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2024年11月06日23:59

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2024年米国大統領選挙戦結果 100歳を迎えた第39代ジミー・カーター大統領と広島県北部三次市甲奴町の交流

11/6(水)
今回 2024年アメリカ大統領選挙戦の行方と共に、第39代民主党出身のジミー・カーター大統領と、広島県北部三次市甲奴町の交流について紹介する。

目次
1.アメリカ大統領選挙戦2024の投開票の行方
2. 第39代大統領職を務めた100歳のカーター氏が郵便で一票投じる

 1. アメリカ大統領選挙戦2024の投開票の行方

 前回 2020年の大統領選挙戦と大阪都構想の住民投票について
2020年11月9日付 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1977471100&owner_id=32437106

現在投開票が行われているアメリカ大統領選挙戦2024、前日までの世論調査によると、共和党のトランプ候補と民主党のハリス候補の支持率はほぼ拮抗していた。

写真 掲載元 読売新聞より
フォト

日本時間11月6日(水)、朝からニュースでの開票速報によると、トランプ候補が、ハリス候補を大きく引き離していた。日本時間午後6時の段階によると、米国主要メディアの中には、95%の確立でトランプ候補の当確と報じたという。日本時間午後9時(アメリカ東海岸午前7時)、米国主要メディアは、「トランプ当選確実」と発信した。日本時間午後9時時点、選挙人獲得数は、277人対224人である、過半数は270、勝負は決したとはいえ、結果が判明していない州では開票作業を続けている。

 トランプ候補は、2017年1月21日から2021年1月21日まで1期勤めた大統領時代、中東情勢の緊張緩和に一役買った。2020年9月15日、ユダヤ人中心の国家イスラエルと、アラブ諸国のバーレーン、UAEとの国交正常化交渉を主催した。ユダヤ教とイスラム教の始祖に因み、「アブラハム合意」という。同年末にイスラエルは、モロッコとスーダンとも国交を正常化した。


 一方現職の副大統領であるハリス氏は、今回の選挙戦において、有権者から現バイデン政権の中東政策に対する審判が下るとの見方もある。アメリカの若者を中心に、ガザ地区での戦闘休止を願う声が強い。交戦勢力のイスラエル政府とハマスの両方に顔が利くエジプト共和国とカタールと共に、アメリカは停戦交渉の仲介役を果たしていた。実際ハマス殲滅を掲げるイスラエル政府と、恒久的な停戦を願うハマスとの溝を埋められず、交渉は難航している。

 再びトランプ氏が大統領に返り咲けば、ウクライナとガザで行われている戦闘をいかに解決するか、外交手腕が求められている。

2. 第39代大統領職を務めた100歳のカーター氏が郵便で一票投じる

 初めにカーター大統領を取り上げた日記

� �2023年5月16日付け 小田急多摩線新百合ヶ丘開業時の1974年、その前後に起こった中東戦争 エジプト・イスラエル平和条約 アゼルバイジャンとアルメニアの係争地ナゴルノ・カラバフについて
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985069689&owner_id=32437106

 関連日記 第39代ジミー・カーター大統領100歳を迎える
�◆�2024年10月1日付 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988511868&owner_id=32437106

�� 関連日記 2024年10月12日付 日本の被爆者団体がノーベル平和賞を受賞する 緊迫する中東レバノン情勢(10月8日から10月11日) 米国のカーター大統領、オバマ大統領 トルコのエルドアン大統領 https://mixi.jp/list_diary.pl?month=10&year=2024&day=12

�ぁ.�ーター大統領が仲介したエジプト・イスラエル平和条約を持ち出した会話

2024年5月27日付 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987677469&owner_id=32437106

�ァ�2024年9月19日付 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988425354&owner_id=32437106



