係し、戦後はサルトルに 『存在と無』 を書かせながら実存主義者の呼称を否定、現在もポスト構造主義へすら影響を与える、ドイツの深い森のようにミステリアスな、マルティン・ハイデッガーとは誰か?
 
軽めのしか手を出さなくなりつつある現代人の皆様、ネット上で楽しみながら / 助けあって、ひとつ哲学書を読みはじめませんか? スポーツ感覚で。 走る人
 
主著『存在と時間』。
長大ですが、ゆるめにペース・メイクしますから、私生活への負担は少ない、かと。 いい気分(温泉)
 
<参加ボタン> を押し、分割された章節を期間内に読んでいただき、以下主題などをコメントしあう、という企画内容です。
何が書かれてたか、の解釈。
解釈に対して、何を感じたか、の感想。
(トピック参加者の多くが第1 〜 23節を読了するまで、進行を一時停止。
解釈と感想を必須とせず、任意にし、読了記録だけは書きこむ。
小節を飛びこえて解釈や感想を書きこんでもいいし、誰かの書きこみについて書きこみ可、むしろ企画に有意義なので推奨。)
 
今、各社から文庫や新書が出てますし、月1くらいで図書館に通うのもいいですよね。
都度、各書と訳語照合します。
 
以下サイトを参考として中途参加も歓迎しますし、既読の方なら再読なしでもかまいません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%A8%E6%99%82%E9%96%93
 
いくつかのコミュニティで共催され、横のつながりも面白いかと思われます。
http://mixi.jp/view_event.pl?id=22825475
http://mixi.jp/view_album.pl?id=4213676&mode=comment
 

コメント(95)

  • [56] mixiユーザー

    2007年10月02日 03:38

     おっしゃられる<提案>というのが何だか私には難しいのですが、トピ主のwarmart_さんが、たたき台となる要約と問題点を最初に提出してくれて、それをめぐって話し合うというのが、進行としては自然で長続きしそうだと思います。
    それか、章ごと担当を決めるとか。一応、核がないと、議論をするのにも、ちょっと難しいのではないでしょうか。
     どうでしょうか?
  • [57] mixiユーザー

    2007年10月02日 08:20

     
     あむばるサンには物足りないかもしれません。
    ただ、トピック冒頭文や勧誘文には 「議論」 とはたぶん書きませんでしたし、(個人的には好きですが) 議論的やりとりを重荷とする向きも半分以上いらっしゃる気がします。

     提案はたくさん書きましたが、要点は1つだけです。
    「解釈と感想だけは読了証明としてコメントくださるとありがあたいです。」

    「要約と問題点」 について。
    要約は、実は1つじゃないと思いますし、コメントを交わすうえでも、その人がどの程度の解釈を本文に与えたか、知る必要があると思います。
    そして、問題点という見方でとらえない人もいると思われます。
    “ふむふむなるほど。” で終わってもかまわないですし、実際そうあるべき小節もあるのでしょう。
    ブレイン・ストーミングのように “批判を一切しない前提で思いを述べあう” という雰囲気を基本にすえてはどうだろうと考えてます。

     議論を否定しません。
    「Xさんの解釈 / 感想はおかしいんじゃないですか?」
    ただ、こうした指摘に対して次のような回答を、過剰だと感じる人もいるでしょう。
    「いえ、×××といった論拠をもって自己コメントは正しい。
    これによれば、あなたのコメントこそおかしい。」
    あるいは、次のような回答を、不足だと感じる人もいるでしょう。
    「いえ、私は読書も読書会も初心者でして、何か指摘されても頷くほかありません。」
    個人的には、議論したければ あむばるサンに向けることにします。 わーい(嬉しい顔)

     それに、このコメント057全体も1意見にすぎませんから、第5‐7節あたりどれか、あむばるサンが 「たたき台担当」 をしてみてくださいませんか。
    好評なら担当を当番にして継続しましょう。
     
