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2008年01月11日01:00

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スピリチャルなお話と私の人生 ♡(*→‿◕ฺฺ*)

このページはスピリチャルな話の限定です。メンバーに入ってるけど、ご興味のない人はスルーしてくださいね。

私がスピリチャル的に出合った全ての情報や体験も含めて公開しているものですので、マイミク限定になります。
(注:コメントは控えてください。コメント欄にはその時どきの体験などを随時、ご報告する用に使用予定です。何かございましたら、メッセージでお願いいたします♪)

そして、私個人の感覚で自由に綴ってますので、成長過程で、随時編集します。
過去に書いたことでも、気づきによって観点が変われば違う表現で書いていくことになると思います。
これも、日記のような感覚で、常に自分の記録的な意味も含めて綴っているので、そんな感じで楽しんでもらえると嬉しいですわーい(嬉しい顔)
スピリチャルなことに絡めて今までの人生も語ってますわーい(嬉しい顔)

ではでは〜

最近は特にスピリチャルな事が表立ってきていますね。
一時のブーム(オーラの泉が最高潮の時)よりかは静かには
なったけど、確実に拡がりを見せている感じはします。

まず、私のスピリチャルな事に対しての姿勢からお話しますが、スピ系というのは、限りなく「アヤシイ」世界の一つだと認識しています。
信じているとか信じていないとかは別にして、飯田氏のような科学的に証明して云々ということを記載されてますが、人間が証言していることを退行催眠などの手法を使って集めているだけなので、あくまでも人間の口から伝わってくることを記録したことに変わりありませんから、それを科学と呼んでいいのかなって個人的には思います。
学者の一つの言い訳に過ぎないのではないかという観点も持っています。何らかの手法を使えば何でも科学だと言うのは変な話で、実際、万人の人間が認識できる、つまり特別な人間だけが見えるのではなく、全ての人間が認識できる形で表されるのが科学だと思う。
宇宙には〇〇惑星があって・・・とかって、天体望遠鏡がない時代だとそれは科学ではなく、今でいう「アヤシイ」話になる。
でも、今は万人が天体望遠鏡を使って宇宙を見れば惑星が見える。
「見えない人は皆無である」というのが科学の基本だというのが私の解釈です。
そう考えると今でいう「アヤシイ」話は本当のことなのかもしれないし
嘘かもしれない。
その証言が本当かどうかなんて、私には関係なく、書籍の本文でもあるように「誰でも死ねば解ること」だと思っています。
そういう観点を軸で持ちながらも、私は、その限りなく「怪しく」そして「神秘」な世界に魅力を感じて接している一人の人間です。
世に言う「神がかり的な」不思議な体験とやらも経験はしていません。

ただ、理屈では説明できない現象を経験したことは何度かあります。
そういうことも含めて、私のスピ系限定の体験を初公開しますね
何故、今なのか、自分でも分かりませんが、誤解を受けるのを承知で、今だから公表できるのでは・・・という感じです。

まずは、幼少の頃は、誰に買ってもらったのかは覚えてないけど、家に「世界七不思議」みたいな本があって、表紙は固く、宇宙っぽい絵か写真だったような気がします。
その本が大好きだったみたいで、その頃、「アトランティス大陸」というのに興味を抱きインプットされたのではないかと思います。
それ以降は、特になんの変哲もなく、スピ系とも離れて少女漫画を愛する子供というか青春時代をすごしています。
ただ、ファンタジーのような夢物語は今も昔も好きです。
妖精も存在していると信じてるところがどっかにありますウインク

