「丹波の赤鬼」赤井直正の長男 落城後も毛利氏を頼り生き延びていた
https://news.yahoo.co.jp/articles/39d2b8af229d00e3bfc81ddf97d6a33fe185b5c1
悪七郎こと赤井直信のその後。特に新発見という話ではなくて、資料の読み込みで再確認された程度の話。
>秀吉に仕えたが、謀反の疑いをかけられて、19歳で切腹させられた
旧領である丹波で3000石を貰っていたのだけれども、小牧長久手の際に一族から徳川に呼応する人間が出てしまい、直信も疑われて殺害された みたいな流れ。
>次男の直義
>金左衛門と名前を変えて、藤堂高虎に仕えた
高虎に口利きしたのは徳川家臣の山口直友なのだけれども、直友は赤井直正の甥っ子なので、直義からみると従兄弟ということになる。赤井直正の兄弟である直之が、信濃山口で独立して出来たのが山口氏。なぜ信濃で独立したのかは調べきれなかった。赤井氏は元々は信濃源氏の井上氏なので、その辺の関係なのだろうか。
山口直友はたびたび島津との交渉役として起用されているけれど、叔父の赤井直正が近衛家から後妻を娶っているということで、同じく近衛家と縁の深い島津に顔が利くということだったらしい。
近衛家の猶子になった秀吉と、近衛家の娘婿である赤井直正は兄弟! という今まで何度か繰り返してきたネタ。直正の息子たちは甥っ子になるのだから、秀吉ももう少し優しくしても良かったのではないか…みたいなことを考えたのだけれども、秀吉が悪七郎を処断したのは近衛家の猶子になる前だったというオチ。それでは仕方ないなと。
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