 11月5日に投開票がおこなわれたアメリカの大統領選挙戦は、コロナ禍の前回2020年から、郵便投票を受け付けていた。大統領経験者として最高齢となる100歳を迎えたジミー・カーター氏も、郵便投票を利用した。2023年2月からホスピスケア(終末期医療)を受けるカーター氏は、一日の大半を自宅で過ごす。2024年10月1日の100歳の誕生日、地元ジョージア州プレーンズの自宅では、親戚一堂介し、ささやかなパーティーを行った。州都アトランタでは、大々的な催しが開かれていたという。

 写真=アトランタでの100歳を記念した催し 掲載元 NY Times誌より
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10月16日に期日前投票の受付が始まると、民主党経験者として、カマラ・ハリス氏に郵送にて一票投じたという。孫の一人であるジェイソン氏は
、昨2023年11月19日に、妻である96歳のロザリン氏を亡くした際、落ち込みが激しかった、と語った。次第に落ち着きを取戻し、今は民主党のハリス氏が、女性初の大統領就任を果たすことを楽しみにしているという。

 太平洋を挟んで向かい側の日本列島でも、カーター氏の100歳を祝福する声が上がっている。大統領退任後の1990年にカーター氏は、ロザリン夫人と共に、原爆の被害にあった広島の山間部の小さな町に足を運んだ。県庁所在地広島市の平和公園には1984年に大統領経験者として初めて訪れていた。慰霊碑の前で花を手向け、爆風によって被害を受けた広島県物産陳列館の跡となる原爆ドームを見学する。平和記念資料館の中にも入り、展示された資料から、平和の尊さを学んだ。二次大戦時、カーター氏は、海軍の士官学校で訓練を受けていた。終戦後の1946年に潜水艦の隊員として勤務をした経験を持つ。慰霊碑の前で彼は思いを語った。「壊滅的な惨禍を思うと厳粛な気持ちになる。この教訓を決して忘れてはならない」

 1984年当時核兵器保有国が増えつつあった現状から「世界の指導者の心構えに頼るだけでは、核廃絶にむけて十分ではない。私たちが平和を不断に要求しなければならない」と誓った。大統領退任後を中心に続けた平和活動の取り組みの原点は、広島にあったのである。

 詳細 1984年のカーター氏の広島訪問 ヒロシマ平和メディアセンター 2009年7月31日付 https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=17594&query=%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%9E+%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%85%AC%E5%9C%92+%E8%A8%AA%E5%95%8F

2度目の広島県訪問となる1990年は、別の目的があった。自身が1982年に立ち上げた財団カーター・センターは、同じアトランタにある日本商工会から譲り受けた甲奴町出身の梵鐘を保管していたのである。センターを代表して、甲奴町内の小童(ひち)にある正願寺に梵鐘を返還した。なぜ山間の町にある鐘が、遠く離れたアメリカに渡っていたのか、複雑な経緯を辿っていたのである。時は太平洋戦争の真っ只中、1942年8月12日、日本国内で「金属類回収令」が出され、お寺の鐘は、国に没収された。当時日本国内から寺の鐘が消えたのである。銅で出来た鐘は、砲弾の資材として拠出された。国が接収した正願寺の鐘は、解体されず、保管されたままだった。1945年8月15日に日本軍の降伏により、終戦を迎えると、甲奴町正願寺の梵鐘は連合国側に抑えられた。詳しい事情は明らかになっていないものの、連合国の一員であるイギリスが戦利品として獲得したとみられている。表面に刻まれた寺名が、持ち主を探すうえでの最大の手がかりとなった。1985年に、イギリスからアメリカへ持ち込まれた正願寺の梵鐘が、二次大戦時の遺物として、オークションにかけられた。事態を知った米国ジョージア州のアトランタ日本人商工会が、直ちに動いた。寄付を募り、競りに出された梵鐘を落札したのである。商工会のメンバーは、所有する意思はなく、日本庭園の起工式に合わせて、カーター・センターに寄贈した。センターは、商工会から譲りぬけた梵鐘を、日本庭園のシンボルとして飾った。1987年のこと、アトランタ総領事館が、鐘に彫られた文字から、出所を調査し、広島県甲奴町に連絡を入れた。実際アトランタにある日本総領事館の職員は、甲奴町へ直接赴き、センターに梵鐘がある理由を説明した。町の寺の住職からも意向を聞き入れ、返還の意思を固める。1990年、原爆が投下され広島県民の気持ちを汲み取り、出身地である同県甲奴町へと梵鐘を戻した。町民は、一体となって47年ぶりに帰ってきたお寺の鐘を迎えいれ、カーターセンターの職員に感謝の意思を表明した。その縁がきっかけで、甲奴町と、カーター氏が出身のジョージア州のアメリカス市は、友好都市契約を結んだ。町は今後も長く友好都市として維持するべく、施設をオープンするにあたって、カーターの名を取り入れた。1994年5月に、市民の交流を目的として開業した施設には「ジミー・カーター・シビックセンター」と名づけた。開業を記念して、同1994年7月に、カーター夫妻が再び町を訪れた。七夕の日に、夫婦はそれぞれ個別に正願寺の2代目の鐘を衝いた。戦後海を渡った一代目の梵鐘は、歴史的遺産として手厚く保管されているという。