そして小学校の頃、はっきりとは覚えていないのですが、実の叔父(父方の兄)に憑依されたみたいです。
このことは、家族以外の誰も知りませんし、今回他の人に大々的に公表するのも初めてです。
その憑依も言葉は怖いけども、どうやら周りに私を通して訴えたらしいですけど、それは今でいう「色々見える人」と母が出逢って、私を会わせるとそういう話だったようで、はっきりとは覚えてませんが、私の記憶で残っているのは「般若心経」を朝昼晩と絶えず一日中唱え続けていたような気がします。どうやって救われたかは知りません。
(だから般若心経は記憶してて今でも唱えられるんですようまい!
ただ、周りから見える私の最初の症状は眠り続けるようで怖かったみたいです。そして喉が渇いていたようで、その方は戦死したみたいですね。それからは父方のお墓参りの際には戦死者の塔も同じ墓地内に立ててあったので、心してお参りをしていたことを覚えています。
何故、私だったのかは定かではありませんが、その「見える人」によると「私は優しすぎる」からだったみたいです。そう言われたのを覚えている位でほとんど詳しいことは覚えていません。
家庭内でもこの出来事はご法度、禁句のようです。たぶん今でも、話題にすることはありません。
私だけが、どういう意味だったのか、今後探ってみたいと思っています。
その頃の私の感覚は変なもので、今でもその感覚を覚えているというか怖いのですが、文字にすると伝わるかどうか分かりませんが、「夢の中にいるような感じ」なのです。どういえばいいのか・・・とにかく怖いんですよね。何が怖いかというと、夢って何でも実現っていうか本当になるでしょ、だからです。つまり、私が変な興味を持つと即実行してしまうんじゃないかっていう恐怖です。
例えば「ビルの上からこのまま飛ぶとどうなるんだろう」とかって、自殺ではなくて、子供のような空想なんですが、ほんのささいな興味からくる願望でも、実際にしてしまいそうなんですよね。
だから、今、夢の中なのか現実なのかわからなくなっている感覚というか・・・。たぶん、その時、どこかに精神が飛んでるんでしょうねわーい(嬉しい顔)
でも、その感覚は、いつかははっきりと覚えていませんが、憑依が消える?死者が癒された?からなのかわかりませんが、いつのまにか消えました。
今、思うとそういう事を言うのを親であっても言わない方が良かったんじゃないかって思います。精神病になったと思って、アチコチ両親が病院へ連れて行ったみたい。
私はあんまし覚えてないけど、大人になって存在を知った「箱庭セラピー」っぽいのをした覚えがあるな〜。
無邪気に動物園をこしらえてたようなわーい(嬉しい顔)
それで、あぁ、子供の頃、親は私が精神病だと思ってセラピーさせたなって感じで今だから笑えますが、今でも母親はあの時、精神病だったって思ってると思う。姉もそう信じてるとこありあせあせ
その話に触れることは家庭内ではアブナイ事のような気がしますので、あえて触れませんが・・・
子供心に本当に怖かったんだろうな〜、だから親にその恐怖感を訴えたんだと思うけど、単純に精神に異常が・・・と思ったのかもしれない。
今だったら、もっと面白い方向が開いたかも・・・なぁ〜んて思ったりするんだけどねウインク
暫くは家族全員が、私を腫れ物に触るような感覚で接していたのをかすかに覚えてますよ。
今だから明かすと(家族には明かせませんがわーい(嬉しい顔))そういう家族の環境って良かったのかもしれないんですよね。子供心に親を独占するというか、愛情を一手に受けるというか、そういうのを得る為に、自ら創り出した可能性もあるのかな、と今では自己分析してます。
そう考えるとかなりの知能犯になるけど、そこまで子供が腹黒い精神を持っているとは思えないんだけど、かなり我ままで精神が幼かったのかもしれませんね。
実力行使に出たって感じでしょうか。笑
有無を言わさず相手を引き込むという手法を身につけていたのかな(怖)

