「既知外なんだから、撃ち殺せば良かった」
「裁判なんか要らない。さっさと死刑にしろ」
これが、容疑者と全く同類の狂人・鬼畜・人殺しの発想である。
マトモではないから、他人を裁く資格もない。
狂人・鬼畜・人殺しは、可能な限り無傷で逮捕して、時間をかけて、弁護人を付けて、証拠を固めて、裁判にかけて、ちゃんと「死刑」にする。
それが、マトモな人間側の義務である。
狂人・鬼畜・人殺しには義務はないが、マトモな人間にはマトモであるべき義務がある。
武田信玄が勝とうが、上杉謙信が勝とうが、違いはない。どっちも自己都合の人殺しだ。
信玄と謙信に違いはない。
しかし、山口組と兵庫県警組対4課には違いがある。違いがないと困る。
中核派・革マル派と警視庁公安部には違いがある。違いがないと困る。
その違いが【公共性】ということだ。健全な社会とは公共性がマトモな社会である。
警察はヤクザと同じ事をしてはいけない。警察である資格を失う。
ユダヤ人がナチスに虐殺されたからって、イスラエルがパレスチナ人を虐殺してイイ理由にはならない。
狂人・鬼畜・人殺しは楽ちんだ。しかし、マトモな人間は大変なのだ。
マトモを維持する大変な毎日がイヤな、楽したい人間が、犯罪者になる。
神戸連続児童殺傷も「快楽殺人」。「少年法を廃止して死刑にしろ!」も快楽殺人。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987653437&owner_id=545566
■審理の見通し立たず=長野4人殺害、25日で1年
(時事通信社 - 05月25日 07:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=7875127
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