フォトフォト

町内を走るJR西日本福塩線の甲奴駅前の車が行き交う道路は、1991年10月21日に「カーター通り」と改称した。

 詳細 カーター通りについて 紀行歴史遊学 2024年10月1日付
https://gyokuzan.typepad.jp/blog/2024/09/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC.html

1992年3月31日に落成した野球場は「カーター記念球場」という。こうした慈善的な取り組みや平和活動が評価され、カーター氏は、2002年にノーベル平和賞を受賞した。

甲奴町は、2004年4月1日に、周辺の町村と共に三次市に吸収合併され、自治体としては消滅する。三次市は、甲奴町の歴史的経緯を理解し、カーター・センターと交流を続ける。新たに2021年6月、お返しの意味合いをこめて、ジョージア州の州都アトランタにあるカーターセンターの敷地内に鐘楼堂を建てるプロジェクトをスタートした。当時はコロナ禍で入国制限がある中、日本からの技師の渡航も間々ならなかった。現地人が中心となって、お堂の建設から始まり、2022年9月30日に完成した。カーター氏、98歳の誕生日に辛うじて間に合わせた。

 詳細 ジミー・カーター シビックセンター https://cartercenter.jp/

 2024年10月、コロナ禍を経て中断していた三次市に吸収された甲奴町と友好都市アマリカス市の中学生による相互交換留学が、5年振りに再開される。1994年のシビックセンターの開園と共に始まり、双方延べ1000人の中学生が、互いの友好都市へとわたった。

 2024年10月1日、ジミー・カーター氏の100歳の誕生日を迎えるにあたって、三次市の福岡誠志市長が、お祝いのメッセージを送った。

 詳細 ヒロシマ平和メディアセンター https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=145805

 11月4日(月・振り替え休日)、午前8時30分から、町民らによるカーター・スマイルランと題したイベントを開催した。参加者130人は小さい子供から80代の高齢者まで多岐に渡る。年代に問わず共通して「100歳おめでとう!」の文字が入ったゼッケンをつけて、92年に開業した町内のカーター球場から始まり、起伏のあるコースを走った。

 写真=カーター・スマイルランのロゴ ジミー・カーターシビックセンターより
https://cartercenter.jp/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B
 フォト
 

 参加した中学生は「カーターさんは、私たちに平和のことを考えさせてくれる偉大な人です。これからも長生きしてもらいたいです」と語った。

 詳細 カーター・スマイルラン 2024年11月4日 21時02分 NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20241104/4000027518.html

カーター氏の思いは、若い世代へと着実に受け継がれている。





■米大統領選でトランプ氏が“勝利宣言”どんな影響が?日本製品の売り上げ減少で経済悪化も?【Nスタ解説】
(TBS NEWS DIG - 11月06日 20:41)
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