そんなこんなで、相変わらずわがままな娘として成長しました。
我が強いとは小さい頃から言われていますが、その割に弱いところがあって統一されていない部分があったんですね。
それが高校受験の時に決別するときが来ます。
親の反対を押し切って、自分の行きたい学校へまっしぐら!
中学の教師も巻き込んでひともんちゃくしながら、自らの意志を貫いたんですよ。
その頃から、自分に自信がついてきたんだろうなぁ〜うまい!
何が何でも、親を認めさせてやる!と息巻いてました(今思うと可愛いな〜って思う)
自分に厳しく、ガンガン思ったことは実行していったよ。
その成果が私の根底に繋がってると思う!
そして幼い頃の私はただ自分に自信が無かっただけなのかも、と気づきました。

絶好調の高校生活も終わりを告げ、短大へ入ろうとした矢先
これもはっきりと覚えてないんだけども、何かの証明写真を撮るのに
外出したんですね。
家から5分も経たない位の交差点で私は交通事故に遭いました。
こちらは自転車、相手は車。事故後の自転車は見てませんが
車の下敷きでめちゃくちゃになっていたそうです。
でも、私の方は至って元気でした。
ただ、宙を一回転したのを覚えています。青い空が見えたのを今でも覚えてるから。(映像はかなりのスローモーションだったよウインク
全身打撲はしましたが、全く骨折もなし、脳波にも異常なしでした。
ただ、右耳の上を少し切って3針ほど縫ったようです。
首の上を怪我すると、びっくりするくらい綺麗な血で大量に出血するみたいですね。
その日、上下真っ白の洋服を着ていたのが真っ赤に染まってしまい、
周囲は死んだと思ったようです。(耳の中から血が出てると思ったみたい)
家の近くだったので、近所のおばさんが私のカバンを持って、母の元へ走って知らせてくれたみたいで、血相を変えて母が来たみたいです。
私の姿を見て、かなり動転し近くに居た相手をかなりキツク責めたようでした。彼は少し遠くで工場をしている人で、私の姿と罵倒にも似た攻めに、彼も動転してしまい、悲観したのでしょう、一目散に自宅へ帰り工場で自殺を図りました。
彼の家族が早く見つけ、事なきを得ますが、彼の脳波にはその時異常が出たようです。
私の結果を知ってからでも良かったのに・・・とても後味が悪かったです。
彼の家族も大変なのに、加害者だからとお見舞いに来られたりして、こちらの方が心苦しかった覚えがあります。
彼が、その後幸せに暮らせていることを祈るばかりです。
その後のことは一切知りません。警察からの事情聴取も、ことがことですので、訴訟は勘弁してやって欲しいって警察の方がお願いされました。もちろん、こちらに特に障害が残ったりした訳ではないので、穏便に対処していただきました。
この頃って、本当に地域性もあったのかもしれないけど、人間味があって良いなとチラッと思ったのを覚えています。
私の後遺症は、それ以降、雨の降る前、たぶん気圧が関係していると思うのですが、頭が痛くなります。だから雨が降る日は分かるのよウインク
交通事故のその時、暫くは意識不明でしたが、実はこれも母には言ってませんが、母に抱きかかえられ「きょうこ、きょうこ!何で!何で!」と言葉には表現できないような切ない叫びを何度もしていました。
一瞬、意識をその時遠くで目覚めていたのですが、身体も痛くなくて
どこか本当に心地よいぬくもりの中でその声を遠くで聞きながら再度、意識を失ったのを覚えています。
あの時の母の愛をひしひしと実感したように思います。
元々仲が良いとは言えない関係性の私と母ですが、私は、この時の記憶が身体でそして心の奥で覚えているので、母と何かあっても、何故か許せてしまう自分がいます。この事が嫌なことも乗り越えさせる力になっていることは事実です。
この「こころ」というのを教える為にこの事故が私に起きたのではないかと最近思うことがあります。
このことは一生、大切な想いとして心に持っておこうと思っています。
そして、事故を見ていた誰もが口にした「奇跡だ!」という言葉。
あの状態で無傷(耳少々切ってますが)だなんてあり得ない状況
だったようです。
この時、「大きな存在」が私を救ったのかもしれないなと思ってます。

