性善説とか性悪説とかっていう言葉があるけど、善を求める、悪を求める、というよりは、人間はただ幸福を求めるものだと思う。
ただその個人にとっての幸福を求める行為が、他人にとって、あるいは社会にとって 「善」 であるとか、「悪」 であるとか判断されるのだ、と。
飼い猫リロイがたまにワルさをする。
パソコンのコードをかじろうとしたり、棚の上の小物を下に落としたり。
でもそれは、僕にとってはワルさだけど、リロイにとっては全然そうではない。興味があるからかじる、つつく。ただそれだけのことなのだ。
たまに、僕の機嫌が悪いときは、リロイを怒ってしまう。怒るったって 「こらっ」 って言うくらいだけど、怒ってもリロイは知らん顔してる。「僕知らないもん」 という顔で身繕いなぞしている。
怒ったってしょうがない。リロイにはそれがワルだとは分かっていないのだ。
正確に言うと、それはワルですらない。僕にとって不便、という程度のものだ。リロイは悪いことをしたわけではない。出来ること、興味のあることをしただけだ。
僕はどうすればいいのか。
もちろんバリバリ怒って、リロイに教え込む、という手だってある。リロイはそんなに馬鹿じゃないから、何度か叱って、僕がそれを不快に思うということが分かれば、敢えてはしなくなるだろう。
でもそれはどうなのか? 僕の都合を彼に押し付けるだけのことだ。僕にとってのワルは、リロイにとっては別にワルではないのだ。
叱られる筋合いのものではない。
だから僕は、そもそも叱られるようなことができないようにする。コードは隠し、小物は届かないところにしまってしまう。
そうすれば、リロイも別にワルさをしなくなる。できなくなる。リロイだって、敢えてそれがしたいわけではないのだ。
僕はよく、「りう君ってあんまり怒ったりしないでしょ」 と言われる。実を言って、ほとんど怒ったりしない。と言うか、怒れない。よくみんなそんなに怒れるなあと感心してしまう。
人はいろんな考え方をするものだ。僕にとってのワルさが、他人にとってもワルさだとは限らない。逆に僕が、良かれと思ってしたことも、他人にとってはワルさかも知れない。
ある程度、共通した考え方だってあるにはあるが、決して絶対的なものではない。
怒るというのは、悪いことをされるからだ。きっと。他人が自分にすることを、悪と判断して、反発する。
リロイがコードをかじるのを見て、腹が立つ。
でも、リロイをみれば分かるように、それは必ずしもしてきた相手にとってはワルではない。良かれと思っているか、なんとも思っていないかは分からないが、別に悪いことをしようとしているわけではない、ケースもある。
もちろん、悪意を持って何かをしてくる相手だってたくさんいるのだが。
相手に悪意があるのかどうかは、行動だけを見てもほとんど分からない。
リロイが小物を落とすのは、僕が怒るのをみて楽しむためかもしれない。あるいは、小物を壊して、僕に損害を与えようと思っているのかもしれない。
でも、そうじゃないかもしれない。
自分にも価値判断があり、相手にもそれがある。自分の判断が必ずしも正しいわけではない。
腹が立つからといって、相手が悪いことをしているという自覚があるとは限らないし、怒る筋合いがあるかどうかも分からない。それなのに怒れるのは、きっと自信があるからだ。自分が正しいのだという。
僕にはそこまでの自信はない。他人が何かしてきて、腹が立ったとしても、怒るまではいかない。相手にも言い分があるだろうし、その言い分には、自分の言い分と同じ重みがあると思うのだ。
では、腹が立った時、どうすればいいのか。
腹の立つようなことをされないようにすればいいのだ。される余地をなくす。
コードを隠し、小物をしまえば、リロイはワルさをしない。
知事が何を言っても公共事業の業者の選定に影響を与えられないような制度を作れば、知事だってワルさをしないだろう。(その方法では、ということだが)
怒って、叱って、それで相手の行動が直るならそれでもいい。でも、たいていはそうではない。相手は自分の幸福を求めて行動しているだけだ。それが自分にとって悪であっても、そう訴えるだけでは、相手は改めないだろう。自ら進んで不幸になろうとする人はいないから。
怒ったり、叱ったりするよりも、それをできないようにしてしまうほうがいい。
財布を出しっぱなしにしておいて、「持っていかないでね」 と言うよりは、財布を隠してしまうほうが、どちらにとってもいいのだ。
相手だって財布を持っていこうかどうしようか悩む必要がなくて楽だし、自分にとっても、持っていかれない可能性が高いのは絶対隠すほうだ。
出しておいて、持って行かれてしまっても、怒るのはおかしい。いや、全然おかしくはないが、怒ったからといって、それでどうなるものでもない。
相手は幸福を求めているのだから、財布を持っていくほうが自然だ。持っていった後のゴタゴタ(怒られる)、自分の良心の呵責、などを考え合わせて、トータルで幸福にはなれないと思えば持っていかないだろうが、そうでなければ持っていくに決まっている。
怒るのは、怒ることをされる余地を残していた自分が悪いのだ。ある意味で。
食べかけの魚を残してトイレに行って、リロイがそれをかじったからって、リロイを叱るのはおかしい。リロイにとっては、それは自分の幸福を求める行為であって、たまたまそれが僕の価値基準で 「悪」 に分類されるからといって、知ったことじゃないのだ。
腹が立って、自分が怒っているときには、自分にも非があるのだ。幾分かは。
みんななんでそんなに怒っているのだろう? 不思議だ。理解できない。
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