mixiユーザー(id:19426232)

2008年09月07日17:03

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父からのメッセージ

「ちび(私のこと)の日記を読んで、
 『いっそのことお父さんにもmixiに入っていただいて
  原爆体験を語るコーナーを作られては…』
 と、いうお話をしてくださった方がいらっしゃるよ」

と、いう話を父にしたら、

「うぅ〜…パパはパソコンと向き合うと
 頭が痛ぉなるけぇのぉ…ふらふら

と、考え込み、数日後、
私に一枚のFAXをよこしました。

それをまんま打ち写させていただきますね。
文章がやや堅くて読みづらいかもしれませんが、
敢えてそのまま写させていただきます。

どうか読んでやってくださいませ。。。





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世の中の人々が原爆反対を唱えるのは何故だろうか。
 
被ばくの悲惨さを垣間見て、自分達がその悲惨さに襲われたくないからか?
或いは現実に被爆した人たちを気の毒に思うからかな?
はたまた、地球全体の破滅を心配してか?

人々はそれぞれの考え、それぞれの立場において原爆反対を唱えているのだろう。
それはそれで各々を理解し、認めてやらなければいけないことだと思う。
しかし、それをセレモニーに仕立て上げて、ある種自己満足の糧にするようでは不純になる。

今でもパパはハッキリと覚えている。
40年くらい前の8月6日の夜の10時頃に
原爆慰霊碑の前で額づく老夫婦の姿を。

恐らく自分達の子供か親か兄弟を原爆で失ったのだろう。

奇しくも、
その年、原爆反対の全国的組織が分裂し、
やれ日本原水禁だ、こちら原水協だ、
あちら共産党系、こちら社会党系だ、と、
各々の組織が原爆慰霊碑のある平和公園を挟んで二つの学校の講堂で、
全国各地から集まった組織員たちが、
『我こそは真の原爆反対者だ!』と、
愚にもつかない総会を開いて気勢を上げた。

しかし、パパの目には、
その抗争は政治に絡んだイデオロギーの発露にすぎない、
原爆を利用した政治闘争でしかない、と、いう風に見えた。
彼らは、本当に、原爆の悲惨さを味わった人達の代弁者ではない、と。

大騒ぎをして気勢を上げるこの人たちよりも、
昼間の喧騒を避けて、
夜遅くに慰霊碑に額づくあの老夫婦の方が
真実、原爆反対を思い、
原爆反対を心から叫んでいるようにパパの目には見えた。

それはパパ自身も原爆で家族を失い、
昼間の雑踏を避けてママと二人の子供を連れての慰霊碑参拝だったから、
余計にそう感じたのかもしれない。


あの大騒ぎをしていた組織は平成の今、
どこに行ったのだろう?


今の世界には、核爆弾が散らばっている。
アジアを見るだけでも中国、北朝鮮、インド、パキスタン、イラン、と、
多くの国々が核装備をしているか又は装備可能な状態にしている。
しかもその中には核ミサイルを日本に向けて設置している国々がある。

戦後60年過ぎても我々の世代は核を放逐する事が出来なかった。
だからパパは若い世代に頼みたい。

やるならもっともっと強烈に。

そのためには、日本の国威発揚も考えねばならない。
単に反対のための反対では何にもならない。
反対の根源を極め、
強い発言力を持った国として反対を推し進めなければいけない。
そうでなければ広島の平和宣言も長崎の平和宣言も
ただ発信しただけで終わる。
世界の幾つの国がそれを真剣に受けとめているのか?
一発の核爆弾の暴発、誤発で本当に地球は滅びてしまうというのに。

世界に誇れる国、世界に尊敬される国民であれ。
規律ある自由を踏まえた若者たれ。
殺す相手は誰でもよかった、ただ人を殺したかっただけだ、と、
嘯く人間であってはいけない。


…この文をパソコンで打つのに一日かかった。
後はチビに任せる。




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原爆を、“夏の風物詩”化しないように、
私自身親父のメッセージを受けとめ、引き継いでゆかねば。








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