  • [58] mixiユーザー

    2007年10月03日 03:04

     難しい本とか話とかぜんぜんわからないですけど、とりあえず参加してみます。
  • [59] mixiユーザー

    2007年10月03日 04:15

     warmart_ さん、了解しました。
     物足りないなんてとんでもないですが、私も、提案した手前があるので、責任を持って、解釈は難しくて出来ないですが、要約とその抜き出したところの説明くらいはさせていただきたいと思います。もちろん素人なので、自信はないですけど。自分の勉強としてがんばります。
     ただ思うのですが、一節一節を区切って担当するのでしょうか。「第5‐7節あたりどれか」というとそうですよね。それだとかえって、一回あたり七人の人手が必要で大変じゃないでしょうか。
     もちろん、荒らすつもりで書き込んでいるわけではないのですが、どうなんでしょうか。
  • [60] mixiユーザー

    2007年10月03日 09:01

     
     僕の表現 「解釈」 と ・ あむばるサンの 「要約」 はたぶん、同じ意味あいです。
    “存在論は困難だ。”
    第1節のそれが、この8文字であってもかまわないわけです。

     担当法ですが、小節ごと担当したほうが各位に負担が少なく / 参加意識も細切れに広まって、いいと個人的には思いますよ。
    「大変」さは当番制でまかなえるかと。
    敷居は低く保ちたいですね。

    「荒らす」 どころか、あむばるサンは強力な協力者だと感じてます。
    よかったらマイ・ミクを申しつけてください。 わーい(嬉しい顔)

     皆さんも賛否をお聞かせくださると嬉しいです。
     
  • [61] mixiユーザー

    2007年10月05日 02:48

     もろもろ了解しました。
     ではとりあえず私は、5節を担当させていたいと思います。15日にアップできればいいのですよね。
     不勉強ながらがんばります。
  • [63] mixiユーザー

    2007年10月08日 01:05

    参加します。とりあえず第8節まで読みました。
    「下書き」のようなものを自分の「日記」に記してみました。
    http://mixi.jp/view_diary.pl?id=585410876&owner_id=2312860
  • [64] mixiユーザー

    2007年10月08日 01:51

     
     このトピックでのルールに、特別な禁止事項は設けません。
    ただ、解釈(自己要約) と感想は、少なくとも7節単位で明示くださると誰にもわかりやすいかと思います。 わーい(嬉しい顔)
     
  • [65] mixiユーザー

    2007年10月08日 23:21

     すいません、確認です。 
     今回からはじめるので、15日から書き込みと議論をはじめて、1日で締め切るんですよね。で、1日には8章から14章までの書き込みをするということでいいんですよね。
  • [67] mixiユーザー

    2007年10月09日 00:21

    tunousagi さん・62

    「存在的」と「存在論的」について。

    中公クラシックス版『存在と時間』の読みながら、マイケル・ゲルヴェンという人が書いた『ハイデッガー「存在と時間」註解』(ちくま学芸文庫、以下『註解』と略記)も読んでいます。その中で、「存在的問い」と「存在論的問い」の違いについての「まとめ」のようなものがありましたので、引用します。

    「存在論的問い」
    問いの対象:存在(Sein)
    問いの型:存在論的
    問いの用語:実存論的カテゴリー
    問いにおける出来事の在り様:factical 事実的
    問いにおける自覚の型:existential 実存論的

    「存在的問い」
    問いの対象:存在者(Das Seiende)
    問いの型:存在的
    問いの用語:カテゴリー(範疇)
    問いにおける出来事の在り様:fadtual 実際的
    問いにおける自覚の型:existentiell 実存的

    ちなみに、「存在論的」の原語は「ontologisch」で、その英訳は「ontological」です。
    「存在的」の原語は「ontisch」で、英訳では「ontical」または「ontic」とされているようです。

