いつだったか、数ヶ月前だったか、数年前だったかに似たような内容の日記を書いたような気がする。
『信じる』って何だろうか?
「絶対、レースで一番になるって信じてたのに…」
「絶対、あなただけは浮気しないって信じてたのに…」
「絶対、お前だけは裏切らないって信じてたのに…」
自分が期待する事や、自分がされてはイヤな事を、他人に強要してしまうような「わがまま」で「おそろしい」恐怖の言葉になってはいないだろうか?
確かに自分がされてイヤな事を他人に「しないでね」という事は日常生活で多々ある。
が、実際に、自分はその人間ではないし、24時間常に監視している訳でもない。
ましてや、本当の心の奥の感情まで考えるとなると更に管理不可能な域に達する。
だから、人は、それを『信じる』と言う呪文を使う事で、不安を封じ込めるのだろうか?
本当は言いつけを守らない事を知っていても、自分の前ではうまくやりなさいよ!というような「信じる」という言い方もあるだろうし、絶対にそれをしたら許さない!する訳がないみたいな「信じる」もあるだろう。こう考えてみるとこの2つの『信じる』は意味が違うように思う。
分かりやすく分けるとこういう事だろうか。
�仝世辰討い觚斥佞凌�憑性を『信じる』
�△修凌祐屬鮨�じて(現実はどうあれ)『そうだとする』
�,枠鷯錣妨渋綣匆馘�であり、�△魯ぅ鵐疋優轡△里茲Δ僻�展途上国っぽい気がする。�,蓮�極端に言えば、人間を信用するには必ずソースの信憑性が必要であるというような考え方。ビジネスには不可欠である基本的思想。�△砲蓮悒瀬泙気譴襦戮箸い�事が存在しない。最初から情報の信憑性を判断材料にしておらず、その人間自信を信じるかどうかであるので、騙される要素がない。たとえウソだとしても、その対象の人間がついたウソであるので、ウソとかは重要ではない。そう言ったからそうなのだ、という現実だけだ。また、急に意見を翻そうが次はそれに従うだけだから、問題もない。これは少しヤクザの任侠道に似ている。田舎の中小企業もこういう思想が多い。現実的な理屈ではなく、そこに存在するかどうか?という単純な思想だ。
人間は感情の生き物なので、そうとうな根性や思い入れがない限り、�△里茲Δ福愎討�黒いと言えは、白い物でも黒い理論』は、受け入れられない。
しかし、私はこれが人間関係で一番大事な事だと考える。
�,里茲Δ文充造魑瓩瓩詬�論はビジネスでは不可欠であり、現代の先進国では何の疑う余地もない普通の思想だが、ちょっと考えると、正しいというだけで、そんなに強い力を持つ事ができないのが分かる。正しい事というのは、確かにそれだけで大きな力も持つ。
しかし正しいだけでは、何もできないし、何も変わらない。そこにプラスアルファの要素があって初めて何かが変わる。
『納得する。』 『納得しない。』
これが人間にとって一番やっかいなプライドだと思う。
納得しない事には、ビタ1文、払いたくない。
納得しない事には、絶対に謝りたくない。
納得しない現象は、絶対に信じない。
これらは、コダワリのある、人間らしい、すばらしい人間であるのだろうか?
もしくは、すばらしくはないが、人間だから仕方のない感情なのだろうか?
納得していないのに『納得したフリをいて』先に進ませてしまうような最悪の人間よりは、全然ましだとは思うのだが、本当に納得をする為には、納得がいかない所だけを、一生懸命に見つめるだけでは不足な時もある。しかし本人は自分では気がつかない為に、他人がそれを指摘するが、指摘されたくないというプライドが邪魔をして、自分を正当化する事で、それから目を逸らす。
世の中の現象で自分が納得できる事の方が少ないと思う。それならば、納得するかしないかではなく、もっと違うところに基準をおいてみてはどうだろうか?
よく、『君に任せるよ』と言っておきながら、結局、文句ばっかり言うバカチンがいる。
『任せる』と言ったからには、一蓮托生で、たとえ死んでも文句を言ってはいけないくらいの心持ちがほしい。死ぬは大ゲサだが、『任せる』 と言う事はそういう意味ではなかろうか?
イヤなら自分で仕切るなりして、違う道を進めばいいだけだ。
『君の事を信じてる』 の言葉の意味は、その彼が犯罪を犯した時にも大きく変わる。
冤罪であり、犯罪をしていない事を信じるのか?
犯罪をしたとしても、好きな気持ちは一生変わる事がない事を誓う言葉なのか?
こういう極論をいう場合は得手して、家族だとか身内だとかが大事なキーワードになると思う。
家族というのは、たとえどんな事があっても、�△琉嫐�で信じないといけないと思っている。
最悪な事をしたとしても一生絶対に変わる事がない普遍の愛であり、相手に見返りを求めるような、わがままでない愛が家族の愛だと思っている。
私の思想だと、相手がどんな最悪な事をしようが、別れるという事がないので、一生一緒に暮らす事ができるし、信じるの意味が違うので、相手を疑う事もない。いつでも相手の為に命をかけられるし、それが一番深い愛だと思う。当然、人間は感情の生き物であるので、それを否定する訳ではない。むしろ、感情は豊かに露わにすべきだと思う。しかし、それは今言っている愛とはもっと低い次元に存在し、人生の選択肢を揺るがす事はないモンやと思うんやけど…。
これって宗教かな?笑
私の脳内ではまったく普通なんですが…
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