まとまらんけどなんとなく書く。
ちょっと前に自分は結構しあわせだ、という日記を書いた。
「家族は元気で、仲も悪くなく、良すぎる事もなく。
彼女はいないけど、しばらくは要らない感じだし、
仕事はそれなりに問題はあるけど、まあなんとかなってるし、
将来は考えてもしょうがないし、
体調もさして悪くない。 」
で、自分としては、別に何の不満もなく生きている。
けれども、世の中の人々は、結構な割合で、自分の人生に愚痴を言う。
そりゃぐちも言いたくなるだろう、と思う人ももちろんいるが、そうでもない人でも、自分の人生には文句があるらしい。
傍から見ていても、別に何の問題もないような人でさえ、他人の悪口を言ったりしている。
でも、中には逆に、「あんたは愚痴を言ってもいいよ。」 と思うくらい大変な環境にいる人が、結構幸せに暮らしていたりする。心が平穏で、日々穏やかに暮らしている。
何がその違いを生むのか。
で、僕は勝手に、自分を後者のグループと思っているのですが、(つまり平穏無事で、他人の愚痴を言わないグループです。それとももしかして、僕も他人の愚痴を結構言ってるのかな?) まあ、思っているのですが、自分はどうなのかな、と考えてみました。
自分はなんで幸せに生きているのか。
それはね、さっき思ったのですが、生きることを選んだからです。
昔々その昔、僕にも若い頃というのがありまして、悩み多き青春時代を送っていたのです。にきびは多いし、女の子にはもてないし。
で、もうなんもかんも嫌になって、自殺を考えました。 ま、普通です。
で、ぶつくさいろいろ考えた挙句、まあ仮にですけど、生きることを選択して、生きているのです。死ぬことを拒否して、あえて生きている。望んで生きているのです。
だからこそ、自分の人生に何があっても幸せなのかなと思います、といっても大したことはないわけですが。ま、事故でもあって、半身不随とかなれば、考えも変わるでしょうけど。
自分で生きることを選択した以上、その中で起こることには、自分に責任があります。責任というと大げさですが、その結果については自分で受けるしかありません。
文句を言っても始まらんのです。
今ここにいるのは自分の意思なのです。
そう思えばこそ、愚痴を言ったりしようと思わない。
好きで生きているのです。
嫌ならいつでもリタイヤできるのです。
自分の人生に文句を言うより、他にすることがあるんじゃないかなと思います。
お客さんとして生きているのではなくて、自分の意思で生きている、という意識が、しあわせ感を起こすのか、と思います。
ま、あくまでも自分の話ですけどね・・・。
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