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2024年05月17日03:53

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花山法皇の長徳の変の原因になる乱行と、寅子に優三が求婚

大河では996年におきた花山法皇襲撃事件を藤原伊周・隆家兄弟が起こすが、花山法皇にも誤解を受けても仕方がない問題行動が多い人だった、長徳の変では花山法皇とわからずだったが

一条天皇に禅譲を藤原兼家・道隆に騙され出家してなのだが本人は比叡山や熊野などに赴いて、花山院は仏道修行に励んだとなって、優れた和歌を詠み、絵画や建築、工芸、造園にも才を発揮したが人間はそう変わるものでもない。

次々と淫靡な行動を繰り返していく。母、中務、娘の平平子と関係を持って行く。忠務は平祐之の娘で、その娘が若狭守・平祐忠の娘。生まれた子は、花山法皇の第一皇子・昭登親王(娘の子)と第二皇子・清仁親王(母の子、花山源氏の祖)になる。問題で出来た子どもだけに道長はじめ公卿も体裁を考えたのだろう花山天皇の父である冷泉上皇の子(第5、6皇子)として育てられる。

清仁親王は母から生まれたところから「母腹宮」、昭登親王は娘から生まれたところから「女腹宮」と呼ばれたほどだから、宮廷内でも誰もが知るほど噂が広まっていた。

花山天皇の母・藤原伊尹の長女である懐女の妹・九女(九の御方)とも関係を持つから実の所、道長も望月の歌は表向きで相当な問題を抱えさせられる。寵愛はほんの一時的なもので中務、平子母娘に寵愛が移るや、途端に興味が失せ、異母弟の為尊親王に押し付けて結婚させてしまう今なら週刊誌ネタ、SNSネタを与え続ける人物ではある。

熊野詣でをしたという事も、花山法皇は熊野詣でに行きたいという希望を一条天皇に許してもらえず断念したという記録まである。長徳の変も花山院にとっては不名誉なことなので激怒するどころか隠そうとしたのを伊周、追い落としに道長に表に出されてしまった

花山法皇は天皇時代から「内劣の外めでた(政治家としては良いが私生活がよくない人)」ではああったが風流者であった。三代集のうちの一つ・拾遺和歌集の撰者と言われる、これについては諸説あるが道長の日記「御堂関白記」には道長との和歌の贈答についても記されており、花山院が優れた歌人であった。

私は藤原伊周・隆家兄弟も阿呆な事をしたとは思っているが反面、花山法皇には良い教訓になったか不明だが天罰的にも思える

今朝も虎に翼を

優三が遂に寅子にプロポーズ

実際、モデルの三渕女史は結婚適齢期を逃し(今の常識で考えないで下さい。戦時中です。)誰も見合いの相手が見つからず(花岡もモデルなそフィクション人物)困った父親が下宿人の書生をが現実で、こうなるだろうとネタバレになるから書かないがわかっていた。

ドラマでは轟とよねが花岡を呼び出し、寅子の心を揺さぶった事を責める。これ轟とよねがフラグかな

寅子から見合い相手を探して欲しいと頭を下げられた母のはるは、相手探すが誰もいない。昭和16年、戦争中で男子はの時代で無理だろう

寅子の弁護自体、独身女子では断られ続ける。本当に隔世の感じがある時代差だ。

最後は優三で収まって良かったのか明日に

日記はもうとじよう
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