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2026年06月29日18:40

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元三島町町長佐藤長雄さんが 在任当時 福島県自治体会長でもあり   ながらに 会津は一つ という持論を講演していました。このコンセプトはどういう意味だったのか  なにぶん 会場の音響がリヴァーブがかかり ずうずう弁なので聞き取れなかったものです。
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佐藤長雄さんがおっしゃっていた**「会津は一つ」**という言葉は、会津地方の自治体間の対立や境界を超えて、会津全体を一つの地域として発展させるべきだという考え方を表していた可能性が高いです。

佐藤さんは、三島町の「ふるさと運動」を推進し、「地域の持つ文化や暮らしを生かして地域を活性化する」という理念で全国的に知られた町長でした。著書『山村が光る時』でも、地域が自立しながら広域的に連携することの重要性を説いています。

当時、福島県自治体の代表的立場にもあった佐藤さんが「会津は一つ」と語ったのであれば、例えば次のような意味が込められていたと考えられます。

* 会津若松だけが会津ではない。
奥会津、南会津、喜多方、会津坂下なども含め、歴史・文化・生活圏を共有する「会津」という共同体である。
* 自治体同士が競争するより連携する。
観光、産業、道路整備、只見線などを、それぞれではなく会津全体の利益として考える。
* 戊辰戦争以来の「会津人」という意識を大切にする。
市町村の枠を超えて、歴史や文化を共有する地域としてまとまるべきだ、という考え方。

特に佐藤さんは、三島町だけを発展させるのではなく、**「奥会津が元気になってこそ三島町も元気になる」**という発想を持っていたことで知られています。その延長線上に「会津は一つ」という理念があったのでしょう。

音響や方言で聞き取りにくかったとのことですが、おそらく単なるスローガンではなく、

「行政区域で分けて考えるのではなく、会津という一つの共同体として将来を考えよう」

という、地域づくりの哲学を語っておられたのだと思います。

もしその講演が1980〜1990年代のものでしたら、当時の福島県内では「県北・県中・浜通りに比べ、会津は広域連携で存在感を高めるべきだ」という議論も盛んで、「会津は一つ」という言葉はそうした時代背景ともよく一致します。
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