【豊臣兄弟!】このかわいい万丸が…涙の人質差し出しも史実知るネットは直視できず「しんどい」「すでに地獄」
https://news.yahoo.co.jp/articles/acc5dc57601f99340bd8c858436fbdeb7770f351
秀次のその後はしんどいのだけれども、宮部家のその後も割としんどかったりする。
継潤は忠義厚く有能な人物として生涯を終えることができたけれど、その息子(※実子説もあるけれど、おそらく継子)である長房は、関ケ原での立ち回りに失敗して、裏切り者として領土を没収されてしまい、流刑地たる盛岡で生涯を終えている。
宮部長房 意味不明・・・たった一人で東軍を裏切った男
https://niwareki.doorblog.jp/archives/32427112.html
まぁ長房が裏切り者認定されるまでの経緯は不明瞭で、上記ブログの「裏切って船で逃亡しようとしたけれど、船主に裏切られて置き去りにされた」云々も、後世の資料である「因幡民談記」が記しているだけのことなので、どこまで信じていいのかはわからない。
もっとも、因幡民談記が完成したのは1688年。資料集めの時点では、関ケ原当時のことを知る古老が生きていてもおかしくはないわけで、多少の誇張はあったとしても 概ね事実だった可能性は否定できないのだよなと。
長房没落のキーマンとなる田中吉政。元々は宮部継潤の家臣で秀次付きだったのが、秀次が三好に養子になるのに付き従って吉政も宮部家を離脱。よほど才覚があったのか、天下人の後継者の立場となった秀次を補佐する三中老の筆頭。秀次切腹に際しても上手く難を逃れて、家康とコネクションをつなげて、関ケ原では勝ち馬に乗るに至っている。
経歴的にみて、吉政は長房調略を担当していたはず。であれば、長房が本心では裏切るつもりだったなんて報告は、吉政にとってはミッションインコンプリートという不名誉なものでしかないはずなのだけれども、それでもなお裏切りを報告したということは、そももう幕府にはバレバレだったということだろう。それでもなお長房の助命嘆願した吉政は、むしろ義理堅いと言うべきではないかなと。
なおその吉政の田中家も、息子の代になって領地没収食らっている。吉政がキリシタンだったこともあって、キリシタン弾圧が手ぬるかったのがマズかったのではなかったかと言われている。良くも悪くも義理堅い
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