信長は相撲好き。大きな興行を何度もやっていて、上位入賞者に賞品として刀を与えたり、俸禄与えて召し抱えることも度々あった。
力士の素性は、国人層の子弟や町人、寺社の下人など様々。相撲での活躍が認められての召し抱えなので、仕事はやっぱり相撲だったり、パレードの際に行進したり、ボディガード的なことをしたり。
少し上の役職をもらえた人間もいたけれど、そういう役職もらえたのは武士階層。名字もない本当の庶民層は、終始下働きだった。もちろん、それでも庶民層からすれば悪くない待遇だったはずだけれども。
最近話題になっている弥助。黒くて大きくて剛力なのが気に入って宣教師から譲ってもらったということなので、信長的には「変わり種の力士を譲ってもらった」みたいな感覚だったのではないかなと。実際、当時の屏風絵に相撲を取っている黒人と思われる姿が描かれているとのこと。
信長が死ななかったら弥助はどうなっていたのか みたいな歴史IF。他の非武士層力士の待遇とか鑑みるに、ささやかな出世くらいはあったかもしれないけれど、高い役職についたり、大名になったりすることはなかっただろうなと。
武士階層への引き上げ。まぁそのつもりがあったら名字を与えていたはずで、そういう話が全くなく、終始「弥助」という名前だけだったことを考えると、そういうことなんだろうと。
弥助の海外知識を珍重したに違いない みたいな解釈する人もいるけれど、黒人奴隷に科学技術や国際情勢に関する知識があったというのは無理があるのではないか。宣教師から一定の教育を受けていたとしても、わざわざ弥助を用いなくても、宣教師から引き出せばいいだけの話だよなと。将来的に宣教師と手を切って戦うことを見据えていた とか反論するのかもしれないけれど。
イーロン・マスク、アサクリ弥助LGBTQ化を批判。アフリカ侍の著者、弥助が侍という史料はないと発言
http://www.anige-sokuhouvip.com/blog-entry-68890.html
著者のロックリーは、「証文とかあるわけではないけれど、刀と俸給をもらって仕えたのだから、弥助はサムライ」と言うし、広い意味で取ればそういう解釈もありうるだろうけれど、名字もっている既存の武士とは待遇は大きく違ったと思うよ。
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