    また、ゲルヴェンは、「存在(ドイツ語の"Sein")」の英訳を「Being」ではなく「to be」とすべきだと述べたうえで、次のように言っています。

    「to be(在る)はそれ自体、物でもなければ存在者でもないのである。to beなどという物はない。私が、在るということの意味を問うている時、私は物について問うているのではないのである」(『註解』p.57)
    「我々が探求するのは、なにか個々の物の意味ではなく――人間という物の意味でさえなく――在るということの意味である」(『註解』p.62)

    「存在(在る、在ること)」を問う、存在論的問い。
    「存在者(在る物、在る者)」を問う、存在的問い。

    まだ分かりにくいかも知れませんが、こんな風に整理してみました。
    <存在的と存在論的−『存在と時間』note-002>
    http://mixi.jp/view_diary.pl?id=586475790&owner_id=2312860
  • [69] mixiユーザー

    2007年10月15日 10:04

     
    《解釈》 第1節 『存在への問いを、はっきりと繰返すことの必要』

     主題 <存在> は、古代のアリストテレスや近代のヘーゲルはある程度かは解きあかすに近づこうとしたが、現代も尚よくわからない。
    この疑問をさらに難しくする偏見を除くため再考すべき論点は以下3点。
    1.<存在> は 「最も普遍的な」 概念。 (アリストテレス)
    しかしむしろ最もはっきりしない概念。
    2.「〜である」 など、何か語るときすでに現れるこの <存在> 概念は、定義というよりむしろ問いかけ。
    3.<存在> は、当たり前に語られながら、ふんわりと (便宜的に) しか知られていない。
    再考に当たって大切なのはまず、問いなおし方。 


    《感想》 第1節 『存在への問いを、はっきりと繰返すことの必要』

     まだ右も左も分からない。
    が、ともかく <存在> 論の再検討だとはわかる。
    古代ギリシャの哲人たちとヘーゲルなど以外には批判的で、つまり伝統的なようだ。
    とても文学的な表現が一層、難解で深遠な印象にしている。
    もしもそれを排して簡明にし、フッサールからの評価がなく、ナチスのセンセーションもなかったとしたら、果たして名声を得られたのか。
    この疑問も読了に晴れるかと思う。
     
  • [70] mixiユーザー

    2007年10月15日 11:56

     
    《解釈》 第2節 『存在への問いの形式的構造』

     <問う> とか <〜である> とかの言葉や意思に、すでに <「である」 という存在> なり <問い求められる何か> が含まれるほど、私たちは、これから議題に挙げようとしている <存在> というものに対して、未知なまま麻痺している。
    プラトンが 「どんな物語も話され」 ないと言うように、既成概念から離れてこそ <存在> というものを知る術がある。
    <存在> の何たるかを問うには、独自で正当な問い方を必要とし、眺める視点 ・ そして意味や概念の把握 ・ 模範的 <存在> 選び ・ 手法への慣れなどが必要な備え。
    そうした、<存在> を問うという可能性を持つ者が人間という存在だから、特に人間を <現存在> あるいは <人間存在> と新たに呼ぶ。
    しかし、存在そのものでもある人間が <存在> を問うにも、自己矛盾はない。
    なぜなら、独自で正当な問い方なしに <存在> を探る術はなく、しかもその視点をも成長させつづさるをえないから。


    《感想》 第2節 『存在への問いの形式的構造』

     存在論が他の議論より優位で、またその内容を語る自分たち人間をも優位だ、と主張しているようだ。
    思いだしたのは、“インディアン嘘つかない” という台詞。
    そして人間宇宙論 (だったか)。
    人間を生みだした宇宙を見つめる人間、この特殊な存在が生まれた条件 (可能性) を数値化しようとすると、それこそ天文学的に極小な確率になるらしい。
    宇宙を研究する一部の人々は “人間が生まれるために宇宙が仕組まれているのでは?” とさえ考えるそう。
    また、帰還した宇宙飛行士には宗教に目覚める人々が少なくないとも聞く。
     
