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2008年03月20日19:09

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アノ問題の本質

http://www.people.ne.jp/a/0539dcd91d52453cb7dcb64d1bf8328a
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もーネ、馬鹿か?と、アフォかと相変わらず、ちゅんころのやることには反吐がでる。
お察しの通り昨今の「チベット虐殺」問題である。中国が1950年チベットに侵攻して以来チベットは「チベット自治区」と呼ばれてきたが、その実態はチベット植民地である。

更に60年代には「文化大革命」の名の下に坊主(ボンズ)を皆殺しにし、尼僧(アマ)さんを強姦し
民族浄化だとホザき、現在、現存していれば「世界遺産」級の寺院や文物をことごとく破壊し、
挙句の果ては70年代には中国輸出用に1500万本の森林伐採を始め、多くの禿山を作り、
そこを核実験場とし、公称30回〜実際百回以上の核実験を実施しあまつさえそこに
核処理施設さえ作っている。

環境汚染、自然破壊の極みである。

現在残ってる坊主(ボンズ)は一部を除き、観光ガイドかモギリの
なんちゃって坊主(ボンズ)に過ぎない。

ぼんさんですらその扱いなので従来本当の国民であったハズのチベット民族は
『二等国民』に貶められ、漢民族が70年代からどんすか植民政策で流入し、
本来の国民であるチベット民族を実態としては奴隷として使役し、えばりノサばってるのが
現状である。

そこに追い討ちをかけるようにして昨年の中国様ご自慢の西蔵青海鉄道の開通である。
これでまた、食い詰めた無知蒙昧なクズのよーな満・漢民族の百姓どもの流入の加速に
拍車をかけたからたまらない。
村ごと男はチソコ切られて「断種」。女はこれまた強姦にて民族浄化とゆー地獄絵図の村も
少なくないと云う。逆らえば、即政治犯→投獄→拷問→獄死のフルコースとも伝え聞く。

チューゴク様の「盲流火車」による人間ゴミ捨て場の地にチベットは選ばれてしまったのが
現在の悲劇の本質ではなかろーか。おとなしいぼんさんですら、暴力行為に訴えるのは、
もうタマらんとゆーのが本音だろう。

そして、その昔、「彷徨える湖・ロプノール湖」を発見した探検家スヴェン・ヘディンが憧れた
美しい「トランス・ヒマラヤ」「世界の屋根エヴェレスト」の麓には
現在チューゴク様が涎を垂らして欲しがっているレアメタルやウラン鉱脈が
原始以来のヒマラヤ造山運動で隆起し地表の近くでまだ手付かずで眠っているのである。

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だが、わらしがもっとも許せないのはこのチベット族600万人の命を人質にとって、
ダライ・ラマを貶め、ぢくぢくとイヂめるその陰湿なヤリくちにある。

物質的なモノその殆どを簒奪され、また破壊され、その上宗教等、精神的な支柱さえ
奪われたら民族や人間はどーなってしまうのだろう?
この600万とも800万ともされるチベット民族の命運を一身に背負わされた、
もう齢七十ン歳になんなんとするダライ・ラマ14世とゆーコノおっさんは、

最近「オレ、もー辞めたいな〜」なんて愚痴ってると巷間伝え聞く。

だが、どっかの総理大臣みたく事はそー簡単にはいかないのである。
何となれば、このおっさん国家元首を辞めても死んでも終生最高指導者ダライ・ラマ法王を
辞めることができないからである。ご存知の方も多いと思うが、

それはこの国の不思議な輪廻転生禅譲スタイルに起因している。
かってコノおっさんは『The Golden Child 』と呼ばれていた。

【輪廻転生活仏制度】

ダライ・ラマ法王制度は世襲制でもなければ、選挙で選ばれるわけでもない。

先代の没後、次の生まれ変わり(化身)を探す「輪廻転生制度」である。
新しく認定されたダライ・ラマ法王は、先代が用いたすべての地位や財産を所有することができる。

現在のダライ・ラマ法王14世は、チベットの人々を救済するという菩薩行を実現するために、
繰り返し生き変わり死に変わりして転生しているとチベット人は信じている。
つまり、ダライ・ラマ法王という名前をもった存在が、14回にわたって輪廻を繰り返しきたということである。
しかし、それは1世が最初の存在であったことを意味するものではない。
ダライ・ラマ法王の輪廻転生は、その化身の起原に関して6百年の歴史をもっており、
仏陀の時代にまで辿ることが出来ると14世は述べている。

現在のダライ・ラマ法王14世は、1935年7月6日、チベット東北部アムド地方のタクツェルという小村で貧しい農家の子として生まれた。

この活発で可愛いらしい2歳の幼児ラモ・トゥンドゥプが、
先代ダライ・ラマ13世の生まれ変わりと認められたのである。

↓発見された当時のダライ・ラマ14世
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↑輪廻転生捜索団とご実家の前で

