元祖 HImaP&Σ (ハイマップ(ひまぴー)&シグマ(総和会)) 渡部学(ワタナベマナブ)。
2025年(令和7年)、1月3日(金)、日本時間、AM4:00、北海道紋別市。
HImaP&Σ は渡部学が創設者であり、屋号としてます。
団体や宗教、反社会的勢力や会社などではございません。個人活動家であり、営利目的での活動はSNSではしてません。
記憶でしか証拠はないですが、HImaP&Σは渡部学が作ったものであります。
H 暇な I 今を m 学と a 遊ぼう P プロジェクト
ハイマップとは 高いところから見る地図つまり、人々の全体全容を意味してます。
総和を意味する Σ
呼び名は二つ ひまぴー(暇プロジェクト)とハイマップ。
おはようございます。
朝っぱらからこんな話。
ピンピンコロリを目指してる。病院には迷惑かかるけど。
透析中に寝てる間に全く死ぬことすら知らずに眠らされ、苦しさも感じることなく死ぬとか。
家で寝て、苦しむとかそういうの無く、寝てる内に死ぬとか。
そういう死に方を希望してるけど。
産まれることと、死期は選べない。
金に困るようなことが発生して家族と問題が生じるなら、いっそのこと。金に困る前に生前、お金の預金がある内に死にたい(笑)
よく、死ぬんなら持ってるお金を使いきり死にたい。
もったいないとかいうけど、死期を選べないわからないのに、貯金を食い潰すことで心のゆとりが失くなるのは嫌だね。
死ぬまで預金に余裕がある状態で死んだ方がなんとなく幸せ。
死ぬのが、苦しむことも痛みもないなら怖くない。
問題は父も、叔母も死ぬとき苦しむこと、痛むことがあってそれを見てしまった渡部学はそこが恐怖で。
死ぬことは寝てる内に苦しむこともなく痛みもなく死ぬんなら、死期がいつこようとも、自分自身は知らぬ間に死んでる。
死への恐怖感はないわけじゃない。死後の世界はない。死んだら最後で無に帰すだけ。
それを思うと少しは死への恐怖感があるけど。
何が恐怖感って死ぬ間際の痛みや苦しむことが発生後の死だよ。
そういうことを父親とかで見てしまっただけに。
いつか来る死への恐怖感がある。
安楽死みたいな、寝てる間に苦しむことなく死ねるなら。
お金に困ることもない現在。お金のいざこざにも巻き込まれず、幸せな今の状態で、寝てる内に死ぬことすら知らされず急死出来たら。
そんな善いことこの上ない。
いつかは死ぬけど死ぬ経緯は大事だよね。希望がある。
死にたいわけじゃない。でもいつか死ぬなら?
大好きな最愛の人には申し訳ないが。
死ぬことの末路を辿らない人間の肉体はないんだから。
死期も死に方も我々や渡部学は選べないとしても。
必然を作れる人にお願いできるなら痛みも苦しむこともなく、眠らされ気がついたら死んでることが善い。
家族にもそんな急死なら常々最高だと伝えてある。
死ぬ過程で怖いのは苦しみや痛みのあと死ぬことだ。
苦しむことが前提の死に方は辛さしかない。
最終的に痛みも苦しみもなく、モルヒネで寝かされるとしても、そうなる前に苦しむ最後が嫌だな。
皆さんはどう思いますか?
死ぬ瞬間をたくさん見てきた。死ぬ過程を見てきた。
タイムリープで覚えてないけど死んだとかそういうのはもうどうでもいい話。
現実的に死ぬこと。自分自身が消滅すること。
最近、凄く考えるんだ。生きてるからこそ金の問題に直面した時生き苦しい思いする。
生きてるから自分自身以外の悪意や敵意や害意を持たれる。
生きてるから人間は生きるために人を犠牲にしてるとしたら?
不幸が襲う前に、いっそ幸せの内にピンピンコロリの急死で痛みも苦しみも感じることもなく寝てる内に死ぬことがベストでもある。
それが作為的であったとして。自分自身が知らずに眠らされ苦しみも感じることすらなく死ねた場合。
それを幸運と呼べると渡部学は言える。
生きてるから幸せもあるけど。幸せってのは脆いもんでね。
幸せが消え失せた人生は辛さしかない。
幸せが消える。それは苦しみ痛みに耐えるだけの死期を待つしかない状態の過程とか。
そういうこと想像すると死ぬことが怖い。
生きてて幸せだからそれが続くことを願うし生きてたいのに。
想像で死ぬことを考えた時、一番善い死に方の希望って考えたら?
