大河でもあったが藤原斉信の参議就任は長徳2年4月24日、長徳の変の当日だった。
長徳の変の発端は、花山院と伊周が通っていた斉信の邸宅で斉信の姉妹に花山法皇と藤原伊周が通ってきていて、事件を表沙汰にしたのは斉信だった可能性が高く、斉信が完全に道長方についた事が大きいのだろう
道長の母違いの兄、道綱も権中納言・藤原実資を超えて正官の中納言に昇進し、12月に右近衛大将を兼ねる
人が良く無欲で道長と関係良好で伊周と隆家を左遷とのバランスがあったのかもしれない。無計算に生きる人生の大切さもわかる親道長人事だったのだろう
今朝も虎に翼を
寅子の兄・直道に赤紙が届き出征が決まる
轟にも赤紙で佐賀に帰り出征する事に
「死ぬなよ。轟」とツネから、生きて帰ってこれたら新たな展開がありそうだが
寅子は穂高教授から母校・明律大学での講演を依頼され
直前で妊娠の過労か倒れる
穂高教授と桂場判事が来ていて無事、収まったが
出産後もなるべく早く復帰して世の中を変えたいという寅子に
世の中そう簡単には変わらんよ。雨だれ石を穿つという穂高教授に
私は石を砕けない雨だれの一つぶでしかない、無念のまま消えて行くしか無いと考えるのかと詰めるが
よねが「お前は一人じゃない。」と、どうなるんだろう
日記はもうとじよう
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