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2007年09月23日10:19

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【愚考】 本能

先日、犬の雑誌を立ち読みしておりました。
トリミングについて書いてありました。
犬は体を洗われる事を嫌がるんですって。そういえば猫もそうです。

「犬を洗ったり毛を剃ったりすることを嫌がる飼い主がいます。彼らの言い分はこうです。
『犬は元々自然な生き物だから、人間が無理に手を出すとよくない。自然のままにしておくのがよい。』
しかし、それは違います。現在飼われている犬を野に放ち、自然な交配をさせるとオオカミの方向に戻っていってしまいます。
つまり犬は、そのままで自然な種、動物とは決して言えないのです。人間に飼われてこその犬なのです。」

犬は、適宜毛を刈ってやらないと体に悪いのに、犬はそれを嫌がるのです。
犬がその本能・感情から、洗われたくない、毛を刈られたくない、と思っても、それは犬のためにはならない、という話でした。

犬の本能はオオカミのような犬が生き抜くためのものです。それに対し、現在の犬の体は、人間に、あるいは環境に合わせられたものであるから、そこに食い違いができるということです。

体や環境は世代ごとに変化していきますが、本能は必ずしもそれとペースを合わせて変化するわけではないのです。


さて人間は?

人間は犬と違って、体はあまり変化していません。手を使うようになってからは、体を変化させるよりは、環境のほうを変化させてきたからです。

そしてその変化は、本能が変わるよりもずっと急なものでした。環境と本能はとっくに食い違ってしまっているのです。


例えば、「人間はもっと質素な食事をしなければ体に悪いのだが、それを嫌がる」 という例を考えましょう。

昔々そのむかし、本能ができた頃は、食べ物が豊富ではなかったから、本能は「あるだけの食べ物を食べろ」と命令します。
けれど、現在、その本能は時代に合わないのです。
質素な食事をしなくては体に悪い、のだけど本能がそれに逆らう。
つまり『食べたい』という本能・感情は、必ずしも従うべき感情ではないということです。

あるいはこういう例も考えられます。
本能ができた頃は、生まれた子供が死ぬ率はとても高かった。平均寿命も現在とは比べ物にならないほど短かったでしょう。
だから種としての本能は死ぬ分も計算に入れて、「たくさん産め」 と命令します。

しかしいまでは、昔なら死ぬはずだった子供も生き残ってしまいます。寿命も格段に延びました。本能の命ずるままに生んでいては、人間が多すぎてしまうのです。

いまだに環境の変化に気付かない本能が 『女の子とやりたい』 と叫んでも、それは必ずしも従うべき感情ではないのです。(ですか?)


人間が本能に従って生きていられたのは、人間がまだ動物だった頃で終わってしまいました。
人間はいまや人工の世界、あまりにも早く変化する世界に住んでします。本能はその変化に全くついていっていない。

つまり本能・感情に従って生きても、人間という種のためにならないのです。そして自分のためにも。
今従うべきなのは、種のために何をすべきか、あるいは自分のために何をすべきかと「考えられた」ことだけなのです。

健康な体であるためには、食べたいと「感じられる」だけ食べるのではなくて、食べるべきと示された量だけ食べるべきなのです。

世界が狭くなりすぎないためには、やりたくても避妊具をつけたほうがいいのです。感情・欲望にだけ従っていてはいけません。


もちろん、全ての本能・感情が間違っているわけではありません。
例えば睡眠欲に関しては、本能ができた頃と今の環境はそれほど異なってはいないのではないでしょうか。寝たいだけ寝るのが体には多分いいのです。

でも、本能・感情には、実情に合わないものもたくさんあります。それは睡眠や食欲性欲のように名前のついた本能だけの話ではありません。



私がしたいこと、それは本当にするべきものなのでしょうか?

すべきこととは、いったい誰にとってすべきことなのでしょう。


本能が生きたいように生きるのではなくて
考えて生きたいように生きよう。

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