mixiユーザー(id:11340918)

2007年11月16日00:42

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「足あと」が少ないのは存在しないのと同じ?

ネットの世界では検索で上位にランクされない情報は、存在しないのと同じである。同様にミクシィに於ては、「足あと」が少ないページ、あるいは誰もコメントを書き込んでくれない日記は、世間的には存在しないのと同じなのだろう。

僕は7月くらいから日記を書いているので、そろそろミクシィ歴4ヶ月余りとなるのだが、意識するなと思っても、「足あと」の数や、コメントを気にしてしまう。
「こういうことを書くと、反論が来るんだろうなぁ」と思いつつ、少々過激気味なことを書いてみる。予測されたとおりに反論が殺到すると、「やっぱりね」とほくそえんでしまう。
一方、これは結構反響があるだろうと思って、結構力を入れて書いたものが、まったく何もコメントが書かれないこともある。
「何でだろう」と思いつつ、また少々刺激的なことを書こうとする自分に気づいてしまうことが多々ある。

総じて、人の目や人の反応を気にすると、ややもすると、もっと人の注目を集めたいという意識が働いて、「過剰」に走る傾向があるようだ。
奇抜な格好をしたり、変わった言動で、目立ちたいと思う心理と通じるものがある。あるいは暴走族やヤンキーも根は同じかも知れない。

僕もミクシィで日記を書いている者の一人として、「炎上」というものを一度くらいは体験してみたいと思っているのだが、力量不足でなかなかそこまでは行けないようである。
「足あと」の増減を見ていて最近わかって来たことであるが、読者を集めるためには、僕の主張や意見そのものの独自性や奇抜さよりも、テーマの選択の方がより重要なようだ。
前に「亀田一家」のことに関連した話を書いた時に、「足あと」が爆発的に急増したことがあった。みんなニュースから辿ってくることが多いので、世間の注目を集めるニュースにリンクさせた日記を書くと、僕のページやら日記を訪れる人が急激に増えるらしい。

最近は前ほどには日記を更新もせず、またレビューも頻繁には書いていないので、エラソーなことは書けないが、僕としては、たくさんではなくても構わないので、リピーターのように固定的に僕の書いたものを読んでくれて、いろいろと意見やら反論やらをフィードバックしてもらえる状態が理想かなぁと思う。
会ったこともない人々と「つながった」状態を通じて、いろいろな人の意見やら考え方を知ることができ、それによって自分ひとりでボーッと考えているよりは確実に自分自身啓発されるし、他人にも何らかの働きかけをすることが可能となるというのは考えてみれば、なかなかスゴイことだと思う。

ということで、4ヶ月もやっていると、「足あと」を増やすコツもだんだんとわかって来たし、ちょっと刺激的なことを書いてみようかという誘惑にかられることもないわけではないが、そういうのは僕としては、今も書いたとおり、自分の目指すところとは、「ちょっと違うかな」と考えている。

ニュースに触発されてモノを書くことはあっても、あくまでニュースはヒントのようなもので、書きたいのは自分自身の考えや思ったこと。それに同意してくれる人もいれば、反論する人もいる。いろいろな意見の人とつながって、会話が展開していく状態。これこそネットの世界の醍醐味ではないかと思う。
冒頭に「足あと」が少ないのは存在しないのと同じと書いたが、本当はそうではないのだろう。不特定多数より、たとえ特定少数であっても、もっと双方向で確かなつながりを僕は選択したいと思う。

そういう訳で、これからも頑張って、毎日一つずつでも何か書くよう心がけたいと決意を新たにしました。
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