1939年、4歳になった生まれ変わりの子供は、チベットの首都ラサへ迎えられる。翌年には、ダライ・ラマ14世として正式に即位し、ポタラ宮の玉座に着く。その際、名前もテンジン・ギャツォと改めた。法名ダライとはモンゴル語で大海を意味する。ラマはチベット語で師(教師・智慧・指導者)を意味し、【智慧の大海】と訳せる。サンスクリット語でいうのグルにあたる。
ダライ・ラマ法王は、6歳のときから僧院教育を受け始め、24歳のとき仏教哲学の最終試験を受けた。この試験は、毎年チベット暦の正月に実施される祈願大祭の期間中、ラサのチョカン寺で行われるもので、これに優秀な成績をもって合格。ゲシェー・ララムパという仏教哲学最高位の博士号を取得することになる。

第2次世界大戦後、チベットに隣接する中国で国共内戦が勃発し、それはチベットにとって、未曾有の悲惨な運命の幕開けを告げるものとなる。1949年、内戦に勝利を収めた共産党の人民解放軍が自国内を掌握すると同時に、隣国チベットへ侵攻を開始すると、いまだ弱冠15歳の法王は、法王としての政治上の全権限を一身に帯びるよう朝野をあげて懇願され、1950年から国家指導者としての役割を担うことになる。1954年、1わずか15歳の法王は北京へ赴き、毛沢東をはじめとする中国の指導者らと和平交渉を行う。しかし、中国との国境地帯にあたるチベット東部は、たちまち人民解放軍によって席巻され、数多くのチベット人が命を奪われた。ダライ・ラマ法王は、和平交渉に懸命の努力を重ねてきたものの、圧倒的軍事力を誇る中国側の強硬姿勢の前に、全ては空しい結果となる。

その時、百姓出のSEX豚・毛沢東はダライ・ラマにこういったそうです。

「あなたの態度はとてもいい。だが宗教は毒だ。第一に人口を減少させる。なぜなら僧侶と尼僧は独身でいなくてはならないし、第二に宗教は物質的進歩を無視するからだ(何もモノを産み出さないからだ)」と、、、orz

ダライ・ラマが毛沢東の言葉を信じられなくなったのも当然でしょう。
今にして思えば、16億の人口爆発に悩む現代の中国にとっては、
宗教こそ最高の人口抑制策になったのかもしれません。

しかし、最近の中国は世界で最も無宗教の国、拝金主義の鬼畜の国に
なり果ててしまったかのようです。

まあ、十年ほど前、このおっちょこちょいで人の良いダライラマのおっさんも
お布施を呉れるつーんでオウム真理教の松本被告や上佑らとウッカリ、ニッコリ、
パッチリ写真に撮られさんざん利用された訳だが、、、

まー亡命政府の運営とかロビー活動とかやっぱ金要るんだろーね。
歴代のダライ・ラマの中じゃ波乱万丈の苦労人ではあるw

そこら辺のくだりは『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(Seven Years in Tibet)は1997年のアメリカ映画。ジャン=ジャック・アノー監督作品。ブラッドピット主演、(ジョン・ウィリアムズが音楽を手掛け、ヨーヨー・マが演奏している。)を見ると少し当時の様子が飲み込めるかと思う。
わずか15歳で一国の命運を背負わされた若き日のダライ・ラマ14世とオーストリアの登山家の友情物語である。


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【2人のパンチェンラマ】

パンチェン・ラマは、チベットの文化と宗教、政治において、
ダライ・ラマ法王に次ぐNO.2の最重要の存在である。
歴代のパンチェン・ラマは阿弥陀仏(無量光仏)の化身と信じられている。
次代のダライ・ラマの転生を探し認定する立場にある。
パンチェン・ラマの位は、1642年、ダライ・ラマ五世がゲルク派を強化するために、
偉大な学者を意味するパンチェン・ラマの称号を師のタシルンポ僧院院長に与えたことから始まった。

それ以来、ダライ・ラマがNO.2のパンチェン・ラマ輪廻転生を認証し、
またパンチェン・ラマがトップのダライ・ラマの輪廻転生を認承を行い交互に師となり弟子となり、仏教の発展と民衆のために尽くしてきた。まー歴代大統領と副大統領が変わり番こに指名しあい育ててゆくみたいなSYSTEMなんですな。チョトびみょーに違うかも知れんがw