幸せの内にピンピンコロリの死に方。電池が切れるように、死ぬとしたら?痛みも苦しみもなく。
なかなかないよね?
寝てる内に痛みも苦しみもなく死ぬなら?
もういつでもいい。知らずに死ぬなら。
今から死にますけど心の準備はいいですか?と聞かれたら、今は苦しみも痛みもない生きてて幸せなら、躊躇いしかない。嫌だ、待ってまだ生きたいってなる。
ところが痛み、苦しむことが究極に来たときも方法は何でもいいから痛みと苦しむことを止めてほしい。
そうなるとそれが緩和され痛みも苦しみも感じず眠りにつく方法が一番善い。
そのまま死ぬならわからない内に死ぬ。
意識がある内の最後が痛みや苦しむが直前であったら
なんかね。
そういうの見てるからこそ余計にそういうこと思うのは
つまりそれも生きてる側の思考と感情。
もしかしたら、苦しむことは直前あったかもだが。
なんだかわからない内に死んだのかもしれない。
みんな痛みや苦しみがあったのがスッと消えて眠らされ、知らない内に死んだのかも。
どう思います?
若い人はこんなこと考えないだろうし。
健康な人はそんなこと考えることもしない。
全く死ぬことを意識して想像しない人は
こんな話は全く理解すらしない内容になる。
考え方がそもそも違う人は、この話をバカにして嘲笑うかもしれない。
でも、最近、まだ元気なのに、渡部学はそういう【死】を見据えて生きてる。
いつかはくるんだ。自分自身が望む、望まないは関係なく、どういう死に方も予知出来ずにその時がくる。
未知の領域の人達の必然を作れる人達の采配だろう。
渡部学は自分自身で自覚した罪を冒したし、自分自身で無知な罪もあるかもしれない。
ただ生きてるから幸せでありたい。
けど生きてるから死ぬならどういう死に方を希望するって?
考えちゃった。
常々最近思うんだ。
最愛の妻が居たとして。とても申し訳ないけどね。
ずっとは生きられないしさ。
死ぬことは明確に決まってる。人はみんな死ぬために進んでる。
産まれたら死を考えてなくても死へ進んでいってる。
若い頃には自分自身の人生をよりよくするしか頭になくて、死ぬことへの予想などそんなしみったれた想像はしない。
性欲、金の欲望で人より善い生き方出来ればいいとだけ、覇権争いに夢中でそんなことは微塵も考えない。
永遠に生きる生き方が世の中にあるとしても。
得られてない人達にはどうでもいい空想の話。
死を見つめるってのは渡部学みたいな状態の人間ではもう早く40代で想像ではするんだよね。
どうやって死ぬのか?いつまで生きてしまうのか?
金に困る未来がきてしまって大変になるのか?
いっそそうなる前に死ねたらいいな。幸せ内に。
死に逃げてるわけじゃない。
生きてたら?と考えて、最近考えて。自立することを目標に今年はアルバイトをまたしようとしてる。
自殺もする気はないし、生きてる以上は幸せのままでいたい。
無自覚に犠牲者が出ても幸せに自分自身が生きてたい。
だから死ぬ時は苦しむ、痛みに耐えたあと限界でモルヒネで眠らされ死ぬなんてのは。
外側から見て知ってる俺は恐怖感ある。
生きてるからこその全て。死人に口なし。思考も感情もなし。無に帰した人はもう存在すらないのだから。
でも、究極に耐えられない苦しみや痛みの時は死んでもいいから楽になりたいほど辛い。
死んだら何もかもが無くなるから解放される全てからね。
死にたいわけじゃないよ。(笑)
死は全てからの解放でもあるように思う。
生きてる全てのしがらみから解放される。
渡部学は想像の中で死への恐怖感より、死ぬ間際の痛みや苦しむことが発生あることの方が恐怖感ある。
それだけ。
そう話をこんな早朝にしてみた。
理解出来る人には理解してもらえる話。
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