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2006年12月31日19:08

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夜の急行「銀河」

今回の帝都遠征の帰りに、初めて急行「銀河」に乗車した。
この列車は東京−大阪を結ぶ伝統の夜行列車であるが、ダイヤ改正の度毎に廃止の噂が絶えない列車でも在る。
今回、せっかくの機会であるから、と云うよりも、今回の帝都遠征の元々の動機が「銀河に乗る」と云うものであった。

「銀河」は長い伝統を持つ列車である。
その前身は昭和の初期にまで遡る。
東京−大阪に設定された第17、18急行列車が「銀河」の前身列車とされる。
この列車は第1、第2特別急行列車「富士」と同じく一等、二等のみで編成され、政財界人や各界の著名人、高級軍人らが愛用したことで「名士列車」とも云われていた。
その後、大東亜戦争の悪化により、運転休止となったが、戦後、昭和24年、第15、16急行列車として、復活した。
列車番号こそ変わったしまったが、名士列車の伝統を受け一等、二等のみで編成され、また、急行でありながら「銀河」という愛称が付けられた。(当時、急行列車で愛称など無かった)
更に列車の最後尾には天の川のイラストに銀河と云う文字を浮かべた行灯式のマークまでもが取り付けられた。
当時の急行列車としては破格の扱いと云え、名士列車の伝統を受け継ぐ列車であった。


そのような伝統を持つ急行「銀河」であるが、今では24系25型客車を使用し、2段式B寝台車とプルマン式A寝台とで編成されている。
24系25型は現在でも特急に使用されている客車で、これも名士列車の伝統と云えよう。
「銀河」は他の急行に先駆けて、特急用の客車を使用していたから。
20系、14系14型、そして24系25型・・・

「銀河」は23:00に東京駅を出発する。
コミケととなコス帰りの私は、ミク友さん数名と品川で打ち上げ。
ゆうまさんと臨都閣下は電車の都合で途中退席され、その後も飲み続ける。
22時を回って、店も看板だから東京へと移動する。
その途中に、品川駅の常盤軒で駅そばを食す。
ここのそばはうまい駅そばベスト10に入れたいくらいで、前回11月上京した際にも食している。

その後、京浜東北線で東京へ、22:40分を回っていたからもうすぐ入線。
麗羅姐さんがビールとつまみを買いに行っている。
程なくしてEF65型機関車に牽引された「銀河」が入線してきた。
青の車体に銀色の二本のラインが美しい。
大阪方から、電源車、A寝台車、そしてB寝台車が続く。
二枚折り戸のドアがバタンと音を立てて開く。
元司令官代理さんに見送られ、麗羅姐さんと乗車、私は3号車、姐さんは5号車でどちらもB寝台である。

ガクンとショックを受けて東京駅を離れる。
客車だから、実に静かである。
品川を発車したあと、懐かしい、オルゴールの音が鳴って、車内アナウンスがあった。
本日は全席満席と云っている。
いつも帝都の行き帰りに乗る快速「ムーンライトながら」のアナウンスに比べ、何処となく上品でおおらかな感じがした。
我々は早速、通路側の椅子を出して、最後の祝杯をあげる。
たいして飲まなかったので、大船駅に到着する頃には寝床に就いていた。
B寝台の二段目で備え付けの浴衣に着替え、就寝。
程良い、列車独特のリズムが身体に良いのか、その後米原到着まで何も覚えていない。

米原からも寝ぼけ眼で、草津を通過する頃にようやく本格的に目が覚め、服を着替える。
荷物をまとめると、既に大津に到着していたから、決行慌しい。
逢坂山の隋道を抜けると、またオルゴールの音が響き、あと5分で京都到着と告げている。
東山の隋道を抜けると、221系の快速列車に抜かれた。
「銀河」は客車だから、加速減速の性能は電車には敵わない。
6:43分、定刻通りに京都到着、短い一夜は終わった。
次に帝都に行くときも、行きか帰り、どちらかに利用したいと思う。

画像は、「銀河」
東京駅と、その車中…

あと、最後になりましたが、マイミクの皆様方には、この一年、大変にお世話になりました。
来年も宜しくお願い致します。
それでは皆様、よいお年を。

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