しかし、ダライ・ラマとタシルンポ僧院のパンチェン・ラマとの関係は、
必ずしも常に良好なものではなかった。時には両ラマの宮廷間は緊張関係にあり、
中国は清朝の頃から両ラマの緊張関係をしばしば利用しようとしてきた。

ダライ・ラマとパンチェン・ラマの関係を、チベットに侵攻した中国は、チベット人を分断し
その宗教と文化を破壊するための手段として利用した。

現在の紛争は、パンチェン・ラマ9世と、パンチェン・ラマの中国亡命を強く不満とした
ダライ・ラマ13世の論争に遡る。ダライ・ラマ13世は1933年に死亡して、
現在のダライ・ラマは1935年に生まれた。

パンチェン・ラマ9世は1937年にチベットへ帰国の途についたが、帰国途中アムドで死亡した。1939年、現在のダライ・ラマ14世が転生者として布告され、1940年2月にラサで即位した。

現在の転生活仏制度を維持したままだと、将来のダライラマ14世の死去した場合、
チベット仏教僧序列1位のダライ・ラマの転生者を指定にチベット仏教僧序列2位である
パンチェン・ラマが強い影響力を及ぼす訳で、そのため、パンチェン・ラマ11世問題は
将来におけるダライ・ラマ15世問題(ダライ・ラマ14世の後継)にも大きく絡んでくる。

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1989年1月28日、前パンチェン・ラマ10世の死で、新たな転生者探索が開始された。
新しいパンチェン・ラマ選定がチベットの将来にとって重大であることが、
現在の緊張した政治状況を説明するものである。

この問題の本質は実はココにある。


現在ダライ・ラマの権威と人々が彼に対して抱いている崇敬と、
チベットの窮状に国際社会の注意を向けさせようとする彼の働きとがあいまって、
ダライ・ラマは自由なチベットを求める闘いの中心人物となっている。
中国がチベットを占領している間に法王が死亡すれば、
自由チベットを求める闘いは、3つの主な理由によって必ずや弱まるだろう。

第一に、新しい転生者が探索される間、ダライ・ラマ不在の空白期間ができるだろう。
これは、権威の喪失とチベット人の指導者不在を意味するだろう。

第二に、いったん新しい転生者が布告されれば、
ダライ・ラマが完全に責任を果たすことができるようになるまでに
数年の期間を要するだろう。
この間に中国は彼らの対抗者たちを解き放ち、
自由を求めるチベット人の闘いを抑圧する一層大きな機会を彼らに提供するだろう。

最後にまた最も憂えるべきことは、中国が既に傀儡のパンチェン・ラマを即位させておけば、
この事実を利用して、傀儡にできそうな自分たちのダライ・ラマを選定することができる。
この恐ろしいシナリオ通りに事態が進めば、自由チベットを求める闘いは
当然敗北することになる。

中国政府が現在進めようとしているのは、この長期にわたる政治ゲームであることは
疑いようも無い。

�“屬両�年であれ、��番の少年であれ、中凶の手の中にアリ、
既に子供と家族を恫喝洗脳するには十分な時間が経過してしまったのが悔やまれる。
彼らは既に成人してしまっているのである。

ダライ・ラマ14世が高齢になったことから後継者について論議がある。
本来ならばパンチェン・ラマ11世が転生者を認定するのだが、
指名もしくは選挙によってゲルク派のしかるべき高位の僧に
次期指導者の地位を委ねる旨を示唆している。

ダライ・ラマ14世が敢えて活仏(化身ラマ)の転生制度を放棄することを検討している背景としては、次のダライ・ラマの転生者を認定するにあたって国外での亡命生活を余儀なくされているダライ・ラマ14世とガンデンポタン(チベット亡命政府)が影響力を行使しにくいことが考えられる。

歴史的にもパンチェン・ラマは、ダライ・ラマとは政治面で対立することが多かったうえに、
国外(インド北部の都市ダラムサラ)に亡命したダライ・ラマ14世とは異なって中華人民共和国の認定によるパンチェン・ラマ11世は中華人民共和国チベット自治区内に留まっている。

また、中国国務院が2007年9月1日に転生を届出ならびに許可制とする
「チベット仏教活仏転生管理弁法」を施行し、活仏の転生霊童の認定にあたっては
国家宗教事務局への事前申請ならびに許可を必要とすると定めた。

即ち、中国政府の許可が無い活仏は違法で無効とされることも影響している。
流石、法輪功を弾圧皆殺しにして臓器を海外に売っ払う国、中凶。
この法律も破防法並の扱いでつw


現在、パンチェン・ラマは二人いる、、、らスぃ、、、orz

2人のパンチェン・ラマ11世

1995年5月14日、亡命政府ダライ・ラマ14世は、パンチェン・ラマ11世発見を布告した。新パンチェン・ラマは両親とともにチベットに住んでいたが、すぐさま中国政府当局によって有罪宣告され、さらに中国政府当局によって誘拐されて、世界最年少の政治犯として収監された。