それ以降は、事故も大きな病気もせず、思い通りのイキイキ生活を
20代は送り、30になった頃、関西淡路大震災が起こりました。
私も被災者ですが、築40年近く経ったお店も崩れることはなく
そして、自宅はその3年前に鉄筋鉄骨の家に住んでいた為、
家の中はもちろんめちゃくちゃではありましたが、家族全員無事で
そして、衣食住については全くの不自由を感じませんでした。
(水は2ヶ月近く不通だったので大変でしたが)
この震災ではたくさんの尊い命がなくなり、家を失った方も数知れず。
そんな中で、有難い生活ができたのも、ただの偶然ではないように思います。

もしかして、生かされているのか?
何かとてつもなく大きなものに守られている?

今思えば、そういう漠然とした意識が芽生えたのは、この頃だったのかもしれません。その頃を機に、今まで身に起きたことを思い出す度、あれは偶然ではないのかもしれない、と思うようになりました。
一生を通じて経験しないことの方が多い出来事を自分が経験しているのは何故なんだろう・・・そういう漠然とした疑問もほのかに沸いてきたような気がします。

震災の年に予定していた結婚も無事でき、結婚生活が始まりました。
結婚生活は約11年、お付き合いは10年、合計20年ほどの
彼とはお付き合いになりました。
それはそれなりに、世間で言う「幸せの形」の結婚だったと思います。
私も、自分がこの方に出来ることは全てしたという自負があるので
その時代はその時代で幸せだったと思います。

離婚より4年前よりまた正式に働き出し、元々働くことが嫌いではなかったので、本格的な仕事に楽しさを覚え、どんどん技術的に吸収する頃でした。ただ、進むにつれて、やはり悩みは出てくるもので、自分のしたい事と会社の意向が合わず苦悩を重ねました。
自分を叱咤激励しながらも精神的にボロボロになり、その頃仕事関係で様々な自己啓発系のセミナーに参加していたこともあり、「アサーティブ」というスキルに出合いました。そこでは、傷ついた私の心を癒すようにただ、ただ無償の愛で包んでくれるようなセミナーだった為、私は少しずつ復活するようになりました。
そのスキルでこれからやっていこうかなと本気で当時、思うほど気が入ってましたよ。
見方が変わったりして、また挑戦という感じで仕事に取り組んでいた時、「アバターコース」というものに仕事関係で知り合った先生より紹介されて受講することになりました。(アバターに関しては表のプロフィールで紹介している公式HPを参照してくださいね)
その頃の私は別に精神的にも落ち込んでいることもなく、平和に近い状態で楽しんでいる感さえある時期でした。
ただ、その人の「自分をもっと掘る」って言葉に何故かビビビときたんですね。それで、経済的にも余裕のある状況だったので、すぐに受講を決めました。
そのコースは1部〜3部まであったんだけど実は3部だったか、その辺のプログラムに興味があっただけで、それを知るには1部から受けなきゃダメだったんで、そうしただけでした。
色々なセミナーを経験している私にとっては、1部は目新しくすごく刺激的というよりも今までの棚卸的な感じでした。
サラッと過ぎた感じがあり正直、あまり印象は覚えていません。
2部からは、今まで経験したことがない「感覚」を研ぎ澄ます為の面白いというか当時は変わった経験ができる講座でした。
3部もサラッと過ぎた感じで、そのコースの間に一番最高のコースの案内DVDが紹介されて、それはウィザードコースっていうコースで、それを見たとたん、私は何故か、その画面の中というかそこへ意識が既に飛んでいる感覚を覚えて、異様にワクワクした感じが底からわいてきたのを覚えています。
ウィザードコースの前にはマスターコースと言って、このアバターコースを教えることができる認定コースで、その次のプロコースもありました。
そのプロコースで、私が経験したことがないような、あっけにとられるような軽快さで、「根底にある怒り」を手放せたんですよね。
それはそれは不思議な経験でした。どこか世間にというか、誰にでもなくどこかに何故か「怒り」というのを私の中に持っていたようです。
それが、「ひがみ」「ねたみ」という形で私の性格にONされて表されていた時代があったように思います。
それからというもの、根本からの怒りというのは出ていません。
本当に不思議なんだけど、冷静になったというよりも、どこか穏やかという感覚に近くなったと思います。
昔の私を知っている人はびっくりすると思う。
前の職場の人はいい方に私が変わったにも関わらず何か「洗脳」されたんじゃないかと警戒してる感がありました(爆笑)
それから、見る見るうちに目覚めだしまして、自分を内観するようになったこともあり、自分の人生を歩もうと、また冒険の人生を選び離婚しました。同時に私の居る場所ではないことに気づいた職場も辞め、すべてをリセットした形になりました。
これでやっていこうと思っていた「アサーティブ」も内面が強くなって形やスキルに興味がなくなった私には必要のないものに変わっていました。あの時の私には必要なものだったと思いますがその時を過ぎたようでした。

