しあわせぇ〜って何だっけ、何だぁ〜っけ♪(ナツい…)
「しあわせ」ってなんじゃろか?
自分らの安定、安全を望む為に、自分で責任を取らない大人。こんな人間の幸せってなんだろうか?「楽したい」という人間の本能活動であってそれを非難するのは意味のない行為なのだろうか?
・給食費払ってるんだから「いただきます。ごちそうさま。」を言うのを
学校側が強制するのはおかしいと思う親。
・熱い飲み物を、熱いと自覚しながら飲んで、火傷して、その会社を訴える客。
・問題が起こると全て学校のせいにするバカ親。
・なんかあれば、すぐに「弁論の自由」「人権」「労働基準法」を盾にして
ロクに自分は何もしない奴等。
・世間や国家は自分を守る為に存在していると勘違いしている奴等。
安全、安心なんてモノを、国や地域や他人が作ってくれている事は、当たり前じゃない。すごい努力の積み重ねの上にやっと成り立っている。しかし、人というのは与えられた服には不満を言う。「もっと大きかったら良かった。」「もっとオシャレだったらよかった。」「こんな服なら捨てたほうがマシだ。」これでは一家の大黒柱もお父さんの威厳も失墜しても仕方がない。
人間は誰1人として対等ではない。そのパワーバランスを知らずか知ってかコントロールする。それを「ナンバーワンじゃなくていい」だの「競争して順位をつけるのは良くない」だのと、相手の気持ちを考えるがあまり、すこし横道にそれてしまったバカな教育方針のせいで、もともと人間が持っている動物的世界と、無理に作られた人工的さの狭間にヒビが生じてしまって気持ちの悪いハーモニーを奏でている。
人間がそういう特性を持った生物だから仕方ないのかもしれないが、もっと良い方法はないものか…。
「今この瞬間のしあわせ」を感じる事は誰でもできるが、それがほしいがあまり、将来的にずっと続けばいいと思い、それをあまりにも貪欲に求め過ぎるとかえって不幸を呼び込む気がしてならない。
あたえられる事は当たり前ではない。でも与える方が、与えられる方の喜びを考えるがあまりに当然こうあるべきだという水位までレベルを引き上げる。それによって、与えられる方が、それに感謝の念がなくなる。
だから、何ひとつ世界中の全ての事象に当たり前なんて事はないんだという事を勉強する事が「しあわせ」になれるコツだと思う。それは感謝の心というよりは、どうしてこういう事になったのかという人類の歴史そのものなのかもしれない。
「幸せな気持ち」という不確かで理論的な根拠に乏しい感情を一生涯保ち続けるという事の難しさは計り知れない。人間、山アリ谷アリと言うが、それがあるから「しあわせ」を感じる事ができるとも思う。
逆の論点から考えると、人間はなぜ不安になるのだろう。不安要素を取り除くにはどうしたらいいのだろう?という事になるが、人は不安でなければしあわせなのだろうか?
不安な気持ち、痛い心、こういうのを味わいたくないのは、痛みを味わうのがイヤだという動物的本能であり、死なない為の生命維持活動だ。これを回避する事で死なないのだから幸せになれるという意味では、意味が通っている。
具体的に不安にならない為にはどうしたらいいのか?
・不安材料をなくす。
・あまり物事を深く考えすぎない。
・完全にプラス思考でいく。
・脳内のセロトニン分泌量を減らす。
などと箇条書きにすれば、いくつかある。
「ウソ」「信用」など異常なまでにこだわらないという事。どうしてもこだわるのならば、すべての人物を敵か味方のみに振り分ける!!それは大げさかも知れんが、こういった覚悟がある人間にヘタするのはイヤだからまわりもそうやって付き合ってくれるのでウソが少なくなるのは事実だろう。
と、ここまで書いたが、結局は「不安」にしろ「しあわせ」にしろ、外的要因に大きく左右されるものの、自分の気持ちというたったそれだけのシロモンだ。だと言う事は全てが自分自身でケリをつけれる話だという事だ。何も他人のせいにする事は1個も存在しなくていい。
私も自分でコントロールできるようにもっと日々精進しよう。
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