  • [71] mixiユーザー

    2007年10月15日 13:04

     
    《解釈》 第3節 『存在の問いの存在論的優位』

     <存在への問い> が効果的となるのは、機能と ・ 意図 ・動機が限定された場合。
    これまでの歴史ではなかなかそのように準備されなかったし、それはどう役立つか。
    数学や物理学 / あるいは生物学 / 神学など様々な学問は、当面した課題の解決から展望を得たり / あるいは原理を知ったりしているが、さらにその指針を探る道が <存在への問い>。
    それは人間存在の歴史性における解釈。
    その問いが解かれないと結局はどの学問も遠く見通せない。


    《感想》 第3節 『存在の問いの存在論的優位』

     正直なところ、本当に他の学問にまで及ぶほど具体的に深遠な課題だとしたら、これはすごいなと感じた。
    (が同時に疑念も抱いた。)
    アインシュタインの相対性理論もふれている。
    当時として時事的だが、ニュートンからの転回をどのくらい理解していたのだろう。
     
  • [72] mixiユーザー

    2007年10月15日 13:43

     
    《解釈》 第4節 『存在の問いの存在的優位』

    (あるということがわかる、) <存在了解> とは、人間の存在自己規定ですらある。
    しかし、現段階では展開すべき存在論が未開なため、人間存在の優位性は、存在「論的」な優位であり、これが存在的優位でもある。
    人間存在がこうした、問いの態度を持ちえ、かつ当面 のその存在自体を、特に <実存> と呼ぶ。
    人間存在が <存在> を問うとは、自身が自身である可能性を問うという、存在的な <仕事> であり、こうした行ないが実存の問題。
    それには真理など 「超越概念」 なども含まれ、そうした過程を踏む人間存在に <こころ> がある。
    人間存在は、<存在> 的な点 ・ 存在論的な点 ・ 人間存在以外の了解を規定づけられている3点から、優位に立つ。
    しかし存在者の総体の、悪い主観化とは違う。


    《感想》 第4節 『存在の問いの存在的優位』

     先節からつづいて、存在論探求や、それができる人間を優位だとする内容に、賛歌なのか重責を伝えたいのか、わからなさが気になりだした。
    存在論は抽象ではないといった話題が少しあったが、すでに幾重もの存在論層が定義されていて、彼がいかに重層的にこの存在論内部を分析していたかと察せられる。
    なぜこうも複雑に表現を重ねる意義があるのか、当初はそう感じたが、彼なりにわかりやすく詳しく説明するためにも、長文になったのかもしれない。
     
  • [73] mixiユーザー

    2007年10月15日 14:50

     
    《解釈》 第5節 『存在一般の意味解釈のために、視界を開くこととしての、現存在の存在論的分析論』

     哲学的心理学 / あるいは人間学 / 倫理学 / 「政治学」 / 文学 / 伝記 / 歴史記述などは、各方法と規模において人間存在の行為や / 能力 / 力量 / 可能性 / 宿命などを限られる。
    こうした分析は断片的で / かつ暫定的で、時間性の諸様相である。
    <存在> の意味一般へ向けられた主導的な問いに対する解答は備わってはいないが、その地盤はできている。
    <時間> は古くから様々な領域を素朴に区別する、存在論的よりは <存在> 的な標識として働いてきた。
    基礎的な存在論は、<時間> における <存在> とその性格や / 様相の根源的な意味規定性として呼ぶことにする <存在時間的規定性> の検討から始まる。


    《感想》 第5節 『存在一般の意味解釈のために、視界を開くこととしての、現存在の存在論的分析論』

     いよいよ <時間> が登場。
    時間によって <問い> の解答が移りかわると表明しているように読める。
    しかしそれを貫く解き方について 「根源的」 という表現を用いているようだ。
    彼の意識として、前人未到の新たな哲学を編みだそうという自負と、いずれさらに優れた踏みこみが他者からなされるだろう謙虚さを兼備しているのだろうか。
    先人たちの哲学的業績についても、独自の視点から当否を与えている。
     
