こんにちは、お久しぶりです。お元気ですか?
僕はさっき仕事から帰ってきて、そうめんとアイスとゼリーを食べ終わったところです。これで今日の食事は終了です。夏場はこんなものです。
食べている間、僕はテーブルの上の絵葉書をずっと眺めていました。絵はがき。麦藁帽子の上のバッタを、小さな黒猫が狙っている絵です。
一ヶ月くらい前に、僕があなたに書いた絵はがきです。
書いたんだけど、まだ出していないのです。いつものことです。郵便局で買ったかわいい花柄の切手もちゃんと貼ってあります。
一ヶ月くらい前に、あなたは僕を呼びましたね? 心のどこかで、僕を必要として、声にならない声をあげて僕を呼びました。
あるいは、全然呼んでいないかもしれません。ただ、僕には聞こえた、というだけのことです。あなたが呼んでいる声が聞こえた。そこで返事として絵はがきを書いたわけです。
書いた絵はがきはまだ出していません。だからもちろんあなたには届いていない。
でも、ある意味で僕の声もあなたに届いているはずです。
あなたの声が聞こえなくても僕に届くように、僕の絵はがきも、出さなくてもあなたに届くのです。絵は見えないかもしれません。字も読めないかもしれません。
あるいは僕の返事だとは分からないかもしれません。
それでも、僕の返事はどういう形でか、あなたに届くのです。
あなたの声なき声は、僕を悲しませます。
あなたが僕を呼ぶとき、あなたはたいてい不幸だからです。助けを求めているからです。
僕はあなたを助けたい。それはもう、心の底からそう思います。何をおいてもあなたの元を訪ね、横に座って、あなたの悩みを吸い取りたい。鶯になって、あなたの耳元で絶えることない歌を歌い続けたい。
でも、それはできません。
僕にできるのは、届かない絵はがきを書き続けることだけです。何枚も何枚も。
生きていれば誰だって、胸が重くなることがあります。なんでもない曲を聞いても涙が出てくる。眼を開いていても何も見えない。胸の真ん中の大きな穴に、自分の全てが流れ込んでいく。
求めるものは得られないし、そもそも何を求めているのか、自分でも分からなくなっている。どこにともなく助けを求めたくなる。でも、自分を見せることはできない。
外の矛盾が自分の矛盾として感じられる。他人を憎んでいるつもりが、自分を憎んでいることに気付く。憎しみが甘くなり、その甘さが苦く感じる。
どこにも行けない。
でも、いつでも僕を呼んでください。声を出さなくてもいい。
僕はどこにいても必ず駆けつけます。あるいは僕が自分では行けないかもしれません。でも、必ず答えますから。
わたしはあなたをきずつけません
いつもあなたをたすけましょう
おなかがすいたときには
どうぞわたしの食べものを
くらくて怖いときには
わたしがあなたの友だち
わたしはあなたを愛しています
とわの愛をあなたへ
「ソングマスター」 オースン・スコット・カード
大丈夫、あなたの声は届きますとも。
いつかどこかへ行けますとも。
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