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2007年06月02日11:21

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浦島太郎。

早いものでもう6月です。しばらく日本に帰ってないので久しぶりに日本に帰ったら浦島太郎状態ですねー。

ときに浦島太郎と言えばマイミクの「かの」んトコの日記で話題になってたんやけど、童話って社会風刺や、その時代を反映している事が多くって、ムゴいモノや、理解できない内容が多かったりしますよね。また解釈の仕方のよってどうとでも取れるよね?って話になっていました。なので「浦島太郎」と「桃太郎」の解釈いってみましょう!!

=============浦島太郎==============

浦島太郎の話は亀には悪気はなく、何も考えずに感謝の気持ちから、くだらない浦島太郎の世界を離れて、自分の世界で一生暮らしてもらおうって思ったのかもね。

助けた亀がいやがらせに竜宮城に連れていった説もあるけど、今回の僕の意見はこれ!!

最初は良かれと思って誘ったけど、浦島太郎が自分の世界に帰るって事を想定してなくって、いざ帰ると言い出した時に、時間のパラドックス(ルール)がある事を昔から知っていたのか、今思い出したのかはさておき、森羅万象のルールだから仕方ないと玉手箱を渡したけど、自然の法則に反してでも浦島太郎には不幸せになってほしくなくて「絶対に開けないで下さい」と念を押した。

いや、ひょとしたらこの玉手箱の意味を、浦島太郎に亀が説明する事が竜宮城の掟(ひいては世界の森羅万象の掟)に反する行為で、自分が(もしくは世界自体が)存在できない(死んでしまう)可能性がある事も承知の上で、全ての事実を浦島太郎に打ち明けていたのかも知れない。時空の歪みの話、玉手箱を空けたら時間が戻り、老人になるか、もしくはその場で死んでしまうかもしれない話を毎日毎日、浦島太郎に言って聞かせて、元の世界に帰らないように説得したのかも知れない。でも浦島太郎の決意は固かった。

だから浦島太郎は、現実世界に戻ってみた時、相当な年月が経っている事には亀から聞かされていたので、本当は驚かなかったんじゃないだろうか?最初から全部を分かった上で、全ての運命を飲み込む理解をした上で、森羅万象の法則の逆らう自分の存在が許されて良い訳がないと思い、亀の心に感謝しながら、静かな心でゆっくりと玉手箱を開けたのかも知れません。

「亀さんありがとう…。でも、俺はやっぱり自分だけが特別な存在というのには耐えらないし、今の俺という人間はもうここに存在しちゃいけないんだよ…。」なんてつぶやいていたかも知れないっすね。

何か、こっちの方が亀の立場を理解しやすいです。



もしくは、他の考えでは、これを言ったら全部の童話や不思議な話に当てはまるんですが、単純に浦島太郎さんの夢落ちで、くだらない空想癖のある人が気がついたらすでに老人だったとか(笑。


================桃太郎============

鬼は「鬼が島」という隠れた島に暮らしていた事を考えると、そんなに悪党ではないのじゃないか?と言う推測が生まれる。

悪事をガンガンに働くのであれば、村を侵略し、そこに住めばいい訳で、特に村には住めない理由があるとすれば、人間から隠れて住んていたとしか考え難い。日本の昔話に出てくる妖怪なども堂々と街中に住む者はいない。人目をはばかって生活しているのだ。

妖怪存在説にも色んな憶測があるが、ひとつに人捨てがある。
面倒を見るのがイヤになった老人、奇形児、脳の発達が遅い子供などを山に捨てた時代があったそうだ。

そういう山に捨てられた人達が、長年そこで生活して生き延びたとすれば、どんな風貌になるだろうか?
そして夜道でそういう人を見かけたらどう思うだろうか?
それが正体ではないか?という専門家もいる。

鬼の正体は外国人説がある。大昔に船で流れ着いた欧米人の体つきがあまりにも大きいし、その流れついた人も生きる為に食物を村から盗んだという説だ。

家来を連れて意気揚々と鬼が島へ向かう桃太郎。
物語では「ごめんなさい、もうしません」と鬼が謝ったようになっているが、そんな事はあり得ないです。
鬼が食料を奪っていたという事は、鬼は食物を食べないと生きられない存在、つまりはおそらく人間ではないか?と思われます。という事はもう村を襲わないという事は、食料が無さげな、断崖絶壁のイメージの鬼が島では自給は厳しいと思われ、鬼がこれから先に生きていく為には村人との共存が必須だと思われます。

しかし、桃太郎は鬼を村に連れてくるでもなく、金銀財宝を手押し車に乗せ、意気揚々と凱旋した訳です。

これはその場で鬼を皆殺しにした可能性の高さを示唆しています。もし、殺さずに飢え死にの道を選ばせたなら、最終的には玉砕覚悟で、もっと非道い仕返しを村人がされる可能性が高い事くらい桃太郎も知っているからです。

村の平和を守った桃太郎ですが、果たして正義と言える行為だったのでしょうか?村を守るという大儀名文の殺人いや、殺鬼か…。これは許される行為なのでしょうか?