その後、ウィザードに参加して、更に色んな分野の観点を知ったりしてどんどん面白くなっていきました。アバターマスターとして1年ほど活動しながらも、「何かが違う」と違和感を自分の中で感じ、コースで教えたりすることの活動は止めました。

私はいったい何がしたいんだろう?

という「人生とは」という根源部分に接触するテーマにぶつかりました。悶々とした日々を送る中、忘れてしまう程の前に夢にしていた「世界一周」というチャンスが巡ってきました。たまたま街で見かけたピースボートのポスターにどこか懐かしいものを感じ、どんどん引き込まれるように、事務所に行ったり、情報収集をしたりして現実のものに近づいていきました。ことが動くと、自分自身が本当に望んでいることってトントンと話が動くんですよね。
そして念願の地球一周の船旅に出ることだできました。
(その時の模様は過去の日記に綴ってますのでまた覗いてみてくださいね)

船旅が決まると、お小遣いも含めて大金が必要になってくる。大きな金額はなんとか兄や母の協力もあり、大丈夫でしたが自分で使うお金が必要になっていたため、出発までの9ヶ月ほど派遣で働くことになりました。(実は結婚前に1000万ほど貯金がありましたが、見事に結婚期間に使い果たし、当時はキャッシュで用意できる金銭はあまりない状況でした)
働き出して2ヶ月ほどたった2006年の12月に、はたまたオーラが見える
という占いが社内で噂になり、紹介してもらって神戸でパワーストーンのお店をしているという「その人」に会いに行きました。
会うなり「前に会いましたか?」と聞かれたりしたんですが、その頃はまだスピ系にハマルということはなく、あくまでも占いの範囲を出なかった私は「この人、何言ってるんだろう?」程度だったんですが、今思えば、どこか前世でつながりがあった方かもしれませんね。
あれから行ってないので、どうなっているのかわかりませんが、またいつか訪ねたいと思っています。
その時に伝えてもらったことは、「魂にはレベル」があるということ。「それぞれに使命」があるということ。それはこの物質世界で良いとか悪いとかで判断されるものではなく、その人の魂の使命だから世間的で見れば最低の行為でも、それをするために生まれてきた人も居るんだってこと。「自分の魂のレベルに合った人」と出逢っていくこと。そして自分の魂のレベルを教えてもらいました。
それが本当かどうかは、これからも続けて色々と体験しながら自分で検証していきたいなと思って、ずっときています。

パワーストーンとの直接的な出合いはこの時からです。
元々、昔からプロフィールでも書いてるように、ガラスが好きだったり
キラキラするものが好きなので、パワーストーンの存在もすぐに
好きになりました。興味深々になったのを覚えています。