一方中国政府当局は、これまでに彼ら自身のパンチェン・ラマを布告した。ギェンツェン・ノルブという6歳の少年で、中国の就任式が1995年11月30日に行われ、実際の「即位」は12月8日に行われた。

と、上で言っているのはこの2人の少年のことである。

1.ガンデンポタン(チベット亡命政府)によるパンチェン・ラマ11世
ゲンドゥン・チューキ・ニマ少年
ダライ・ラマ14世のインド亡命後も、中国との協調路線を選び中華人民共和国チベット自治区に留まってチベット仏教の保護・継承に多大な貢献をしたパンチェン・ラマ10世が、1989年1月28日に心疾患で入寂すると、ダライ・ラマ14世とガンデンポタンはパンチェン・ラマ10世の転生者の探索を始め、一旦ある少年を選び出したものの、すぐにこれを放棄した後に1995年5月14日に、ゲンドゥン・チューキ・ニマという6歳の男児をパンチェン・ラマ10世の転生者として認定し、ガンデンポタンが公式に発表した。

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2.中国様認定推挙によるパンチェン・ラマ11世
ギェンツェン・ノルブ 少年
中国チベット自治区ではガンデンポタンとは別にパンチェン・ラマ10世の転生霊童を探索し、6歳のギェンツェン・ノルブを1995年11月29日に金瓶掣簽によりパンチェン・ラマ10世の転生霊童とし、中国国務院もパンチェン・ラマ11世としての即位を許可した。
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そして、亡命政府側が輪廻転生を探し当てたパンチェン・ラマ候補ゲンドゥン・チューキ・ニマ少年はナゾの失踪をとげることになる。逮捕つーか、誘拐?殺害か?

1995年5月14日に、ダライ・ラマ14世とガンデンポタンがゲンドゥン・チューキ・ニマ少年をパンチェン・ラマ11世と公式に承認後、5月17日に両親共々同少年は行方不明となる。当初、中国政府は少年及び両親の失踪との関わりを否定していたが、1996年5月28日に関与を認めた。誘拐されたパンチェン・ラマの所在は1996年6月までわからなかったが、一年間所在不明としてきた中国側がようやく彼を拘留していることを認めた。中国が示したゲンドゥン・チューキ・ニマ拘留の理由は、チベット人民族主義者 たちによる誘拐を防ぐためというものだった!1997年1月の時点まで何ら進展は無く、パンチェン・ラマはいまだに中国によって拘留されている。中国がパンチェン・ラマ拘留を認めたことで、彼の生存についての憶測は終息したが、彼の身の安全に関する憂慮を軽減するものではない。また、中国側はパンチェン・ラマを釈放する予定であるとも発表していない。中国が任命した「パンチェン・ラマ」については、中国はこの少年の肖像を公開して、彼の肖像をチベット中で掲示させる計画を発表した。これは、チベットでダライ・ラマの肖像を公に飾ることを禁止した過去の運動と、著しい対照を成すものだ。

それゆえこの論争は継続する状況にある。明らかに中国は、パンチェン・ラマを擁立し続けて、彼らの選んだパンチェン・ラマが真のパンチェン・ラマであり、ダライ・ラマ法王とチベット人のチベット独立を求める平和的で正当な闘いに対抗する武器として使えることを、世界に証明しようと試みるだろう。傀儡政権一丁アガリである。

ニマ少年とその家族の消息は2008年現在でも不明。その後その姿を見た者はだれもいない。今も本当に生きていれば二十歳を過ぎた青年である。


『チベットのラストエンペラー』になろうとしているこのノーベル平和賞のおっさんはこーゆー問題をお抱えになっておられるのでウッカリ、ぽっくり逝く訳にもいかず、おちおち死ねもしないのである。

ダラダラ、ダライラマと長文になってしまったが、最後に申し上げたきは、
チベット族の民族自決の自由もさることながら、スヴェン・ヘディンの愛したトランスヒマラヤの美しい大自然。それとひょっとすると幸か不幸か生まれたらそのまま国家元首になれちゃうチャンスがある世界に類を見ない宗教と『輪廻転生生き仏』制度による平和で美しい治世システムこれらを『重要無形世界遺産』として次代まで残していって欲しい。そゆことである。
ただ、その前に中国の歴史と地図から抹殺された国が民族まで抹消されぬよう願うばかりである。

長文多謝。

なーこきん(湖錦董)ちゃんよー、おまい少しヤリ杉じゃね?
アンタ、ぼちぼちヒトラー、スターリン級になってキてるゼ?













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