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2007年08月20日00:36

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映画【河童のクゥと夏休み】考

つい、最近、映画版クレヨンしんちゃんを通して、次々と傑作
を送り出してきた原恵一監督の最新作と話題の映画を観てまい
りました。

【河童のクゥと夏休み】
そのあらすじは、ひょんなことから河童の子供【クゥ】と同居
することになった少年と、その家族の、一夏の様子を描いた物
語です。

さて、作品を観て、私が感じたことを表現する上で、劇中の、
詳細な描写に触れねばなりません。
今回は、劇中の表現の中で、物語の深読みとも思える周辺描写
の詳細な解釈や伏線部分はもちろんのこと、作品に対する批判
の記述があります。
ネタバレを嫌う方や、原作品を擁護される方は、この先を読ま
ないで下さい。


* この先に、映画【河童のクゥと夏休み】のネタバレ記事と
  批判表現が含まれます。
  ご注意いただくと共に、ネタバレや批判をを嫌うお方は、
  この先を読み進まないよう、お願いいたします。


****************************



1_原マジックの集大成

この作品は、過去に公開された原監督映画作品の集大成という
べきプロットに満ちあふれています。

しんちゃんで幾度となく描かれた家族の情景は、それこそ、本
作の観どころのひとつであり、クゥや飼い犬の【おっさん】の
描かれ方は、どこか、しんちゃんの【シロ】を思わせる部分が
あります。

中盤に、そのおっさんとクゥが絡むシーンがありますが、その
舞台は、なにを隠そう東京タワー。
あの赤い鉄骨の描き方は、オトナ帝国の名シーンを彷彿とさせ
るばかりか、遥かにグレードアップした追跡劇に仕上がってい
ます。

旧来のファンだけでなく、初めて原作品に接する観客も含めて
がっちりとスクリーンに釘付けにし、何気ない情景の組み合わ
せで、こんこんと泣かせてしまえる手腕は、見事です。

東京タワーのシーンは、原マジックの集大成にして、イリュー
ジョンの域と言っても過言ではありません。



2_作劇と作画のアンバランス

ところで、原しんちゃんを観て号泣してきたワタクシですが、
この作品では、モノの見事に、全く、泣きませんでした。
というか、泣けませんでした。
それは、原マジックに慣れたということではなく、マジシャン
がヘタクソだったからです。

初っ端のタイトル前のシーンで、薄暗い田んぼ端の情景が描か
れるのですが、その描写だけで、この作品が狙っている部分が
コドモ向けではない事は、十分伺えます。
しかし、タイトル後の住宅地のシーンで、いきなり、作画クオ
リティーのばらつきが顔を出してしまっているのです。

明らかに背景の筆致が違う、その背景を歩く人物が、文字通り
景色から浮いて見える、車庫に止まっているクルマと走ってい
るクルマで質感が違いすぎる、CGで描かれた川の水面も背景
から浮いている…

さらに、原監督が描き出そうとした、家族それぞれの感情の起
伏や、複雑な心理描写を出せば出す程、作画のアラが目立って
しまい、大根役者の実写を観ているような錯覚に陥ってしまい
ます。
演技のできないダメ役者が、健気に監督のいいつけを守ろうと
して、悪戦苦闘しながらも、演技になっていない様を見せつけ
られるのです。延々と…

妹がクゥに焼きもちを焼いてすねたり泣いたりふくれたりする
たびに、クゥ自身の心理描写の精緻さとの差がはっきりと解っ
てしまいます。
おっさんの疾走感と必死さが、リアルなだけに、川縁の級友達
の崩れた表情のリアリティのなさが痛々しくなります。

これは、明らかに作画陣が演出の要求レベルについていってい
ません。

一方で、主人公とクゥが訪れる田舎の原風景の描写は目を見張
ります。
この部分は、オープニングの田んぼ端にひけをとらないクオリ
ティの高さです。

なんで、こんなハレーションを起こしてしまったのでしょう。



3_シンエイ動画は原監督に謝ってほしい

ワタクシを含めて原監督のファンは、大抵が、しんちゃんを観
て、この作品を観にきているでしょう。

しんちゃんでは、なんだかんだいいながら、作り手にも受け手
にも【コドモ作品】という暗黙の了解があったように思います。
また、しんちゃんの絵柄自体が、もともとグニグニ系なので、
受け手自身、いつのまにか作画に関する要求レベルを下げてい
たと思えるフシがあります。