  • [74] mixiユーザー

    2007年10月15日 16:38

     
    《解釈》 第6節 『存在論史を解体する課題』

     すべての研究 / あるいは分析は、人間存在による1つの存在的な可能性。
    大まかに言えば人間存在は、未来から <生起> し、自身の過去性として存在する。
    しかし、人間存在にとって最も手近で ・ ありきたりな存在観に従ってしまう傾向 (好み) ような伝統は、人間存在 / さらに存在論に対して、独自の導き方と ・ 問い方 ・ 選び方を奪ってしまう。
    課題として、<存在> を問う手はじめに古代存在論の伝承的な内容を解体しなくてはならないのは、言わば解体最初の駅。
    過去、存在時間性を探究する道を進んだ、最初で唯一の人はカント。
    デカルトすら 「われ思う、われ在り」 の根本的な端緒において 「在り」 の意味を無規定に怠らねばならなかった。
    この存在論的な土台を調べるというのは、存在論史解体における第2の駅。
    (以下、存在論史の解釈が書かれているが、未理解。)


    《感想》 第6節 『存在論史を解体する課題』

     <存在> を問うてきた存在論史の多くで伝統的な恣意に過ちを犯されてきたが、カントがヒントを与えているらしい。
    後半、存在論史の解釈が書かれていたが知識がなく、ウィキペディアでも参考としながら読みたかったが、〆切も迫り、断念 ...。 ノ_-;
     
  • [75] mixiユーザー

    2007年10月15日 18:00

    すみません。完全に出遅れています。皆さんのコメント読んでしっかり勉強して追いつくように努力します。まだメンバーで居させてください。よろしくお願いします。
  • [76] mixiユーザー

    2007年10月15日 18:36

     
     野粗さん、強制ではありませんし、どうぞご自身のペースで進めてください。 わーい(嬉しい顔)
     
  • [77] mixiユーザー

    2007年10月15日 22:04


    《解釈》 第7節 『現象学的研究方法』

     <存在> の意味を問うと、哲学の根本にふれる。
    その原則は、浮動した構成や / 偶然の発見 / 外見のみ証明ずみの概念 / 系統的な偽の問いを拒みます。
    おそらくヴォルフの学派で成立したらしき 「現象学」 という名称に重要さはない。

    A.現象という概念
     <何々のように観える> かのように何かが自体を示す、これを <仮相> と呼ぶ。
    <仮相> は、<何々のように観える> だけでありうるし / そう観えないようにも示せる。
    自分で自分を示す <現象> は、ものの優れた出遭い方を意味する。
    通俗的に解された現象に対して、主題的でなくても先行するか伴うかして、すでに自分を示すものは、主題的に自分を示すことまで持ちこめ、これが現象学的現象。

    B.ロゴスという概念
     ロゴスは (翻訳されて) 「理性」 「判断」 「概念」 「定義」 「理由」 「関係」 などと解釈される。
    <話> は話の事柄自身から <観させる> から、真でも偽でもありうる。
    真、真理とは <観させ> られてない何かを見つけ、引きわたされた何か。
    よって、ロゴスに真理があると直ちにはいえない。

    C.現象学の予備概念
     現象学とは、 <自分を示すものを、それが自分自ら自分を示すように、それ自身から観させること>。
    現象学という語は、研究対象と事態性を表すのでなく、取りあつかわれるべき指示とその扱い方を指すのみ。
    現象学は、存在論の主題への接近法を証示する規定の様式。
    存在と存在構造は、すべての存在とその規定性を超える、超越者そのもの。


    《感想》 第7節 『現象学的研究方法』

     本書を執筆したのは37歳くらいと記憶してる。
    彼はまるで、自身と同レベルな哲学的素養のある人々へ正確に説明するために書いているかのよう。
    しかしもし、彼が一般人にわかりやすく説明しようとしたら、本文はずっと短く、明快なものになったろし、たぶん名著として現代まで残らなかったろう。
    この、現象学を解説する小節も、正確に内容を説明してはいるのだろうが、実際に後述での応用を観ながら探るほかない、僕には。
    BOOK‐OFFに立ちよって関連図書を探し、木田元 『ハイデガーの思想』 というのを見つけた。
     
