漢字で書くと「尾山へ行く」となる。尾山は金沢の別称(古称)である。金沢(澤)という呼び方は兼六園の隅にある金城麗澤という小さな池から取ったと言われている。戦国時代に浄土真宗(一向一揆)の金澤御坊(御堂)があったので、愛知からやってきた前田利家が嫌って尾山と改名したが、利家の死後また金澤に戻り、それからはどちらも使われていた。
母(1928生)は金沢の中心から20kmほど山に入った菊水村(町)の出身だが、この村は1972年に内川ダムの建設によって廃村になった、高校時代までは親戚がいたので夏休みに遊びに行ったが村にはバスの終点から10kmほど歩くか、土方(人夫)の送迎マイクロ(朝夕)に乗って行くしかなかった。
父はこの村から山を超えた手取川沿いの村出身だが、山を歩いて越えなければぐるっと回って50kmほどある。でも隣村である。
自分は父の村で生まれて2、3歳.?で金沢に出てきた。アパートの一間に4人(両親と姉)で住み保育園に通った記憶がある。6歳離れた妹が生まれたのでアパートから少し離れた借家の2階(2間)に引っ越した。
母はたまに「尾山(へ行く)」と言ってた。親戚や村の出身者と話していた時だろうか。尾山神社というのは金沢市のど真ん中にあって観光スポットになっているが、この神社のことではない。市(町)の中心部は「尾山」だった。
これを思い出したのはハ短調ミサ(モーツアルト)の練習で休憩時に、金沢から歌いに来ているメンバー(8人ほど?)と話していた時に、1人の女性が「母が尾山へ行くって使ってた」と言われたので聞くと、金沢の海岸部(金石)の出身で、そこでもやはりこう呼んでいたようだ。
おそらく我が母と同世代だろうが、つい最近まで尾山ということばは使われていたんだろう。でもこういう話がわかる人は周りにはいなくなった。
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