なぜ日本は戦争への道を歩んだのか?
有識者に検討させるなど、時間と経費のムダだ。
答えは簡単。第一次世界大戦に勝ったからである。
しかも兵士の損失は少なく、国内は大戦景気、成金景気で潤った。
この成功体験が、国民を戦争に向かわせた。
戦争は好景気を招くと、多くの国民が誤解した。
国民は日本軍の活躍を称賛し、戦線の拡大を歓迎した。
開戦への流れ。
1918年:第一次世界大戦 終結
1922年:ワシントン条約
1929年:世界恐慌
1930年:ロンドン条約
1931年:満州事変
1932年:515事件
1933年:国際連盟脱退
1936年:226事件
1937年:盧溝橋事件(日中戦争)
1940年:仏印進駐
1941年:真珠湾攻撃(日米開戦)
当時の国民は無知だった。
第一次世界大戦後、石油が重要な戦略物資になり、石油が無ければ戦争ができなくなったという事実を知らなかった。
また戦争のあり方が変わり、
「自国の工場を守りつつ、敵国の工場を破壊する」という総力戦となったことも理解していなかった。
これは国民だけでなlく、政治家や軍首脳も理解していなかった。
満州事変後も、政府や軍首脳は国際社会との協調方針を堅持しようとした。
大陸の日本軍(関東軍)も満州の利権(満州国)を確保するためには、諸外国との対立を避けるべきと考えていた。
しかし国民は満州国を歓迎し、リットン調査報告書に反発。大衆に迎合した外相が強硬論を唱えると、大衆は称賛した。かくして政府は、国際連盟から脱退する。
★重要
国際連盟脱退は国民が望んだのであり、政府や軍は望んでなかった。
連盟脱退が開戦につながったとするならば、責任は大衆を煽ったマスコミである。
軍の暴走がつづいたのも、大衆が515事件の犯人に同情的で、犯人を英雄扱いしたことが大きい。
515事件が賞賛されたので、226事件や814事件(宮城事件)が起こったのだ。
★重要
日本が長期間の戦争を遂行するためには、多様な資源を安定して輸入しなければならない。
輸出国と友好関係を結び、物資輸送のシーレーンを確保しなければならない。
したがって米国と英連邦との友好は重要だったが、政治家や軍首脳の理解は不充分だった。
またシーレーン確保には、対潜水艦部隊や防空部隊が必要だったが、海軍は艦艇の開発を怠っていた。
航空機の時代が来ると予見していながら、空母や戦闘機の開発に専念し、防空艦を開発していなかった。強力な潜水艦を建造しても、輸送船を守る対潜艦の開発は不充分だった。
そしてマスコミはこの重要事項を国民に教えなかった。
新聞の売り上げを増やすために、日本軍の勝利や戦果を大きく報道し、国民の好戦意欲を煽った。無知な国民は戦争になれば好景気になると、無邪気に信じ、戦争を歓迎した。
官邸が集めた識者が、マスコミの失態と国民が戦争を歓迎した気分を、どのように評するのか、興味がある。
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