  • [78] mixiユーザー

    2007年10月15日 23:41

    う・・・私も気づけば今日でした。
    完全に出遅れてますね。
    ガリレオなんて見てる場合じゃなかったです。

    今週末にがんばりますウインク
  • [79] mixiユーザー

    2007年10月19日 08:54

     
    > tunousagiさん ; 062

     疑問点1について。
    存在と存在論は、違いますよね。
    置いてあるコップと <コップをどう観るか>。
    <存在を問う> ところまでさかのぼろうとすれば、あらゆる学問はさらに見通しが利くようになる、これが存在論的優位。
    だから <存在を問う> 行為(者) はすでに優位、これが存在的優位。

     疑問点2について。
    現存在は、人間存在。
    存在者は、存在する(と仮定する) あらゆるそれぞれ。
    存在論は、存在についてあれこれ語られてきた論理。
    実存論は、<存在を問う> 彼ハイデガーの試み方。
    となれば、この2分析論はあながち無理でもなさそうです。
    現存在の存在論的分析論。
    存在者の実存論的分析論。
    「論」 という語にはさしたる重要さはなく、ただ <論じられたもの> くらいでいいんじゃないでしょうか。

     疑問点3について。
    本当にその訳文がありますか?
    後ほど調べます。
    「性の」 と 「論的」 との違いは前者のほうが、より正当な分析であったり / あるいはより問うべきものに近づいてると思います。

     訳本が古いからではないと思います。
    別の訳を確認しながらでなくていいと思います。

     こうしたことも、このトピックに書いていいと思います。
    ご自身で決定して、自由に進めてください。 ^_^
     
  • [80] mixiユーザー

    2007年10月19日 15:18

     
    > あむばるサン ; 065
    > tunousagiさん ; 066

     日程としてはそういうことですが、どうかマイペースで。 わーい(嬉しい顔)
     
  • [82] mixiユーザー

    2007年10月28日 20:41

     
    《解釈》 第8節 『論究の構図』

     特定の人間が特別な解釈による <存在> を概念化は、 <存在> という概念があるべき普遍性とは矛盾しない。
    しかしその特定の人間は <歴史的> で、 <歴史記述的> な解釈にはなる。

     <存在> を問うために第一義的なのは人間存在。
    後掲 (未完の本書発表分すべて) に渡ってその予備的表示を可能にする、実存論 的な意味とは <関心>。


    《感想》 第8節 『論究の構図』

     <歴史的> になるというのはたぶん、2007年に <存在> を考察するなら、自ずと2008年版とは異なるはずだが、それでも (論拠はたぶん 「鋭い単純化の可能性」) 普遍性を伴う、ということか。
    <存在> を問うための、人間存在への予備的表示が (未完の)本書。


    《解釈》 第9節 『現存在の分析論の主題』

    1.<実存> は伝統的存在論では扱えない。
    <実存> は現存在だけに割りあてる。
    伝統的存在論からの術語としての <存在> とは、いわば目の前にあることや諸性質をいうから、いわゆる <本質> よりも優位。
    <実存> としての人間存在の <本質> は、目の前にあることや諸性質ではなく、存在することそのものや在り方。

    2.人間存在とそれ以外は、関係しながらも無関係で、しかも人間存在の固有性から、各自の人間存在は 「それ以外」 にもなりえ、こうした性格を <各自性> と呼ぶ。

     1・2により、人間存在の分析は独自だが、決して有利とか優位を示すわけではない。
    またそこにおいて、分析論的な説明はカテゴリーと実存カテゴリーとに分けられる。


    《感想》 第9節 『現存在の分析論の主題』

    「実存」 は造語なので、これまでにない意味が与えられてるし、もちろん実在とかとは違う意味。
    この語が文中に現われるたび、既成の表現での換言を考えてきたが、ここへきて 「積極的恣意性」 かなと思いあたった。


