ちうと、晩年のマイクパフォーマンスの、愉快なおじさんってイメージが多いかと。
国際プロレスが潰れて、新日本プロレスのリングに上がった時は、第一声がこんばんは!だったし。
まあ、これは生真面目な性格が災いしたと言える。
国際プロレスのエースだった頃は、金網デスマッチの鬼って異名だった。
新日本プロレスでは、新日本プロレスファンの憎悪を、一身に背負い猪木と抗争した。
その後、UWFに移籍したが、団体が格闘技路線に舵を切ると、似合わないからと退団。
全日本プロレスに移ってからは、馬場との抗争を開始し、その後義兄弟タッグとして活躍。
ハンセンと天龍組に、義兄弟タッグで対戦した試合は、泣いたなあ。(´;ω;`)
その後は前座でのお笑い的なプロレスしてました。
しかーし!ラッシャー木村、デスマッチやコミカルプロレスやマイクパフォーマンスだけではない。(゚Д゚)
国際プロレス時代には、ビクトル古賀からサンボを学んでいて、実は関節技もお手の物。
シュート(ガチンコ)でも強かった。
加えて身体も頑丈。
最晩年は表舞台に出て来なかった。
理由は衰えた姿を見せたくなかったから。
以上、ラッシャー木村のブルースでした。
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