改めて、戦国大合戦を観てみると、敵方の鉄砲隊は、かなり少
ない線で描かれており、しかもほとんど同じ顔です。

要するに、テキトーでも許されるフォーマットで、テキトーで
はないお話が展開されていたのが、原しんちゃんだったのです。
50点を期待されているところに、作品世界を逆手に取って、
60〜80点をねじ込んできていたのです。
ある意味、掟破りの確信犯です。

今回はどうだったかというと、少なくとも、しんちゃんを観て
きた大多数の観客は、十分に構えて観ています。
つまりは、コドモ向けの皮を被ったオトナ向け作品でくる事は、
ある程度、覚悟の上であるはずです。
また、しんちゃんと違い、キャラクター達も十分にリアルな描
かれ方をすることは、ある程度、絵柄をみた時点で感じ取って
いたでしょう。

しかし、悲しいかな、作品にはそれに応じた色合いというモノ
があり、シンエイ動画の作画陣では、原カラーを完全には表現
しきれなかったというのが、正直なところです。

これは、なにも高い作画レベルを要求して、シンエイ動画の役
不足を糾弾しているのではありません。
論ずるべきは、作画バランスのばらつきの大きさであり、統一
感のなさです。

少なくともジブリの宮崎駿監督ならば、得意の全カット責任編
集(オールリテイク)をするでしょうし、ゴンゾあたりの作画
集団ならば、極めて粒の揃った作画で世界観を統一的に表現し
てみせたでしょう。

これは、原監督の責任というよりも、しんちゃんのクオリティ
しか経験してこれなかった、シンエイ動画の作画監督のポテン
シャルを呪うべきでしょう。



4_それでもクゥは傑作です

この作品では、後半になるにつれ、描かない事で描くという、
荒技に挑戦し、それが、功を奏しています。

クゥには、【ココロの声が聞こえる】という描写がありますが、
そのことが、重要なキーになっていることが、作品を全て観終
わって気づくようになっています。

コンビニの前での描写から、結構な距離でその能力が発揮され
ていますが、その事に気づいてから中盤のシーンを思い返すと、
クゥは、無数の声なき、好奇心やいわれなき憎悪の念に取り囲
まれていたことがわかります。

その意味では、主人公の少年すらクゥの本当の苦しみを理解す
ることなく、おせっかい程度にクラスメートに紹介していた事
に気づきます。
クラスメートは、そのことで幾分救われたでしょうが、クゥは
全く救われていません。

ここまで読み込んで、やっと、クゥのココロの痛みを真摯に受
け止めていられたのは、おっさんだけということが、解るので
す。

おっさんが、家族の事をワルい連中ではないというのは真実で
すし、河童が嘘をつかないのも真実です。
嘘をついても見透かす能力があるから、嘘をつけないのです。

一方、人間は、鈍感で残酷な存在です。
しかし、多少、鈍感だったからこそ、しぶとく生き延びたのか
もしれません。
そういう部分を全て背負い込んだ上でなお、クゥは、この世界
の前途を見据えているのです。

本当に優れたモノは、すすんで、相手のレベルにあわせつつ、
それを決してオモテには出さないものなのです。

正真正銘、繊細で正直なクゥは、かつての日本人がそうであっ
たように八百万の神々に感謝して、一日一日を生きます。
鈍感な人間に助けられた命ですら、お天道様から与えられたと
同じくらい大事に思いながら、人間を許しながら生きながらえ
ようと努力する道を選ぶのです。


これだけ、手の込んだ繊細なストーリーをベースに夏休みのコ
ドモ向け作品の体裁で世に出した、原監督の手腕には頭が下が
ります。
だから、なおのこと、その世界観を表現しきれなかった作画体
制が残念でなりません。


原監督がシンエイ動画を離れて、この作品を自身の手でリメイ
クされる事を願って止みません。
このまま、終ってしまっては、非常にもったいないです。

しんちゃんに戻らない以上、それ以外に原監督の才能が花開く
道は残っていないように思えるのです。

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