1950年代終わりのパリ。
雑誌「カイエ・デュ・シネマ」のライターとしてそれなりに知名度があったジャン=リュックは、かなり焦っていた。映画批評家は映画を撮ってナンボと思っていたのになかなか監督デビューのチャンスがないからだ。カイエの盟友たち…ロメールやシャブロルはきっちり監督としての地位を確立し、年下のトリュフォーまでが「大人はわかってくれない」でカンヌを沸かせている。そこで知己である制作者ポールガールに相談すると、「トリュフォーが脚本、シャブロルが技術協力」ならカネを引っ張れると言ってくれた。2人のネームバリューに頼ってでもジャン=リュックは長編を撮りたかったのだ。というわけで、早速友人のベルモンドと人気女優のジーンをメインキャストとして抑え、スタッフを集めて撮影準備に入るジャン=リュック。ロッセリーニやメルビルなど大御所からのアドバイスを頂戴しながらも、とにかく自由に演出してやろうと意気込み、カメラが回る前からビッグマウス気味のジャン=リュックにジーンはクランクイン前から不安を隠せない。そしていよいよ撮影開始…だがキャストにシナリオを渡さず、初日からたった2時間だけの撮影で撤収してしまう彼の演出に「不安的中」とばかりにウンザリするジーンたち……
「ヌーヴェルヴァーグ」
以下、ニューヨーク・ネタバレ・トリビューン。



先日リアルサウンドの「エージェント・キム」に関するネット記事を読んで脱力した。曰く、「ノワールそれ自体は、元々の発祥はフランス映画であり、広く犯罪映画を意味するのだが」とあったのだ。フィルム・ノワールが1940年代前後のアメリカ映画を指す、という常識すら無く批評を書く神経にただ驚くばかり↓
ま、それはともかく、単なる娯楽消費のハリウッド製犯罪映画を「フィルム・ノワール」と名付けたのは紛れもなくフランスの批評家たちで、ノワールを好物と公言していた者たちもいた。その1人がゴダールなのはご承知のとおり。若者が自由な発想で映画界にうって出た〈うねり〉をヌーヴェルヴァーグと呼ぶと俺は認識しているんだけど、はっきり言って俺の好みではない。緻密なプロットとか計算された構図が好きなので、このうねりの旗手であるゴダールの作風は全く肌に合わない(トリュフォーのほうがまだ楽しめる)のだ。ところが困ったことに、ゴダールが敬愛するノワールは俺の好物ジャンルだし、彼がのたまう「映画に必要なのは女と銃」というフレーズには007から映画少年になった俺は激しく同意してしまう。ゴダールとは同じ〈キスキスバンバン〉主義者で通じてるわけ。しかも特に彼が引用するニコラス・レイとボギーについては、やっぱり俺のフェイバリットなので、どうしても嫌いになれないのだ。
んで本作「ヌーヴェルヴァーグ」は、青年ゴダールの変人キャラが楽しめて、なかなか爽快だった。大体、映画製作内幕モノは面白さが担保されているけども、本作はあたかも当時のメイキングドキュメンタリーみたいなテイで作ってるのが凝っているとこ。リンクレイターの映画というより「カメレオンマン」の時のウディ・アレンの映画みたいに愉快だったなぁ。ゴダールって、何考えてるか何言ってるか解らないヒトなんだけど、なぜか映画はちゃんと完成しているという、いわゆる不思議系だよな。今ならゴダール映画を楽しめる気がするので、週末「勝手にしやがれ」、再見してみっかなあと。
とにかく、映画オタクなら観ておいたほうが良い一本。ゴダールに憧れる若手監督は今も山ほどいるんだろうけど、真似しちゃいけない監督でもあると思う。当時の空気と周囲の雰囲気、本人の愛嬌と比類なき知識量がないと、絶対に第二のゴダールにはなれないはず。ヌーヴェルヴァーグは奇跡と偶然の波なんだよな、きっと。
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