占いとはちょっと違い、少々神がかり的なスピ系の入口になったのは
この出来事がきっかけではないかと思います。

パワーストーンを知ってから、色んな石に興味を持ったんだけど
何故か動機は覚えていないけど「ハーキマーダイヤモンド」という
水晶が気になりました。たぶん、4月生まれの私はダイヤモンドが
大好きで、同じ名前がついてる石ってことで呼び寄せたのかもしれません。
その輝きや調べているうちに、益々気に入ってどうしても手に入れたくなり船旅の前に購入してしまいました。
なにやらこの頃からチャネリングとかにも興味を少しもっていて
このハーキマーは強いものを持っているらしいことを知ってからは
その石とコンタクトを取りたくなっていました。
すると、どうやらアトランティスと大きく関係している石である
ことを知りました。その時の感動は忘れられません♪
アトランティス、そういえば幼い頃、アトランティス大陸にやけに
興味を持ってたっけなぁ〜とその時、幼い頃に瞬時にフラッシュバック
しました!
おぉ〜、何かのご縁なんだな〜!!!と嬉しくなったのを覚えてます。
それからというもの調べるクセのある私ですから徹底してアトランティスについて知りうる限りの情報を調べました。
何でかっていうと、アトランティスは地中海のところに沈んでいるというのが定説で、それ以外の説は疑問視されているからなんですよね。
でも、ハーキマーダイヤモンドは米国ニューヨーク州のハーキマーというところの地中からしか採れません。
だから、私が石から得た情報が正しいのかどうか、どうしても確めたかったんです。
アトランティスにいたってことは、NYがまだ海の底だった頃のはずだから地中海にアトランティスがあったのではないことになる。
そして調べると、あのバミューダ海域の魔のトライアングルを含む
その周辺にアトランティスがあったのではないかという説にたどり着いた。
最近知ったのですが、ボーネルさんというチャネラーの方がアトランティスと近い人みたいなんですが、その人もバハマ周辺という説みたいです。
その説をネットで見つけた時は全身に鳥肌が立つ位感動したよ!
「おぉ〜ハーキマー」と言って、思わず抱きしめたよハート達(複数ハート)
そのハーキマーはちゃんと船旅にも一緒に連れて行って、アトランティス海域に入った時に夜中、デッキに出て石に感謝と癒しを差し上げたのでしたぴかぴか(新しい)

その後、大事に大事に持ち続けたハーキマーは、それから1年後の2008.9.6にいつものようにナデナデしているとポロッと4つに分かれてしまったんですげっそり
実は私が購入したハーキマーは四つ子だったんですが、くっついている時は場所によってハートに見えたりして、すっごく綺麗でかわいかったんですけど、それがバラバラになった時は正直、動揺しました!
そして、もうどうすればいいか、なんのメッセージなのかかなり動揺しまくりでしたね。
それで、どうして欲しいのか知りたくてベッドのところに一緒に置いて寝たりしましたが、なんと石酔いを起こしました。
今まで「石酔い」ってどっかで嘘ちゃうの?と信じてなかった部分があったんですが、自分が経験してビックリしました!
本当にあるんですよ。本当にパワーストーンって意識体なんだなって、違う意味で怖くなったりしました。
近くに置くと車酔いのような感覚になってしまうので、不本意ながらも大き目のヒマラヤクリスタルのクラスターでそれぞれ休んでてもらうことにして近づきませんでした。
でも、私はショックでショックで、何で離れたの?ってそればっかしで!
未だにその意味はつかめていません。機会があったら聞きたいと思ってるんですけどね。
ただ、私が何となく感じているのは、離れる時期だったんだろうなってことと、ソウルメイトが4人居るのかな?と思えます。
それが4つの方向でそれぞれ活躍しているような気がします。
4つに分かれたハーキマーはそれぞれに小さくはなったけれど、
4つパワーを合わせなくても、それぞれにパワーが備わった(成長した)のかもしれません。
今では、一つはアクセサリーとしてペンダントにして時どき外へも
一緒にお出かけしますよ♪

続きはコメント欄です 2009/4/28
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