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2026年01月06日21:12

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秀長の人となり の雑感

秀長名補佐役説の最大の根拠、秀吉が大友宗麟に語ったという「内々ことは利休に、公儀のことは秀長に」云々。では当時の豊臣大名が皆秀長に取次してもらっていたかというと、降伏後の島津は石田三成が担当だったはず。あくまで大友担当の取次役は秀長という程度の話だったのではなかったのかなと。そうなのだとすると、名補佐役像が一気にぼやけてくる。

太閤記で七光り的に描かれた影響で長年評価されてこなかった秀長が、名補佐役として再発見されるキッカケは、司馬遼太郎や堺屋太一の歴史小説。司馬遼太郎が関わっているからというわけでもないけれど、坂本龍馬のように文芸作品のイメージに引っ張られて、実像を見誤ってないかと。温厚篤実という人物評も、出典は秀長恩顧の藤堂(高虎)家が後世に記した書物なわけで、多少割り引く必要がある。

まぁ現状としては「方面軍を任せられるくらいには軍事に明るいし、取次の一人を任せられるくらいには目端が利くけれど、カネに汚い一族郎等」という人物像ではないのかなと。三国志の曹洪を思い出さないでもないけれど、曹洪は贅沢するのも好きだったので、その辺は貯めこむ一方だった小一郎との大きな違いだろう。

それはそれとして、秀長にやたらと真面目なイメージ強いのは、「委員長」と字面が似ているのも多少影響しているのではないかとか埒もないことを考える。

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