織田信長に重用された滝川一益――天下人の死で転落した武将の悲惨な最期
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/c06ce9be282c7c55819e4b602121e09f808361fa
大門先生の記事。賤ヶ岳の記述で「秀吉」と書くところを「信長」と誤記って、信長が勝家と信孝を殺すという超展開となり、コメ欄で総ツッコミとなっている。まぁツッコミは置いておくとしても、歴史記事のヤフコメは「お気持ち表明」になりがちなので、コメ欄なしでいいのではないかなと思う。
閑話休題、滝川一益。確かに信長に重用はされたのだけれども、いわゆる「軍団長」に起用されたのは かなり後の方なので、そっち方面の評価はいまいちだったのかなと。
まぁ切り取った領土で家臣を養って軍団を形成、その軍団でさらに領土を切り取るというのが軍団長の仕事なのに、領土よりも茶器を欲しがったとかいうエピソードで有名になっているあたり、能力ではなく気質が疑問視されたかなと思わないでもない。
そんな軍団長としては微妙な一益を、よりにもよって戦国大名最強の北条家と対峙することになる関東方面軍団長に任じたというのは、どうなんだろうかなと。まぁ徳川が加勢可能だったし、柴田も上杉を倒せば「越山」して加勢可能、さらに当の北条も服属するにやぶさかではない という感じだったので、楽観していたのかもしれないが。
もっとも、たとえ一益が関東の切り取りに成功したとしても、そのまま関東を任せてもらえたかというと、おそらくそんなことはないのではないかなと。いや、政治の中枢である畿内を 身内と側近で固めようとしていた信長が、重要地点の関東を一家臣に預けたりはしないだろうと。
ということで、関東は信雄か誰かを置いて、一益はそのまま東北に転進させられたのではないかなと。茶器が欲しいと思っていたら、辺境の馬の産地に飛ばされたでござるの巻(ニンニン)。一益は伊賀ではなく甲賀なので、どっちかというとケムマキなのだけれども。
まぁムダに野心の高い信雄を関東に置いたら、鎌倉公方の二の舞いだと思うけれどな。
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