人は経験からしか学ぶことができない。
・・・訂正 : 経験からもほとんど学ばない。
他人から、こうしたほうがいい、ああしたほうがいい、と言われる、言ってもらうことはあります。よくあります。逆に自分が言うことも、これまたよくある。
でも、他人から言われても、ああそうか、じゃあそうしよう、と思うことはあまりないです。
こちらが全然知らないことについて、教えてもらおう、と思っているときだけは別ですが。初めてバイトに行ったときとか。そりゃ教えてもらわなくちゃね。
そういう具体的なことだけじゃなくて、他人の悪意にどう対処するか、とか、難しい恋愛相談に巻き込まれたときの逃げ方とか、そういうのって、自分でうんうんうなって悩んで、体得していかないと、意味がないし、身につかない、気がします。
他人にアドバイスされて納得できないまま従っても、次にまた同じことがあったときに、結局またわたわたじたばたする。・・・ま、それは以前に悩んでいてもあまり変わりませんが。
というような事をちらちらと考えていたのです。
ちょうどそんな時に、ぴったりそれについて書いていらっしゃるブログを見つけて感動してしまいました。いつも楽しみに見ていたところなのですが。
clip-clop*
http://mini.cliclo.sunnyday.jp/?eid=800018
下のほうのうんこの話です。
そうそう、そうだよなあ、と思って一人深くうなずいてしまいました。
でも、じゃあ、他人にアドバイスなんてしたって無駄なのか。知識経験は継承されていかないのか。というと、そんなこともないような気もします。
いつか、いつか、その人がアドバイスされたことを、自分で体得したときに、
「ああ、あの人はこれを言っていたのか、自分はただひとり間違った道を来ているのではないのだな」
と、気づけるからです。
通り過ぎたあとにしか分からない道しるべ。
無駄なようで無駄にあらず。
アドバイスなんて別にしたくもないし、するつもりもそんなにないのですが、せざるを得ないときもあります。するときには、それが効力を発揮するとは期待せず、いつかこの子も分かってくれる時がくるだろう、そのときまで覚えてもらえるように、と、簡潔に、かつ、たとえを面白く、話せればいいなあ、と思います。
ちょうどこの うんこの話のように。
また、どうしてもアドバイスせざるを得なくて、、しかも効力を期待せざるを得ない時だってあります。
年若い子に面と向かって相談事をされたときです。逃げようがない。
そういう時は、言いたいことを言うだけじゃなくて、それを体得できるような体験をさせてあげる、か、そのような場を紹介する、のがいいのではないか、と思います。
うんこの話でいえば、簡単な食事を用意してあげる、ってことですね。
それは、本やゲームでもいいし、簡単な実験のようなものでもいい。かわいい女の子を紹介してあげるのも、時には必要かも。
相手が興味を持って自分から経験できて、しかも自分の伝えたいことが伝わるような、そういう場を用意してあげられれば、それが一番いいのかな、と思いました。
難しいことかもしれませんが。
ちょっと前に、相談事をされたときには、『他人が何を考えているのか、もうちょっと考えたほうがいいよ』 というアドバイスとともに、『algo』 というゲームをしました。
http://www.sansu-olympic.gr.jp/algo/
algo 公式ホームページ
ゲームごとって、他人が考えていることを読むのが大事だし、問題がシンプルだから読みやすい。
なるべくぼくの気持ちを読ませるように行動しましたが、読んでもらえたのかなあ。
まあうまくいかなくても、それはそれ。どちらにしても本人が体得しなくては、僕にはしょうがないことなので。それに結局僕には関係ない話だしね。その人がどうなろうと。
と、そう思うしかしょうがないかなあと思いますよ。
clip-clop* の記事を読んで、そんなことを考えました。
このブログ(?)は、どこからたどり着いたか覚えていませんが、ちょっと前からお気に入りに入れて楽しませてもらっています。生活体験が豊かで、文章が暖かい。僕にとってはちょっと上等な和菓子のような存在です。
よかったらご覧あれあれ。
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