これが鬼ではなく、人間だと仮定すれば、悪人は生きる価値が無いと取れます。一度でも過ちを犯した人間は殺されて当然だと。これは人間ではなく鬼をターゲットにする事でやんわりとした表現にはなっていますが、実際はそれを示唆している怖い話だと思います。でもそれで正義感あふれる子供が増えるのであればそれもヨシとは思いますが、一方向から見た正義は得手してナチスのような排他主義を生み出すと思います。

現代の世の中にも絶対的な悪は存在すると思いますが、法律に反さないけど道徳に反するというような悪を裁く話がウケる時代になってくるのかも知れないですね。

もうひとつの疑問点といえば「吉備団子」です。このアイテムにそんな効力が秘められているとは思い難いです。それは何を意味したのか?可能性としていくつか挙げてみよう。

�_燭陵�由もない。
��吉備団子の売名行為。
��実は麻薬成分的な物を使用していた。

�,陵�由がない。というにはそう言ってしまえば終わりなのでまず無いモノと仮定する。そもそも、犬、サル、雉と擬人化された家来が、人間ではないのでエサで釣るという行為を自然に見せかける事が可能になるという効果を期待していないはずがないと思う。何も考えなければ人間の登場人物ABCでいいはずだ。犬はまず簡単に人になつく。それから猿は時間をかけて躾をすれば頭がいいので言う事を聞くようになる。いや鳥は言う事はきかないだろう?え、、雉までも!? という順序のおどろかしがそこには存在したのだと思う。とにかく、家来を人間にしなかった理由は、桃太郎は絶対なる正義であり、彼が人間をエサで釣るような人物であってはならなかったからに他ならないはずだ。そしてそのエサの吉備団子の効力をアピールするには動物が一番だったのだ!!という事は、イヤが応でも�△寮�が濃ゆくなる。

そこでネットで調べてみると、このような意見をかいているサイトをみつけた。http://www.randdmanagement.com/c_histor/hi_014.htm
================ここから===========

吉備団子とは、桃太郎の知名度を活用した江戸時代のお菓子の流れを引いているらしい。 まとめると次のようになろう。

備前・備中は黍の産地である。そのため、この辺りでは、古くから黍餅を食べていたらしい。しかし、黍餅は日持ちが悪い上、舌触りも今一歩である。そこで、江戸時代になると、黍に米粉を混ぜて蒸した団子が登場したようだ。浅草に「日本一のきび団子、昔屋桃太郎」と看板が出たこともあったらしい。そこで、岡山藩家老 伊木三狼斎は、日持ちする名物菓子をつくろうと、菓子職人に改良を命じる。そして、米粉と水飴を使う求肥菓子ベースの吉備団子が生まれた。さらに、吉備津神社の境内で販売し、ご当地ブランド化を図ったのである。

江戸時代になり、結構米がとれるようになったから、米粉が使われたのだろうが、これは桃太郎の「きびだんご」とは全く違う。おそらく、当時は、気候と生産性の観点から、キビ生産は餅黍が中心である。この餅黍をなんとか使おうというのが、米粉の使用だと見た方がよい。団子用の黍は、団子黍(高黍)で全く違う種である。団子黍で作ると、つるりとしたまろやかな味わいになるのである。

団子黍という名称は聞きなれないが、要するにモロコシ[ソルガム, 高黍(タカキビ), 蜀黍, 高梁]である。砂糖黍(甘蔗)、玉蜀黍(トウモロコシ)、と同じように、日本の正統の「黍」ではない。但し、高梁と言っても、中国のコーリャンと吉備産では品質には相当な差がでる筈だ。吉備産高梁で作った団子は、表現できないほど美味しいものだったに違いあるまい。

そう信じているのは、高級な本蕨粉で作った餅を味わったことがあるからだ。その味わいは、筆舌に尽くせない。名称は「蕨餅」でも、粉の差は極めて大きいのである。厳選した原料を、寒晒しにして、何度も灰汁抜きをすると、とんでもない差になって現れるものなのだ。

吉備産高梁から作る黍粉も、昔のことだから、とてつもない手間をかけ、徹底的に精製していたのではないだろうか。そんな粉を使えば、間違いなく素晴らしい団子ができる。それこそ、一度味わえるなら、家来になってもかまわぬほどのものかも知れぬ。

吉備には、そんな贅沢な食を愉しむ文化が育まれていたに違いない。従って、そこには財宝もあろう。言うまでもないが、桃太郎のお話に登場する「きびだんご」とは、実は「鬼」側の素晴らしい文化の象徴である。桃太郎は、吉備の優美な文化は賞賛するが、地元の人達に支持されていた百済人の覇権は認めなかったのである。

実によくできたお話である。知恵者が、鬼の素晴らしさを、後世に伝えるために作り出した物語としか思えない。

==================ここまで=========

ふむ、これだけが正しい意見だとは断定できないけど、なかなか興味深い話だ。最後の『知恵者が、鬼の素晴らしさを、後世に伝えるために作り出した物語としか思えない。』には賛成しかねるが、確かに複雑な事情が噛んでいるのではないか?と思った。日本一なのは桃太郎ではなくて吉備団子だったのだろうな。と思いました。

それはさておき、鬼は本当はどんなモノだったのか?を問うより、架空であるにしろ、みんなの心に存在した鬼という生き物を、物語の中でどういう扱いしたのか?の方が重要な気がします。

絶対的な悪というモノを架空であれど、作る必要があったのでしょう。完全な悪、自分より立場の低い人間(奴隷や人間のランク付け)があるのは、人間の心の平穏を保つのに最も簡単な方法なのかも知れないですね。

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