    《解釈》 第10節 『人間学、心理学ならびに生物学から、現存在の分析を区別すること』

     人間学、心理学ならびに生物学で最初に与えられる自我や主観といった観念は、形式を形成しうる現象領域を求めるから、主観や / 霊魂 / 意識 / 精神 / 人格という存在を問わないから、ここでの人間存在への分析とは区別する。
    ところが反面、人間存在を了解する傾向もあり、つまり存在論的に問題となっていないのが欠陥。
    (以下、同時代人や / 先人 / キリスト教などを引用しているが、本節主題の論証か。)


    《感想》 第10節 『人間学、心理学ならびに生物学から、現存在の分析を区別すること』

     解釈に書いた論証部分以外、解釈できた部分に限り納得。
    論証部分が難しく、論証以上を書いてたり / それがここにしかない内容でないといいけれど。 ノ_^ ;
     
  • [83] mixiユーザー

    2007年11月01日 19:04

     
     早くも遅刻してしまいました。
    追いかけます。 ノ_^ ;
     
  • [85] mixiユーザー

    2007年11月04日 18:38

     
     ^_^ ;
     
  • [91] mixiユーザー

    2007年11月15日 22:44

     
    《解釈》 第11節 『実存論的分析論と原始的な現存在の解釈 「自然的世界概念」 を得るための種々の難しさ』

     日常性と原始性は合致せず、日常性は現存在の存在様相であり、自分の特有な日常性をもつ。
    しかし民俗学など実証的な諸学問は、存在論的哲学を待てないため、その研究は進歩でなく繰りかえしとなるから、純化を求められる。

     従来の哲学が拒否してきた自然的世界概念という観念の未検討が、現存在の実存論的分析論を困難にする。
    多種多様な文化や現存在の形式についての豊富に揃えられてきた知識で、混合主義的に比較したりは本質認識を与えず、誤認させる誘惑で、本当の理解を保証せしない。
    世界現象を概念的に検討することから、現存在の根本構造を察知することになる。


    《感想》 第11節 『実存論的分析論と原始的な現存在の解釈 「自然的世界概念」 を得るための種々の難しさ』

     風邪やオフ会準備で停滞していた果てに戻ると、改めて本書の心象が定着した気がします。
    近代兵器による初の世界大戦がもたらした破壊からなのか、新しい語句群によって哲学史を観なおそうとしているかのような文意、という定評を再確認しました。

     さらにこの短い小節では、後の構造主義や人類学と対決するかのような、本質探しへの意志が読みとれたような印象。
    こうした本書が一部のポスト構造主義(者) にどう影響しえたのか、今後の疑問。
     
  • [92] mixiユーザー

    2007年11月22日 00:47

    とりあえず、中公クラシックス版の第?巻(第27節)までを読み終えました。
    感想じゃないけれど、日記に記しました。
    http://mixi.jp/view_diary.pl?id=631292002&owner_id=2312860
  • [95] mixiユーザー

    2016年12月08日 13:44

    >>[91]

    人間(現存在)をむき出しにしようという営みの一つとして民俗学がありますが、ハイデガーは民俗学はあくまでも現存在の一つの存在様相を描き出すだけで、本当に現存在の本質を理解することにはつながらないという。
    しばしば私たちが未開民族の研究を見て、あたかも人間の真の姿を垣間見るような気分を味わうのは行き過ぎた錯覚に過ぎない。存在論的(実存論的)分析がずっと手付かずのままなら、私たちは常にこの錯覚に騙され続ける。
    そして現存在の存在論的(実存論的)分析という仕事において重要なものに、ずっと私たちが素通りしてきた「世界」という概念の再検討がある。
    私たちが「世界」という言葉で普通に(自然に)思い描いているその観念が、果たしてそのまま維持しうるものか否か再検討するところから、私たちはこの仕事を始めなければならない(こうして私たちは第2章へ導かれる)。
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